絵じゃないかおじさん

言いたい放題、自由きまま、気楽など・・・
ピカ輪世代です。
(傘;傘;)←かさかさ、しわしわ、よれよれまーくです。

仮想はてな お小説・ストーリィ  むーみぃ姫、道成寺へ(004)

2014-12-11 08:04:03 | 仮想はてな物語 

copyright (c)ち ふ
絵じゃないかぐるーぷ
                      平成初めの頃です。
                       題名変更版


 * むーみぃ姫、道成寺へ(004)


 (ドン作の井中蛙不知海(ひとりよがり)純愛論)
 私は、今だに妻のOさんに恋してる。


 結婚してからも20年は悠に越え、子供も3人もいるというのにだ。その想いは、それはそれは純粋なものだ、と幾つになっても思い込んでいる。ジョジィの語ってくれたビッグバン以来、最大の純愛だ、とも自負している。心の中でどう思おうが個人の勝手だからそれはそれで許されるべきものだろう。それが夫婦円満の秘訣でもある。しかしながら、私のこんな想いはOさんには伝わりはしないようでもある。

 あな悲しや。


そんな私にとっては、今の世の中にある「純愛もの」は、書きつけたもの、耳にするもの、目にするもの、ことごとく嘘ごとに感じられてならない。


 「縄通」ネットの会員の一人で遺伝子解読の天才、鏡の精ヤッタールに私とOさんの髪の毛から、二人の純愛遺伝子を分析して貰ったところ、私の「純愛SEND遺伝子」とOさんの「純愛RECEIVE遺伝子」とは、すぐにからみつき、見る見るうちに真っ赤な遺伝糸! に変わったそうだ。ヤッタールもそのように赤くて、強い繋がりを持った糸を見るのは、開業以来初めてだと報告してくれた。少し眉唾くさい気がしないでもないが、ゴマ油でも立派な油、潤滑油となりうるので、ありがたく受け取っておくことにする


 しかしながらだ。悲しい事に、私は、もう中年のゴキブリ・オッさん。Oさんはブタ・オバはんになり下がってしまった。そんなオッさんとオバはんの「純愛」ものがたりを書いても誰が目を通すものか! と思う。純愛には主人公の素晴らしいイメージが不可欠である。


 そこで、今、私には気になって仕方ない女性が一人いるので、これから、その人のことを書いて純愛にせまってみたいと思う。


 女性のニックネームは{むーみぃ姫}、あの「六の宮の姫君」である。前2話の下ピーガラバァ、バナイランたちの大親戚でもある。三人が庶民の平穏な暮らしを取り戻しつつあるというのに、彼女一人をあのまま放っておくのは、人道的な立場からも許されることではない。不人情でもあるし、エコヒイキでもあるだろう。


 むーみぃの「腑甲斐ない魂」は今でも朱雀門あたりを休むこともなく、何100年も飛び回っているらしい。朱雀門は二条城のすぐ西にある古さびれた厳しいド偉く大きい門である。その門の上空を極楽にも地獄にも行けず、世紀末の今でも彷徨い続けるむーみぃ。何とか手助けしてやらねばなるまい。


 私は、宗教なんていうものは、信じてはいない。けれども、宗教は、阿片であるとは、決して思っていない。彼らの存在価値は認めている。方向性も原則もクソ乏しい人間が、ある一つの法則の下に、他人に迷惑をかけることなく生きてゆけるなら、それはそれでいいと思っている。この他人に迷惑をかけないというところが、ミソなのだが・・・


 また、極楽も地獄も信じてはいないのだが、先人の龍はんが地獄があると書いていることなので、ここでは彼を立てておくのが礼儀だろう。龍はんがあると言うのなら別にあったって、私には何の差し支えもないからだ。


むーみぃ姫の恋は、果たして、いわゆる「純愛」だったのだろうか?


                                つづく



あ@西国12/33 汗かきの岩間のセンティ

2014-12-11 08:02:52 | 雑文集
 
           copyright (c)ち ふ
絵じゃないかぐるーぷ


 * 汗かきの岩間のセンティ

    岩間山 正法寺 12


 ゴエーカ;
  みなかみは いずくなるらん いわまでら
 きしうつなみは まつかぜのおと


 岩間のセンティは、汗かきで有名であります。
 夜通し、あちらに走り、こちらに走りして、
 駈けずり回るものですから、
 朝になる頃には、
 びっしょりと汗をかいているということです。

 夜の夜中に走り回って何をしているのかというと、
 これがまた変わっているのであります。

 何処の家の誰それが、どうなったなどという、
 情報を集めて回っているそうです。
 聞く相手は、犬や猫やゴキブリであります。
 そんな情報を集めてどうするのかといえば、
 これが別に何もしないのです。

 ただ知っているだけにすぎません。
 知るのと知らないのとでは、
 どういう差が出てくるのでありましょう。

 別に変わったことはありはしません。

 岩間のセンティとしては、知らずにはいられないのです。
 そういう性格なのです。
 その性格がいいのか悪いのか、
 誰も断定を下すものはいないようです。

 ほんまにようやりはると、
 センティ・グループの他のカンノンはんたちからは、
 見られているのであります。

 まあ、それぞれのカンノンはんには、
 それぞれの個性がある方が変化に富んでいて、
 マンネリ化しなくていいのでしょう。


 岩間寺には、
 芭蕉が「古池や蛙飛び込む水の音」と、
 詠まれた池があります。
 実際ここの池で詠まれたかどうかは、
 はっきりとしないそうですが、
 そう詠まれるような雰囲気が、漂っているようであります。


 俳句の世界が、17文字で季語を入れながら、
 対象を捕らえるものですから、
 その超主観の世界を子引き、孫引きで説明しないと、
 真意が伝えられないのは、
 致し方のないことでありましょう。

 作成者と同一地点に立つことなどは、
 錯覚の世界と言っても、過言ではないでしょう。
 対象の詳しい説明と、その時の作成者の心理の動きなど、
 本人さえも語り切れないのではないでしょうか。

 ポンと句を与えて感想文を書かせてみると、
 それがよくわかると思います。
 まあ、文学なんていうものは、
 そんなところに身を置く、
 ヤクザな表現形態なんでしょうね。

 話し言葉などは、
 もっとひどいものかもしれません足りない分は、
 顔つきや目の色・輝き、鼻の動きなどで、
 補っているのかもしれませんけどね。

 なんて、書いてくると、では、
 人と人との間のコミュニケーションは、
 どうなっているんだと聞かれますと、
 お互い錯覚の世界で生きているんじゃないですか、
 なんて、答えたくなりますね。

 本当に難しいことです。
 人を理解したり、人に理解してもらおうなんて、
 大それたことは考えない方がいいように思いますね。

 自分が、自分のことを理解もできないのに、
 外に出してゆけるものではありません。

 といいながら、
 こんなものを書いているのですから、
 これは明らかに矛盾しております。


 人間は、時々刻々に変化しております。

 もし、心の中を読めるウルトラ・コンピュータが
 出来たとして、
 今言ったこと、
 今書いたことでさえも、
 その人にとっては、
 もう過去のことになってしまっていて、
 その人の心の中の何処を探しても、
 見当らなかったなんていうことも、
 ありうると思うからです。

 私にとって、己自身が信じられるかが、
 私の大テーマであります。
 自分が自分を信じられないのに、
 他の人を信じられるわけはないのです。

 自分が自分を信じられるような人間になって、
 初めて人は他の人について、
 とやかく言うことが出来るようになると思うのです。

 残念ながら、私は40もなかばというのに、
 自分自身の心を信じることが、
 出来ないのであります。


 そのくせ、とやかく言うものですから、
 これは明らかに自己矛盾を起こしております。
 どうしたら、どう生きたら、己を信じられるのかが、
 私が自分自身に課したテーマなのであります。


 自分が信じられないから、
 神を信じる、仏を信じるでは、
 本題から逃げることだと思っています。
 まずは、己が己を信じられる人間になるということ、
 そういう姿勢を持つということが重要だと思います。

 おそらく一生かかっても、
 己が信じられないような気がします。

 けれども、己は己に取って、
 信じるに値する人間かどうかを、
 絶えず問いかけることは、必要だと思うのです。
 神や仏は、その後で、時間が余り、
 信じるに値すると判断すれば、
 信じたらいいと思うのであります。


 では、己が信じられるということは
 どういうことなのでしょうか?

 それは、人生のある時点で作り上げた、 
 己というものを一生変えなく、
 保ち続けるということになるのでしょう。

 諸行無常の法則にも左右されず、
 自分というものに拘り通して、
 執着し続けるということではないのでしょうか?


 そういう姿勢は必要だと思います。

 それが自分が自分を信じられ、
 他の人からも信じられるようになる、
 生き方だと思います。
                     
                
               この項おわり


あ@英訳ドン作川柳集880 大しわに優美な小じわしわだらけ

2014-12-11 08:02:09 | ぶろぐ(迷瞑謎名英訳付き)


                         copyright (c)ち ふ
                         絵じゃないかグループ
                         仮想はてなグループ

                       

   *  大しわに優美な小じわしわだらけ






  (ドン作川柳 → 無料 英訳 → 無料 和訳戻し)

     大しわに優美な小じわしわだらけ       ドン作(ちふ+)

            ↓
      Graceful wrinkles wrinkled in large wrinkles

            ↓           
      大しわにしわが優雅なしわ
 


                               おわり


仮想はてな Oあゆか
仮想はてな ドン作



あ@つぶつぶ(日々)240 今日もまた日が過ぎてゆく抜き足で

2014-12-11 07:59:00 | ぶろぐ(迷瞑謎名英訳付き)


多層構造ぶろぐ→Multilayer structure blog

ピカ輪世代(世に団塊とも)の一断面を目指して。


  copyright (c)地  宇
                                  ち ふ
絵じゃないかぐるーぷ
                       


*  English translation 


  240 今日もまた日が過ぎてゆく抜き足で



        ↓
      (ほんやっ君のとある無料の英訳)

    Stealthy steps in the day Yuku past also today
         ↓
      (ほんやっ君のとある無料の和訳戻し)

また、一日ゆく過去、現在においてステルス手順







     この項おわり



つぶつぶ(22”22”)・・・・・


あ@おつとめ051  Mデヤ子  仕事覚えて  派手や濃く

2014-12-11 07:57:42 | ぶろぐ(迷瞑謎名英訳付き)

多層構造ぶろぐ→Multilayer structure blog


 
                         copyright (c)ち ふ
                         仮想はてなグループ
     絵じゃないかおじさんグループ
                         【ほんやっ君】
ドン作雑文集より

 

                               
   * 051  Mデヤ子  仕事覚えて  派手や濃く


     

     化粧とお茶とが・・・・・・

     出がらし止めてーや。 ← イジメちゃう?
 

  


(ドン作川柳 → とある無料 英訳 → とある無料 和訳戻し)


    Mデヤ子  仕事覚えて  派手や濃く    ドン作(ちふ+)

          ↓
     The rich and flashy to remember M Deya child work
  
          ↓
     覚えて豊かで派手なMデヤ子の仕事