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絵じゃないかぐるーぷ
平成初めの頃です。
題名変更版
* むーみぃ姫、道成寺へ(004)
(ドン作の井中蛙不知海(ひとりよがり)純愛論)
私は、今だに妻のOさんに恋してる。
結婚してからも20年は悠に越え、子供も3人もいるというのにだ。その想いは、それはそれは純粋なものだ、と幾つになっても思い込んでいる。ジョジィの語ってくれたビッグバン以来、最大の純愛だ、とも自負している。心の中でどう思おうが個人の勝手だからそれはそれで許されるべきものだろう。それが夫婦円満の秘訣でもある。しかしながら、私のこんな想いはOさんには伝わりはしないようでもある。
あな悲しや。
そんな私にとっては、今の世の中にある「純愛もの」は、書きつけたもの、耳にするもの、目にするもの、ことごとく嘘ごとに感じられてならない。
「縄通」ネットの会員の一人で遺伝子解読の天才、鏡の精ヤッタールに私とOさんの髪の毛から、二人の純愛遺伝子を分析して貰ったところ、私の「純愛SEND遺伝子」とOさんの「純愛RECEIVE遺伝子」とは、すぐにからみつき、見る見るうちに真っ赤な遺伝糸! に変わったそうだ。ヤッタールもそのように赤くて、強い繋がりを持った糸を見るのは、開業以来初めてだと報告してくれた。少し眉唾くさい気がしないでもないが、ゴマ油でも立派な油、潤滑油となりうるので、ありがたく受け取っておくことにする
しかしながらだ。悲しい事に、私は、もう中年のゴキブリ・オッさん。Oさんはブタ・オバはんになり下がってしまった。そんなオッさんとオバはんの「純愛」ものがたりを書いても誰が目を通すものか! と思う。純愛には主人公の素晴らしいイメージが不可欠である。
そこで、今、私には気になって仕方ない女性が一人いるので、これから、その人のことを書いて純愛にせまってみたいと思う。
女性のニックネームは{むーみぃ姫}、あの「六の宮の姫君」である。前2話の下ピーガラバァ、バナイランたちの大親戚でもある。三人が庶民の平穏な暮らしを取り戻しつつあるというのに、彼女一人をあのまま放っておくのは、人道的な立場からも許されることではない。不人情でもあるし、エコヒイキでもあるだろう。
むーみぃの「腑甲斐ない魂」は今でも朱雀門あたりを休むこともなく、何100年も飛び回っているらしい。朱雀門は二条城のすぐ西にある古さびれた厳しいド偉く大きい門である。その門の上空を極楽にも地獄にも行けず、世紀末の今でも彷徨い続けるむーみぃ。何とか手助けしてやらねばなるまい。
私は、宗教なんていうものは、信じてはいない。けれども、宗教は、阿片であるとは、決して思っていない。彼らの存在価値は認めている。方向性も原則もクソ乏しい人間が、ある一つの法則の下に、他人に迷惑をかけることなく生きてゆけるなら、それはそれでいいと思っている。この他人に迷惑をかけないというところが、ミソなのだが・・・
また、極楽も地獄も信じてはいないのだが、先人の龍はんが地獄があると書いていることなので、ここでは彼を立てておくのが礼儀だろう。龍はんがあると言うのなら別にあったって、私には何の差し支えもないからだ。
むーみぃ姫の恋は、果たして、いわゆる「純愛」だったのだろうか?
つづく