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絵じゃないかぐるーぷ
平成初めの頃です。
題名変更版
* 良ヒネの娘を助けろ!(007)
またまた、深夜のことである。
「縄通」ネットで、緊急連絡が入った。知理・芥グループの下ピーからであった。
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至急、オッさんへ、
「招請状」
わがグループの総帥「龍」先生が、止むを得ない事情により良ヒネの娘を生きたまま、焼き殺す罠に陥ってしまった。
わがグループとしては、人道的な立場により、こういう悪業を黙って見逃す訳にはゆかないので、就いては、その行為を阻止するために、わがグループとして、総力を上げて取り組むことになったのだが、何しろこちらは、まだまだ力不足。枯れ木も山の賑わい、オッさんもここは一つご協力お願いします。
なお、この件について、詳しいご相談をしたいので、次の土曜の夜、必ずおいで下さい。
知理・芥グループ
(文責・下ピー)
平成H年3月DD日
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「縄通」ネットとは、「縄文通信」ネットの略で、人間界と間界との交流を計るために設けられた通信網であり、知理・芥グループとは、小説家「芥川龍之介」はんにより産み落とされた創作の世界に住む人々が、彼の冷たい仕打ちに憤懣を表明して作ったグループである。
が、しかし、彼らも、そこは大人の器量を持つ面々、産みの親は親として、「龍」はん、あるいは、「龍」先生と呼んでグループの名誉職として奉っている。まだ彼らの組織化はあまり進んでいなく、現在10名足らずの小じんまりとした集まりである。本拠は生駒の象頭の生神・バナイランの神殿内に置いている。
バナイランは、あの象鼻を巧みに生かして、新興宗教を作り、信者獲得の為に日夜努力している最中だ。下ピー、並びに、彼に羅城門で着物を剥ぎ取られたガラバァは、バナイランの助手としての仕事に情熱を燃やしている。
イモンガーは、バナイランの資金援助により、参拝にくる人々の為に、門前で京の高級料理「芋粥」商売を始め、今ではチェーン店を全国に拡げようと東奔西走している。
六の宮のむーみぃ姫は、道成寺の「蛇ん蛇ん連合」の情熱牝蛇・キヨヒメ議長の下で、乳母の吸ばばとともに、今は落ち着いた暮らしに入っている。
蜘蛛の小さい生命にまで気を配り、そのため不幸な殺人を犯し、不運な人生を歩んだカンダタは、私のちょっかいと唐招提寺の観音はん、観女センティの進言により、ブツブツ教の始祖ブツブツはんの粋な計らいにより、極楽と地獄の境で、門番として、採用されている。
以上が、このグループの簡単な説明と構成員の紹介である。
下ピーたちは、みんな現代風に改名した。センスに乏しいこの私が手助けしたものだから、変テコリンなネーミングばかりになってしまった。
そのうち現代の様子も分かって、住み慣れてくると、バンバン不満の声が上がってくるように思う。まだまだ生きる余裕に乏しいので、今はそこまでは頭が回らないようだ。
それにつけても、総じて、小説家などと呼ばれている輩は、皆がみんなエゴイストで、他人のことなど、使い捨て商品以下に取り扱っている。使用する時は、君が主人公だなどと煽てておきながら、己の興味が無くなると、いとも簡単に空缶同様ポイと投げ捨ててしまう。
書かれた者には、一人ひとり何物にも代えがたい貴重なその後というものがあるのに、モノ書き連中は、そ知らぬ顔をして次から次へとあたかも蝶が花の蜜を求めるごとく、いいとこ取りばかりして立ち去ってしまう。中には、蜂により交配の恩恵を受ける花もあるだろうが、最後まで責任を持って見てやるのが、蜂と人間との違いではないのだろうか。
私は、ふとした出会いから、京都の夜の街をウロウロしていた下ピーと知り合いになってしまった。その下ピーから、良ヒネの娘が生焼きにされると言ってきている。私は、すぐにはピンとこなかったので、例の「芥川龍之介集」をめくってみた。60頁の半ばごろの「地獄変」のことを指しているのだろう。
1918年(大正7年)、龍はん27歳、2月に結婚して、まだ新婚ほやほやだ。5月までに、この話を完成させて「大阪M新聞」に発表しなければならないようだ。その新聞社と社友契約して、まだ日も浅い。結婚と同じ月に契約しているから、いいところも見せたいのだろう。月に報酬を50円も貰っているのだから、張り切らざるを得ないに違いない。
27歳で新婚!
女中さんを一人雇える!
(何と優雅な生活なのだろう)
それにつけても、才能に恵まれている者には、どうしてあちらこちらから「お助け手」が伸びてくるのだろう。私からすれば、これは逆だと思うのだが、世の中の常識がそうなっているのだから、ガタガタ言っても詮なきことだ。
いつかゆっくり「縄通」ネットの運営責任者(シス・オペ)でもある観女センティと、お助け手の伸ばし方について論争してやろう。どうも腑に落ちない。お助け手の差し伸べ方が、必要な所と不必要な所を吐き違えて捉えているんではないのかいって。
新婚の龍はんも、良ヒネに負けず劣らずヒネている。何も新婚の、この時期にこんな残酷なお話を作らなくってもと思うのだが、書いているものは仕方ない。誰が何を言ってもいう事を聞かないだろうから、結局はその筋に従って小細工を試みるのが関の山だろう。
つづく