絵じゃないかおじさん

言いたい放題、自由きまま、気楽など・・・
ピカ輪世代です。
(傘;傘;)←かさかさ、しわしわ、よれよれまーくです。

仮想はてな・ストーリィ キヨヒメの整形手術 3/6

2015-01-03 07:47:28 | 仮想はてな物語 

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絵じゃないかおじさんぐるーぷ






眉毛に睫に二重目蓋の鰻の尻尾を持った足のある蛇!
見慣れるまでに、こりゃ苦労するでぇ。何しろ相手も悪い。気の強い情熱蛇の女キヨヒメのこと。皆から笑われて、オレにものすごい敵対心を抱くのではないか。あの執念で逆恨みされたら適わん。



オレ、Sサヤカにまたがり、世界中を逃げ回らなければ、ならなくなりそうだ。ああ、また軽口を叩いてしまった。しかし、火の粉を播いたのは、このオレ。何とかせねばなるまい。それにしても、キヨヒメのすごい決断力、いつもながら感心させられる。



オレは、「縄通」ネットのシス・オペ観女センティに個人メールを送って相談した。当然、彼女はオレの提案を読んでくれていた。{壷阪寺の千手千眼観音は、目のあたりの整形の専門家だ。私が連絡しておいてあげるから、行ってみなさい}と書いていた。



 壷阪寺と言えば、家からバイクで、20分ほどの所にある「お里・沢市」で有名な「壷阪霊験記」の舞台となった寺である。西国33ケ所の6番目にあたる寺でもある。



オレは、早速、整形手術の手配を始めた。整形後のキヨヒメの姿を見て、100人居れば100人とも笑い転げるであろうと思われるので小細工が必要だ。何をどうしたらよいか解らないので、またも悩んだ。ちょっと何かに首をつっこんでは悩んでいる。いつになっても変わらない、この性分。我が事ながら、ほとほと愛想がつきる。オレは2週間ほど考えた。考えた割には単純なものだ。



その一つは、あの山の辺の道の傍の古井戸に住む蛙の井戸ッカにヘソをつけることだった。もう一つは、鏡の精ヤッタールに自己暗示をかけてもらうことにした。



オレは、サヤカで久しぶりに井戸ッカに会いにいった。ずっと昔に太平洋に連れていって以来の再会だ。奴の好物のシーフードの缶詰をお土産に持っていった。奴は腹を天に向けてプカプカと気持よさそうに浮いていた。



{オーイ、井戸ッカ、久しぶりー}
{おう、誰かと思えば、オッさんかぁ。今日は何の用だーい}



 オレは、井戸ッカにヘソをつける相談した。奴にとってのメリットを大宣伝しなければならない。オレは奴のヘソの中にテレパシー通信用の送受信装置を埋めて貰う予定にしていた。そうすれば奴の世界も拡がるだろうと思ったからだ。


それに、もう一つはキヨヒメと引き合わせることにより、蛇族に井戸ッカを承認してもらうことである。キヨヒメの熱い息吹を掛けて貰うと2度と蛇族に襲われることもないだろう。



この2つの目玉プレゼントは、井戸ッカの心を揺さぶったようであった。それに、もう一つお負けに、わが家のコロを通して飛行術も授けてやってもいいと言ってやった。いっぺんに3つも福が舞い込むので井戸ッカは何とか承知してくれた。



それにしても、何とまあ気前の良いオッさんだこと。
実はこれには深い深い根回しがあるのだ。オレにはその場でパッと決められるような決定権など何一つない。



家の中のことだって、そうだ。すべてOさんが取り仕切っている。邪魔くさいのだ。一々そんなものに関わるのが煩わしい事もある。面倒な事はOさんに任せてオレは会社の往復して、土曜日にサヤカと共にツーリングでもしていればそれですこぶる機嫌がいい。そんな訳でOさんも余程の事がない限りオレに相談などしない。相談されると煩わしいが、かといって無視されるのもいい気持はしない。この兼ね合いが難しいのだ。



オレが、今は相談してもいい、今日はダメだとか顔にでも書いておけばいいのだろうが、そんなことは出来ない相談だ。Oさんも段々とオレのそういう気紛に嫌気がさして一人で判断するようになったのだろう。夫婦の関係は、何らかの因果関係があるはずなのだが、お互いそれを認識出来ないでいるから、不仲になるのだろう。幸い、オレはOさんから、ゴキブリ・オッさんとからかわれてはいるが、心の底では愛されていると思い込んでいる。



また、話が横道に逸れてしまった。どうも、これは性格のようだ。道路を走っていても、パッと本道を外れて横道に入り込む。そこに何かいいものがあるという訳でもないのに、何かいいことがあるような気がするのだ。行き当たりばったりの運転をする。それが、また楽しいのだから、それはそれでいいのだろう。己の道は己で選ぶものだから、そんな走り方があってもいいと思っている。わぁ、またまた逸れた。


キヨヒメとて元はと言えば、か弱い女の身。慣れぬ手術は恐いはずだ。彼女の手術の前に井戸ッカのヘソ付けで先鞭をつけてやれば、彼女に安心感を与えるだろう。そのお礼に息を吹き掛けて蛇族の不戦承認印を与えてやる。そういう裏取引を相談していた。キヨヒメにすれば、いとも簡単なことだ。息の吹き掛け一つで心強い実験台が生まれるのだからありがたいことだろう。それに、イメージ・チェンジは、彼女の望む所。だが、先頭に立つには勇気がいる。井戸ッカのヘソ付けは生け贄作戦だ。



また、蛙のヘソ付けは、彼女にとって笑いの対象となるだろう。己が笑われる者は笑うべき対象を持つことにより救われる。そこにオレの逃げがあった。キヨヒメは、きっと皆から笑われる。笑い倒されるに違いない。だが、井戸ッカのへんてこりんな出ベソも笑われる。空飛ぶ出ベソなどと話題になれば、キヨヒメへの笑いも緩和されるかも知れない。しかし、井戸ッカには今までにない超メリットが3つも生まれるのだから、笑われることなどヘの河童だろう。そしていつかは皆の興味も薄らいで鼻も引っ掛けなくなってくるだろう。




鏡の精ヤッタールには、キヨヒメが己の姿に違和感を抱かぬように映し出して貰うことにした。己さえ気に入れば、誰が何と言おうと、ちょっとやそっとの事では動じぬからだ自信さえあれば少々の他人の笑いなど吹き飛ばせるように思う。ブスでも3日も見れば見慣れるの例えもある。まあ、75日も辛抱すれば誰も何も言わなくなるだろう。その75日辛抱する心を、キヨヒメに持たせて欲しいと頼み込んだ。



                                  つづく


あ@「西国バイク行」   1/8

2015-01-03 07:46:23 | 雑文集

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 91年8月24日より91年10月26日まで、
 延べ8日間で、
 西国33ヵ所を、バイクで廻りました。
(これは、そのころのつぶやきです。
 ワープロに打ち込んでいたものを、行換えなどして、
 時代に合うように(実体は、機械に合わせるため)
 再編集いたしました。内容には、極力触らないように
 しています)


 バイクの走行距離数、約3,100km。
 ガソリンの消費量、約100リッター。


 排気ガスのまき散らし、かなりのはず。
 しかし、資料が無いので、
 詳しい数字はつかめません。


 では、日を追って、
 短歌らしからぬ、
 短歌つきの拙き文を連ねてまいります。


 お読みづらい点、
 カンノンさまの、
 お慈悲の心を学ぶと思って、
 西国33ヵ所めぐりに、
 おつきあいいただければ、幸いに存じます。



 その日は、午前8時半に、
 奈良県S市の自宅を出発しました。


 バイクの走行メーターは、
 17,398kmを指していました。
 利用した主な国道は、
 168号、42号、24号線です。



  粗末なる 心溢れて 流されて 
   抗し難きは 内なる己


 私は、何のために生きているのだろう?

 何をするため生まれ落ちてきたのだろう?

 ものごころがついた時から、
 30数年にもなりますが、
 これらの疑問は、
 その頃から、今だに私を襲って来ます。

 おそらく、
 これらの疑問に対して、
 私は、
 一生明快な解答を、
 見出せないように感じています。
 それも一つの人生であろうかと、
 思っております。

 このごろでは、
 そう考えることが、
 私に課せられた義務であるのではないかと、
 思うようになってきております。

 人生、生きれば生きるほど、
 心が汚くなってゆくように感じます。

 もともと、私の心が、
 清いものであったなどとは、
 思いもしませんが、
 実感としましては、柵に絡みつかれて、
 心が、ますます縛られて来るように
 感じているのです。



  真っ黒い 衣服に包まれ 観音の
    み心求めて ただに路走る



 私は、
 バイクに乗る時には、
 季節に関わらず、
 黒いヘルメット、
 黒い革のジャンバー、
 黒い革のスラックス、
 黒っぽいロングブーツ、
 革の手袋で、身を固めます。


 黒い色は、
 私の気持ちに、
 似合っているように思われるし、
 革製品は、常に、転倒することを、
 想定しているからです。

 そういう出で立ちで、
 交通法規を守って乗っていれば、
 バイクといえども、
 99%は、
 大怪我をしないように思います。


 けれども、
 歩いていても、
 ビルからの落下物や、
 交通事故に遭う時代であります。


 どんな事故に遭うのか、
 想像もつかないというのが、
 正直なところです。



  バイクなど 乗らぬに越したこと 無けれど
   乗るは行なり 生の刻みつけなり


 私の黒ごきぶりのような姿を見て、
 妻は、いい歳をしてとからかいます。
 しかし、
 じっと寝て過ごしても、
 時間は流れます。


 ということは、
 人生の持ち時間が、
 費消されるということでもあります。


 私は、出来れば、
 己の納得ゆく形で、
 時間を使いたいと思っています。


 かといって、その時間、
 バイクに乗りなさいと、
 言っているのではありません。

 バイクは、鉄を中心素材として、
 実に様々な資源から合成された、
 現代的な商品であります。

 動かすには、石油がいります。
 走れば、NOxなどとも、
 無縁ではないでしょう。
 道路も痛めます。
 痛めれば、修理の期間も短くなります。

 このように関連づけてみてゆきますと、
 私の一挙手一投足が、
 これでいいのか、
 これでいいのかという、
 疑問符つきの行動に変わってきます。


 これは、私たちの暮らしの、
 一つひとつについても、
 言えるのではないでしょうか。
 けれども、一人では、どうしようも出来ません。


 人間は、息をすれば、
 酸素を消費して炭酸ガスを吐き出す存在です。

 この炭酸ガスが、
 地球の温暖化に、
 拍車をかけるというではありませんか。

 そうして、
 もう一つの命の綱である食料品は、
 農薬や化学肥料の恩恵を、
 被っているものばかりです。

 今の時代、
 農薬や化学肥料なくして、
 作物を大量供給するのは、
 不可能なような気がします。

 また、食料品を加工するには、電気やガスが必要です。

 このように、
 生活に係わる一切のものが、
 地球環境にとっては、
 良くないのでは、
 という指摘も、なされています。

 一人ひとりの人をとってみれば、
 大したことはないのでしょうが、
 50億もの人となると、
 話は変わってくるのでしょう。


 それでは、

 いったい、私は、どうすればいいというのでしょう。

 正直なところ、私は、どうしていいのか分かりません。

 分かりはしないので、
 安易な生活を送り続けている、
 というのが本音のところです。

 厳密に、
 ものごとのつながりというものを、
 求めてゆきますと、
 人間のまま、
 一日生きるということは、
 悪事の数々を犯しているということに、
 つながってしまう、
 ご時勢でもあります。

 好ましくない知恵というものが、
 つきすぎたのかもしれません。

  あの世など 在ればあるで良し 無いならば
   それもまた良し われは合わせん



 そんなことを考えますと、
 もし、地獄というものがあるのなら、
 地獄に送りこまれるとしても、
致し方ないのではないでしょうか。


 未来に続くであろう、
 子々孫々のことを深く考えもせず、
 日々の欲望を満たす、
 消費生活を謳歌しているのだから、
 当然の報いではないでしょうか。


 人間の存在が、
 決して讃められたものではないのだから、
 仕方ありますまい。


 まあ、仏教の教えに従えば、
 今ごろ、人間界をうろついている者は、
 下等な有情ばかりなのだから、
 世の中、悪くなる一方であるというのが
 道理というものでしょう。


 上等な有情は、さっさと悟りなるものを開いて、
 輪廻という無限のループからは、
 とっくに足を洗って、
 ご浄土に生まれ変わっているのだから、
 残るはクズばかりと、
 言われても仕方ありません。

  しかし、
 私は、地獄に送られたとしても、
 単純な地獄の生活は、送りたくはありません。

 改革できるところがあるならば、
 精一杯の抗議をしてみるつもりでいます。

 そのためには、
 地獄の道理というものを学ばねばなりますまい。

 ただ、私としましては、
 芥川龍之介の言うように、
 地獄に住み慣れしたくはないと
 思っているのであります。


  納め札 写経も判も 目に止めず 
   ただに巡るは わが行の道


 私は、仏教徒ではありません。
 といっても、外人などの眼を借りれば、
 非の打ちどころのない仏教徒に
 見えるのではないのでしょうか。


 今の時代、
 カンノンさまに魅かれて、
 西国めぐりをするのだから、
 そう見られても、当然のように思います。


 そうです。

 私は、カンノンさまの信者なのです!


 と、言いたいところなのですが、そうは問屋が卸しません。


  経ひとつ 口にせぬ身に 観音は
   如何なる教えを 授け給うや


 私は、お経が読めません。
 縁もありません。

 といっても、
 四国の生家は、真言宗であったのだから、
 小さい時から、仏教に親しんで育ったという、
 事実は否定できません。

 それを縁と呼ぶのなら、
 縁と呼んでいただいて、一向に差し支えございません。


 さて、少しばかり本道に戻ります。

 熊野あたりから小雨が降ってきました。
 新宮あたりに入る頃には、大雨に変わってまいのました。
 この分では、前途が思いやられます。

  しばし待て ふだうつ心を 止め正す
   阿吽の仁王の 闇の大き手


 青岸渡寺の477段の石段を、
 小雨に濡れながら、
 重いロングブーツで
 小走りで歩いて登ってゆきました。

 山門の仁王さまの手が、
 なぜか、
 「お前のようなものの来るところではない」と、
 私を制止しているように感じました。

 その日は、午後の9時半に自宅に帰りつきました。
 帰りも雨に悩まされたのは言うまでもありません。

 帰り道にある、紀三井寺、粉河寺にも寄りたかったのですが、
 雨で予定が大幅に狂ったので、寄れませんでした。
 最近では、お寺さんも、
 午後の5時前後には、門を閉めてしまう所が多いようです。

 これも、世の流れの一つなのでしょう。

                    
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仮想はてな まりあカンノン・ストーリィ  007

2015-01-03 07:45:07 | 仮想はてな物語 

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 バナイランは、姫の報告を聞いて、彼の腹案を打ち明けました。前々から言うと、マース・ブラックに伝わり妨害されるからと黙っていたそうであります。この場に及んでは、あまりいい代替案も無かったものですから、みんな彼のアイデァに乗ることになりました
 この後は、バナイランの指揮下に入ることになりました。以下、彼の指図のもとに行なわれた龍先生お救い作戦の実況中継でもあります。

 キヨヒメは、大蛇に変身した。顔は、龍そっくりであるが、ヒゲはない。目は、真っ赤なホウズキのようであり、身体は緋鯉のようにカラフルであった。数十色のイルネネーションつきのサービスまでしてくれる。さすがに迫力満点。
「むーみぃ、レッツ・ゴー!」
 紅蓮の炎を吐き散らしながら、戦いに赴いた。むーみぃ姫も、善魂の生霊に戻り、後に続く。たちまちにして、黒雲には、稲光が四方八方から飛びかい、雨風が強くなった。しかし、地上からは彼らの戦いは何一つ見えなかった。マース・ブラックの黒雲が、下の方の層で幻覚を与えているのだろう。

 もう24日の日曜がやってきていた。龍はんが、睡眠薬を飲むのは、午前1時半すぎである。早く説得にゆかなければならない。バナイランは、あくまでも自殺を阻止する作戦を立てたのだ。

 最近では、芋粥作りも名人わざの域に達しているイモンガーが、睡眠薬に似せたある画期的な丸薬を開発した。この薬を飲むと肉体と精神の分離が可能になり、創作の世界でも生き続けられるという。睡眠薬の一部に、この丸薬をまぜこむのが、ゴキオーラの役割になっている。

 バナイランと下ピーとが、龍先生に直接説得に行くというので、黒雲バリヤー外の空き地に、タイタイが着陸した。キヨヒメたちの死闘が、覗き窓から飛び込んできていた。

 マース・ブラックは、龍先生が日頃から死ぬ死ぬと口にするので、その度に超天才のエネルギーを受けて強大になるという。彼の力を弱めるには、龍先生が死なないぞと30回も唱えれば済むということだ。バナイランたちの目的は、龍先生に死なないぞと唱えてもらい、睡眠薬を致死量手前で飲むことを止めてもらうことであった。

 二人は、我鬼窟へと急いだ。四ツ目垣のすき間から、離れの8畳の書斎へと忍びこんでいった。二人にとっては、なつかしい所である。新築したばかりの、この家で二人とも、龍先生にこの世に送り出してもらったのだ。増築したとはいえ、見覚えあるものも多かった。虫の音が、止まる。空には、天の川がサラサラと流れているようだった。二人は、渡り廊下の奥にあるトイレの近くの庭で待った。龍先生は、寝る前には必ずトイレにやってくる。睡眠薬を飲むのは、トイレの後と決まっていた。

「龍センセー」 バナイランのなつかし気あふれる声が、そっと飛んだ。よろよろと歩きかねているような龍はんの目が、ぎょろりと夜の月に光った。それと同時に、驚きの表情もうかがわれた。

「こんなに夜分すみません。私ですよ。私、禅智の、な・い・ぐ」
「センセー、私、行方不明ではありませんよ。下人ですよ、あの下人ですよ」
 下ピーは涙ぐんでいる。
「おおっ、君たちかっ! また 、どうして、今じぶん」
「センセー、自殺するつもりなんでしょう」

 龍はんは、力を振り絞って、裸足で庭に飛びおりてきた。
「内供どの、どうしてそれを?」
「センセー、どうか自殺などはしないで下さい」


                               この項おわり





あ@英訳ドン作川柳集903 大しわに小じわぶら下げしわだらけ

2015-01-03 07:43:24 | ぶろぐ(迷瞑謎名英訳付き)


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   *  大しわに小じわぶら下げしわだらけ







  (ドン作川柳 → 無料 英訳 → 無料 和訳戻し)

    大しわに小じわぶら下げしわだらけ        ドン作(ちふ+)

            ↓
    Full of wrinkles fine lines hanging in large wrinkles  

            ↓           
    大しわにぶら下がってシワのフル小じわ  
 


                               おわり


仮想はてな Oあゆか
仮想はてな ドン作


あ@つぶつぶ(日々)264 今日もまた日が過ぎてゆく夏盛ん

2015-01-03 07:41:48 | ぶろぐ(迷瞑謎名英訳付き)



多層構造ぶろぐ→Multilayer structure blog

ピカ輪世代(世に団塊とも)の一断面を目指して。


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*  English translation 


  264 今日もまた日が過ぎてゆく夏盛ん



        ↓
      (ほんやっ君のとある無料の英訳)

    The thriving summer day Yuku past also today
         ↓
      (ほんやっ君のとある無料の和訳戻し)

盛んな夏の日ゆく過去にも、今日






     この項おわり



つぶつぶ(22”22”)・・・・・