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絵じゃないかおじさんぐるーぷ
* キヨヒメの恋
キヨヒメの手術後の様子が気に掛かるので「縄通」ネットで問い合わせをしてみた。傷口は少々痛むが、経過は良好だと言っていた。それにしても、思い切ったことをする気になったものだ。単純にオレの勧めに乗ったものとは到底思われない。これには、きっと何か深い訳があるに違いない。そう睨んだオレは、それとなく彼女に聞いてみた。
なかなか彼女は打ち明けてくれなかったが、一週間も見舞いがてら毎日メールを送っていると、ポツリポツリと語り始めてくれた。以下、その内容の一部である。巷に伝わっている噂話とはかなりの差がある。誤解されている面もあるようだ。かといって、世間の口を封じることは難しい。一度誤った固定観念が流布すると世間はその過ちを正そうとはしない。誰かが情熱を傾けて、力を注いでやらないと崩れ落ちそうにない厚い壁に覆われるからだろう。
キヨヒメは、国道42号から朝来で311号に入り、20分ばかり走った真砂に住んでいた。恋に恋する乙女であったという。純情可憐な乙女は、来る日も来る日も、いつか目の前に素晴らしい男が現われ、身も心も焼き尽くすような、それはそれは激しい恋をしてその絶頂点で結婚し、可愛い男の子と女の子を二人ばかり生んで、幸せな日々を送りたいと望んでいた。
そんなある日のこと、彼女の家にアンジンが訪れた。彼は修業中の身であった。偉い坊さんになりたい一心で精進に精進を重ねる青年であった。しかし、彼とて女に無関心であるはずがない。いつか目的を果たした暁には可愛いお嫁さんを貰って幸せに暮らしたいと望んでいた。
アンジンを一目見た時、キヨヒメはぴんと来たそうだ。電流が後頭部から足元にかけてビビッと走り抜けたそうだ。服装は薄汚れ、顔はヒゲだらけの弱々しそうな青年であったにも拘らず、何かを一心に求めている青年の眼は深く何処までも澄んでいて、その底を知らぬような深さは、彼女の心を一瞬の内にとらえたそうだ。一瞬惚れである。
そういう事が出来る人間は、数少ない貴重な存在である。本人が、そういう努力をし、心を毎日毎日磨いていれば、ある日突然に訪れるものなのだろう。心を研ぎ澄ますことによって相手になる者も限られてくる。人を見る眼が出来てくるからだ。相手を感覚的に選択出来る能力が培われるからだろう。恐らく、これは彼女の日頃の努力の賜だったのだろう。
オレは、アンジンにまだ会ったことがないので、彼のことはキヨヒメからの受け売りだ。アンジンには、アンジンの思惑というものがあったのだろうが、それを知る術は今の所何もない。そのため、オレの解釈も付け加えることにした。恋だの愛だのというものは二人の心を同時に切り開いて見たりする事は出来ないから、結局は、どちらかの立場の側から一方的に見た一人芝居であるように思っている。
人の心と心の比較など出来ないし、深さの判定も下しようがないのだ。キヨヒメのアンジンへの想いとアンジンのキヨヒメへの想いとは、どちらがどれだけ強かったのかは、オレにはよく解らない。世間一般には前者の方が強かったと言われているが、そんなことは二人の言い分を突き合わせてみないと実際には解らないのだ。アンジンもキヨヒメを一瞬にして引き付ける男、並々ならぬ情熱を秘めていたに違いない。
彼もキヨヒメが彼を待っていたように、高徳の僧になることを念じ続けていた男だ。人は夢があるから魅力がある。そんなことはアンジンは百も承知だったのだろう。キヨヒメは可愛いし美しい。それに、そのころは今のじゃじゃ馬とは違い可憐でもあった。夢も希望もかなぐり捨てて、彼女と恋の深みに陥りたい。しかしながらそんな夢を無くした生活など、乞食坊主にとって何日持つというのか。キヨヒメを乞食に巻き込むようなそんな奈落の底へは落ちこみたくはなかったのだろう。
それを避けるには彼が一人前の僧侶になる以外にはないのだ。だが、キヨヒメには、そんな心の余裕はなかったのだろう。何百日も何年も待ち続けていたのだ。放っておけば、アンジンが何処でのたれ死にをするか知れたものではない。
高徳の僧になれるという保証も無い。その上、いま彼をしっかり捉まえておかないと、彼がどんな女を好きになるか知れたものではない。一寸先は闇の世界なのである。諸行は無常を常とするのだ。今日を確実に捕まえることによってしか、彼女の明日の保証はなかった。
つづく
絵じゃないかおじさんぐるーぷ
* キヨヒメの恋
キヨヒメの手術後の様子が気に掛かるので「縄通」ネットで問い合わせをしてみた。傷口は少々痛むが、経過は良好だと言っていた。それにしても、思い切ったことをする気になったものだ。単純にオレの勧めに乗ったものとは到底思われない。これには、きっと何か深い訳があるに違いない。そう睨んだオレは、それとなく彼女に聞いてみた。
なかなか彼女は打ち明けてくれなかったが、一週間も見舞いがてら毎日メールを送っていると、ポツリポツリと語り始めてくれた。以下、その内容の一部である。巷に伝わっている噂話とはかなりの差がある。誤解されている面もあるようだ。かといって、世間の口を封じることは難しい。一度誤った固定観念が流布すると世間はその過ちを正そうとはしない。誰かが情熱を傾けて、力を注いでやらないと崩れ落ちそうにない厚い壁に覆われるからだろう。
キヨヒメは、国道42号から朝来で311号に入り、20分ばかり走った真砂に住んでいた。恋に恋する乙女であったという。純情可憐な乙女は、来る日も来る日も、いつか目の前に素晴らしい男が現われ、身も心も焼き尽くすような、それはそれは激しい恋をしてその絶頂点で結婚し、可愛い男の子と女の子を二人ばかり生んで、幸せな日々を送りたいと望んでいた。
そんなある日のこと、彼女の家にアンジンが訪れた。彼は修業中の身であった。偉い坊さんになりたい一心で精進に精進を重ねる青年であった。しかし、彼とて女に無関心であるはずがない。いつか目的を果たした暁には可愛いお嫁さんを貰って幸せに暮らしたいと望んでいた。
アンジンを一目見た時、キヨヒメはぴんと来たそうだ。電流が後頭部から足元にかけてビビッと走り抜けたそうだ。服装は薄汚れ、顔はヒゲだらけの弱々しそうな青年であったにも拘らず、何かを一心に求めている青年の眼は深く何処までも澄んでいて、その底を知らぬような深さは、彼女の心を一瞬の内にとらえたそうだ。一瞬惚れである。
そういう事が出来る人間は、数少ない貴重な存在である。本人が、そういう努力をし、心を毎日毎日磨いていれば、ある日突然に訪れるものなのだろう。心を研ぎ澄ますことによって相手になる者も限られてくる。人を見る眼が出来てくるからだ。相手を感覚的に選択出来る能力が培われるからだろう。恐らく、これは彼女の日頃の努力の賜だったのだろう。
オレは、アンジンにまだ会ったことがないので、彼のことはキヨヒメからの受け売りだ。アンジンには、アンジンの思惑というものがあったのだろうが、それを知る術は今の所何もない。そのため、オレの解釈も付け加えることにした。恋だの愛だのというものは二人の心を同時に切り開いて見たりする事は出来ないから、結局は、どちらかの立場の側から一方的に見た一人芝居であるように思っている。
人の心と心の比較など出来ないし、深さの判定も下しようがないのだ。キヨヒメのアンジンへの想いとアンジンのキヨヒメへの想いとは、どちらがどれだけ強かったのかは、オレにはよく解らない。世間一般には前者の方が強かったと言われているが、そんなことは二人の言い分を突き合わせてみないと実際には解らないのだ。アンジンもキヨヒメを一瞬にして引き付ける男、並々ならぬ情熱を秘めていたに違いない。
彼もキヨヒメが彼を待っていたように、高徳の僧になることを念じ続けていた男だ。人は夢があるから魅力がある。そんなことはアンジンは百も承知だったのだろう。キヨヒメは可愛いし美しい。それに、そのころは今のじゃじゃ馬とは違い可憐でもあった。夢も希望もかなぐり捨てて、彼女と恋の深みに陥りたい。しかしながらそんな夢を無くした生活など、乞食坊主にとって何日持つというのか。キヨヒメを乞食に巻き込むようなそんな奈落の底へは落ちこみたくはなかったのだろう。
それを避けるには彼が一人前の僧侶になる以外にはないのだ。だが、キヨヒメには、そんな心の余裕はなかったのだろう。何百日も何年も待ち続けていたのだ。放っておけば、アンジンが何処でのたれ死にをするか知れたものではない。
高徳の僧になれるという保証も無い。その上、いま彼をしっかり捉まえておかないと、彼がどんな女を好きになるか知れたものではない。一寸先は闇の世界なのである。諸行は無常を常とするのだ。今日を確実に捕まえることによってしか、彼女の明日の保証はなかった。
つづく