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絵じゃないかおじさんぐるーぷ
* 東方の鼻人・その2
「
「鼻」は、大正五年(1916)二月の第四次「新思潮」に掲載され、
同年四月の「新小説」に再掲された。
芥川の文字通りの出世作であるとともに、
代表作の一つとして文学史的にも重要な短篇である。
池の尾の禅智内供は、その腸詰めのように大きな鼻で有名であった。
内供は始終この鼻を苦に病んでいたが、それを人に知られたくないので、
気にしていないようによそおっていた。
しかし、実際に鼻の長いのは不便であった。
飯を食う時にも、弟子に鼻を持ち上げていて貰わねばならない。
ある時など、代理の中童子がくさめをしたために、
鼻が粥の中へ落ちたことさえあった。
それに、内供はこの鼻によって自尊心が傷つけられるために苦しんだ。
世間では、あの鼻だから出家したのだろうと批評する者さえあったからである。
内供は、自分のような鼻を持つ人間を注意して探したが見当らなかった。
書物の中に鼻の長かった人物を求めたが、それも無駄であった。
ところがある年の秋、京へ上った弟子の僧が、知人の医者から
鼻を短くする法を教わってきた。
内供は弟子の勧告に従ってその療治を施した。
療法というのは、湯で鼻を茹でて、それを人に踏ませるという簡単なものであった。
茹でられた内供の鼻を踏んでいるうちに粟粒のように吹き出てきた脂を、
弟子の僧はケヌキで抜き取った。
そしてもう一度茹でると、内供の鼻はすっかり短くなっていた。
こうなればもう誰もワラうまい・・・・・・と、鏡をみながら内供は考えた。
しかし二三日たつうちに、訪問客や中童子や下法師などが、
人なみになった内供の鼻をみて、かえって意地の悪い笑い方をするようになった。
彼等のこの冷たい態度は、いままで他人の不幸に同情していた傍観者が、
当人が不幸を切り抜けると物足りなくなって、もう一度不幸な状態に陥れてみたいと
思うあの利己主義のためだと、内供は思った。
そこで内供は日毎に不機嫌になっていった。
内供には鼻の短くなったのが、かえって恨めしく思われた。
するとある晩のこと、鼻がむず痒くむくんできて熱もあるようであったが、
翌朝起きてみると、内供の鼻はもとの大きさに戻っていた。
内供はなぜか晴れ晴れとした心持になった。
」
以上の文は、塩田良平さんが、「芥川龍之介」(學燈社)で書かれている、
短篇小説「鼻」の梗概であります。
これを読んでみますと、鼻の形はもとのままでも、
内供センパイの心は180度変わっていて、
心の中は瑠璃色そのものです。
なお、ここからは、親しみをこめて、
禅智内供どのをセンパイと呼ばせていただきます。
ワタシも、そういう世界に入りたい。
彼に、あやかりたい。
塩田さんの解説によれば、簡単に解脱できそうです。
ワタシは、内供センパイの智恵を学び取ろうと思いました。
10回ぐらい繰り返し、読んでみました。
しかしながら、ちっともわが鼻から解放されたという感じを
受けませんでした。
きっと、ワタシの読み方が悪いのでしょう。
心がけがなっていないのかもしれません。
ワタシは、お経のごとく、
朝昼晩、寝る前、夜中に目の覚めた時と読み続けました。
けれども、晴れ晴れとした心持ちにはなれないのです。
これは、いったいどうしたことなのでしょう?
龍センセーの書魂は、こんなワタシを救ってはくれないのでしょう か?
小説を読む姿勢が悪いのではないかと思いましたので、
読む時には、正座することにしました。
一年が過ぎ、2年を越え、もう3年に手が届こうとしているのに、
一向に光明の世界が訪れる兆しもないのです。
もしかしたら、
龍之介センセーは、何かを隠しているのかもしれません。
つづく