彼らは肉体がつかれているために、
何等(なんら)仕事に対して熱情を示さない。
休日の翌日、半日で ともかくも仕事ができるように回復するのは上等で、
一日かかってまだ疲労が回復しないのもある。
なぜこれらの社員は 日曜に休養を得た筈(はず)であるのに、
疲れているのであろうか。
彼等は休養を得る積(つも)りで
出来るだけ楽しもうとするのである。
そして夜遅く迄 精力を尽して
快楽を貪るのである。
そして凡ゆる種類の享楽に憂(う)き身(み)を窶(やつ)し、
時には、いかがわしい所へ通って精力を浪費する。
彼らはそれをレクレーションと思い違え、
「 人生を享楽(きょうらく)した 」 と考えて、
その享楽のために
如何に尊い生命力を犠牲にした事に気がつかない。
『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号
「 完全なる生活設計 」 十六日の法語 谷口雅春先生