「 神と富とに兼ねつかうること能わず 」 と云う聖書の言葉を誤解して、
富めば神様にきらわれるように思い、
「 富める者の神の国に入ることの難きこと駱駝の針の孔を通るが如し 」 と云う言葉を
貧乏にならねば神の国に入れぬと解釈して、
いつも貧乏の生活を青年時代にしていたのは私であった。
今は神の国に入れば無限の豊富さが
自然に備わっていることを知るようになったのである。
「 富 」 を神の国の外に求めるから、
「 神と富とに兼ね仕えること 」 になるのだが、
先ず「 神の国を求めよ、富は自ずから汝に随い来るのである。」
『 生長の家 』 誌 昭和二十三年三月号
二十五日の法語 谷 口 雅 春 先 生