「 私は忙しくて肉体の事など考えている暇がない 」 という人が
あるかも知れない。
然し 忙しければ忙しい程、
吾々はエネルギーを使うのであるから、
どこかにエネルギーの無駄な 「漏(も)れ 」 がないかと、よく検査して、
一寸(ちょっと)でもエネルギーの浪費される部分があったならば、
それを修繕するようにしなければならぬのは 当然の事なのである。
如何に立派な金鉱があるにしても、
その金鉱の金の純分を
その何パーセントしか使わないで
その残余を悉くすててしまうとしたならば
何と惜しい事であろうぞ。
肉体のエネルギーは
金鉱よりも貴いものである。
失われたその日の時間のエネルギーは
再び取り返す事は出来ないのである。
『 生長の家 』 誌 昭和二十四年三月号
「 完全なる生活設計 」 十一日の法語 谷口雅春先生
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