「 肉体というのは 一体 何か 」 というと、『 甘露の法雨 』には
「 心の絲を組合せて、肉体の繭と作り 」 と書かれているのであります。
・・・ 「 我々が何々を欲する 」 といっても、その正体が、
「 肉体 」 という自動装置の 「 心 」 であるか
「 霊(たましい) 」 そのものの 「 想い 」 であるかが問題であります。 ・・・
私たちが 自由を得(う)るには、どこまでも 「 肉体 」というものを
「 人間 」 そのものだと考える考え方を捨てなくてはなりません。 ・・・
「 肉体は人間でない 」 と根本的に自覚することが 「 自我の新生 」 であり、
コンヴァーションであります。 ・・・
・・・ 私たちのように、「 霊的自我 」 に 目覚めた人たちは、
出来るだけ力をつくして、「 肉体は人間そのもの 」 ではなく、
人間が念絃(ねんげん)即ち 「 想念の絃(いと) 」によって弾奏した曲譜が
外界に具象化した形だ ということを人類に知らさなければなりません。
だから 此の神示には 「 生命はその念絃の弾ずる曲譜に従って
肉体を現(あらわ)すのである 」 と示されているのであります。
『 到彼岸の神示 神示講義 自覚の巻 』 ( 187頁 ~ 235頁 要約) 谷口雅春先生
「帰幽の神示 」講義より
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