もし吾々が、神の み心(義ただしさ)の以外のものを求めて、
個人的な欲望を祈願するならば、神は これにこたえることはできない。
傘屋は 「 この傘が売れますように どうぞ雨を降らせ給え 」 と祈るとする。
百姓は 「 今 稲作に必要でございますから どうぞ快晴を与え給え 」 と祈るとする。
こんな自分にとってばかり都合のいい祈りをせられた場合に
神さまは どちらの祈りをかなえてやったらよいとお考えになるか。
一方を立てれば 一方は立たぬ。
結局 かかる祈りに神様がおこたえにならないのは 当然のことである。
『 生長の家 』 昭和二十五年一月号 十四日の法語 谷 口 雅 春 先 生
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます