キリストは 「 凡(およ)そ 吾が名に於いて 何事にても求むる時
天の父は 必ずそれを与え給う 」 と教えている。
実相(キリスト)にある所のものを求めるのが
即ち 「 キリストの名によって 」 求めることなのである。
実相(キリスト)にあるものを祈る時に、
吾々は決して利己的なものを求める筈(はず)がない。
「 吾は愛なり 」 とキリストは いっている。
だから キリストの名に於いて 求める心構えでいるならば、
愛にそむくようなことを求める筈(はず)がない。
必ず 「 これは愛の道にかなうか 」 「 これは神の国を地上に実現するにかなうか 」 と
省みて行うことになるのである。
『 生長の家 』 昭和二十五年一月号 十三日の法語 谷 口 雅 春 先 生
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