生長の家では 「 実相 」 を教える。
実相(じっそう)のうちには、因(いん)もなく 縁(えん)もない、迷いもない、 ・・・・・・
生長の家では 至るところに 「 無(む)よりして いっさいを生(しょう)ず 」 ということを
説(と)いている。この 「 無よりして 物質の無限供給を生ず 」 ということが
「 空即是色(くうそくぜしき) 」 なのであります。・・・・・・
「 色即是空(しきそくぜくう)、空即是色(くうそくぜしき) 」 を
「 物質はない、無よりして いっさいを生ず 」 といったん ハッキリ 截(た)ち切っておいて、
そのもう一つ奥には 実相がある ということを 生長の家では 説くのであります。・・・・・・
こんな憂苦(ゆうく)満(み)つる世界は 本来 無いと 断(た)ち切ってしまって、
劫(こう)尽(つ)きて この世が 大火に焼かれると見る時にも、
実相の世界・本当の実在の世界は、このまま、極楽(ごくらく)であると説くから、
このまま われわれは ありがたくなって、自然に われわれは 現象界でも 厭世観(えんせいかん)に
陥(おちい)らずに 喜んで活動しうるようになるのです。
『 生命の實相 』 ( 頭注版 第21巻 経典篇 「 甘露の法雨 」 講義 135頁~137頁 )
谷 口 雅 春 先 生
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