現世(うつしよ)の限(かぎ)りとして、幽(かくり)世(よ)に還(かえ)りましし、
ここに招霊(しょうれい)し給(たま)いし先祖(せんぞ)代々(だいだい)の霊(みたま)よ。
汝(なんじ)、今(いま)し肉体(にくたい)の繋縛(けばく)を離(はな)れ、
魂(たましい)の本地(ほんぢ)たる浄土(じょうど)に往(ゆ)く。
今(いま) 此処(ここ) 極楽(ごくらく)なること 肉体(にくたい)の繋縛(けばく)を離(はな)れて
愈(いよいよ) 明(あき)らかならん。
ここに招霊(しょうれい)し給(たま)いし先祖(せんぞ)代々(だいだい)の霊(みたま)よ。
此(こ)の土(ど)を何(なん)が故(ゆえ)に、名(な)づけて極楽(ごくらく)と為(な)すか。
その国(くに)の衆生(しゅじょう)、もろもろの苦(くる)しみあることなく、
ただ諸(もろもろ)の楽(たの)しみのみ受(う)くゆえに極楽(ごくらく)と名(な)づく。
ここに招霊(しょうれい)し給(たま)いし先祖(せんぞ)代々(だいだい)の霊(みたま)よ。
極楽(ごくらく)国土(こくど)には七重(ななえ)の欄干(らんかん)あり、
七重(ななえ)の薄絹(うすぎぬ)をもて張(は)りめぐらし、
七重(ななえ)の街路(がいろ)樹(じゅ) 立(た)ちならび、
金(きん)・銀(ぎん)・瑠璃(るり)・水晶(すいしょう)の四(し)宝(ほう)を連(つら)ねたる、
美(うつく)しさ極(きわま)りなき網(あみ)をもって あまねく飾(かざ)り、
その麗(うるわ)しく楽(たの)しきこと限(かぎ)りなし。
故(ゆえ)に名(な)づけて極楽(ごくらく)と名(な)づく。
また、ここに招霊(しょうれい)し給(たま)いし先祖(せんぞ)代々(だいだい)の霊(みたま)よ。
極楽(ごくらく)国土(こくど)には七宝(しっぽう)の池(いけ)あり。
八(はち)功徳(くどく)ある水(みず)その中(なか)に充満(じゅうまん)せり。
池(いけ)の底(そこ)にある沙(まさご)は、純金(じゅんきん)の粉末(ふんまつ)にして輝(かがや)きみてり。
四辺(しへん)には階(かい)道(どう)あり、
金(きん)・銀(ぎん)・瑠璃(るり)・玻璃(はり)をもて合成(ごうじょう)されたり。
上(うえ)に楼閣(ろうかく)あり、金(きん)・銀(ぎん)・瑠璃(るり)・□□(しゃこ)・
紅玉(こうぎょく)・碼碯(めのう)をもって これを厳飾(ごんじき)せり。
池(いけ)の中(なか)に蓮華(れんげ)あり、大(おお)いさ車輪(しゃりん)の如(ごと)し。
青(あお)き花(はな)には青(あお)き光(ひかり)、
黄(きいろ)き花(はな)には黄(きいろ)き光(ひかり)、
赤(あか)き花(はな)には赤(あか)き光(ひかり)、
白(しろ)き花(はな)には白(しろ)き光(ひかり)ありて微(み)妙(みょう)香(こう)潔(けつ)なり。
極楽(ごくらく)国土(こくど)には是(かく)の如(ごと)きの功徳(くどく)荘厳(しょうごん)を
成就(じょうじゅ)せり。
また、
彼(か)の仏(ほとけ)の国土(こくど)には常(つね)に天樂(てんがく)を作(な)す。
黄金(おうごん)をもって地(ち)となし、
昼夜(ちゅうや)六時(ろくじ)に曼(まん)陀(だ)羅(ら)華(け)を雨(あめ)ふらす。
彼(か)の国(くに)に生(う)れたる衆生(しゅじょう)、
常(つね)に心(こころ)清(きよ)くして仏(ほとけ)に供養(くよう)し、
禅定(ぜんじょう)を以(も)って実相(じっそう)を観(かん)じ、
実相(じっそう)世界(せかい)の功徳(くどく)を満(まん)喫(きつ)す。
ここに招霊(しょうれい)し給(たま)いし先祖(せんぞ)代々(だいだい)の霊(みたま)よ。
かくの如(ごと)き功徳(くどく)充満(じゅうまん)せる極楽(ごくらく)浄土(じょうど)に、
今(いま)や汝(なんじ)は生(うま)れたれば、
一切(いっさい)の罪障(ざいしょう) 消(き)え、
自然(じねん)に念仏(ねんぶつ)・念法(ねんぽう)・念(ねん)僧(そう)の心(こころ)を生(しょう)ず。
念(ねん)に随(したが)って、孔雀(くじゃく)・鸚鵡(おうむ)・迦陵(かりょう)頻伽(びんが)等(など)の
名(めい)鳥(ちょう)来(きた)り
囀(さえず)りてその声(こえ)微風(みふう)の如(ごと)く、
汝(なんじ)の耳朶(じだ)をゆるがすに、
その声(こえ)千仏(せんぶつ)の読(ど)経(きょう)の如(ごと)くきこえ
心(こころ) 愈(いよいよ)きよまりて邪念(じゃねん)なし。
ここに招霊(しょうれい)し給(たま)いし先祖(せんぞ)代々(だいだい)の霊(みたま)よ。
汝(なんじ)、心(こころ) 愈(いよいよ) 浄(きよ)まりたれば、
今(いま)ぞ仏(ほとけ)の御姿(みすがた)をみる。
光明(こうみょう)無量(むりょう)にして、十方(じっぽう)の国(くに)を照(てら)すに
障礙(しょうげ)あることなし。
この故(ゆえ)に号(ごう)して阿弥陀(あみだ)と謂(い)う。
彼(か)の仏(ほとけ)の壽(じゅ)命(みょう)無量(むりょう)なるが故(ゆえ)に、
無量(むりょう)壽仏(じゅぶつ)とも謂(い)う。
その国(くに)に生(う)れたる者(もの)、皆(みな)ともに
壽(じゅ)命(みょう)無量(むりょう)なり。
歓喜(かんぎ) 無量(むりょう)なり。
悦(よろこ)ぶべし 悦(よろこ)ぶべし。
ゆえに称(たた)え言(ごと)を唱(とな)えて、次(つぎ)の如(ごと)く
実相(じっそう)円満(えんまん)誦(しょう)行(ぎょう)す。
実相(じっそう)円満(えんまん)完全(かんぜん)
実相(じっそう)円満(えんまん)完全(かんぜん)
実相(じっそう)円満(えんまん)完全(かんぜん)
※ 宗旨を問わない先祖代々供養の場合
( 先祖供養祭で頂いたものを ワードで総ルビにしたものです。 )
※ 経文中の( しゃこ )については、ワードでは表記されるのですが、
ブログでは、表記不可になっております。
( しゃこ ) → ( 石車 石渠 )
『 顕浄土成仏経 』 は、 『 聖経甘露一切を霑す 』 に 所収されております。
http://www.komyoushisousha.co.jp/uruosu.html
昭和50年頃、荒井英太郎先生は、『 人生を支配する先祖供養 』『 生命の實相 』( 第1巻 )ほかを
テキストにして、全国を まわっておりました。
先祖供養の極意について、尊敬 と 報恩・感謝 の念 をもって
① 時間を決めて、
② ご先祖様のお名前を一人一人 呼んで、
③ 三十日間 ( 一行 )、
しっかり、おこなうように勧めております。
聖経は、『 甘露の法雨 』 『 天使の言葉 』『 続々甘露の法雨 』 『 顕浄土成仏経 』
『 日々読誦三十章経 』『 真理の吟唱 』『 続真理の吟唱 』 が、あります。
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