「 神想観についての心得書き 」
谷 口 雅 春 先 生
『 光の泉 』 昭和三十五年十二月号
セオソフィー(霊智学(れいちがく)と訳す)と云(い)うブラバッキー夫人と云うヒマラヤに
住んでおった非常に霊能のある人が始めた宗教があります。
それとの医学的の関係を書いた本を私が最近(昭和三十四年)『 靈智醫学(れいちいがく)と治病 』と
云う翻訳書で出しましたけれども、あのセオソフィーの一派の教祖さんでアメリカに居りま
したアリス・A・ベーリー夫人と云うのがあります。この人は一昨年死にましたけれども、
この人は大変霊能の高い人でした。
それがこの“ 精神集中のために、必要なる練習の仕方としてあげた所の方法 ”は、
これが神想観の時にも非常に参考になるので、紹介いたします。
神想観の時にも斯(こ)う云うような気持でおやりになるが良いと思うのであります。
それで次に引用したわけであります。
( 一 ) 肉体を安らかに どこにも凝(こ)りのないように統制する
「 凝りがない 」と云うことは、「 だらしない 」と云うことではありません。
生長の家では、一番正しい坐り方にあることが、どこにも凝りのない姿勢であるとして、
尻を後方に引き、前方にある膝(ひざ)と尻とで背骨を載せる三角の台たらしめ、
其(そ)の上にちゃんと柱である背骨が立って、重心が一定の処(ところ)へ落ち着いて
一番楽で長時間疲れない姿勢と云うのが、あの生長の家の神想観の正しい姿勢であります。
普通西洋人はあの坐り方が出来ないものでありますから、椅子にかけて凭(もた)れても
良いですけれども、日本人は『 詳説神想観 』に説明してあるようにして坐る方がよろしい。
坐禅の姿勢などは、大体あれと同じ姿勢で尻を後方に引いて背骨を立てる姿勢でありますけれども、
坐禅は印度(いんど)に発達した坐り方であります。
印度はあんまり温かいから坐っている内に居眠りを催すことがある。
だから居眠っても、坐禅の結跏趺坐(けっかふざ)というあの太股(ふともも)の上へ足先を挙げて
組み合わし三角の座にする姿勢でいると、ひっくり返らないのであります。
それですから、あの結跏趺坐の坐り方をします。しかし婦人があの姿勢をしていると熱帯国では
蛇が往々婦人の要所に侵入して膣(ちつ)をつきやぶることがあるので、半跏趺坐(はんかふざ)と
言って一方の片先だけを太股の上にあげ、他方の足の踵(かかと)をもって要所をふさいで坐ると
されています。日本的な神想観の坐り方は万全の坐り方で、どの点からも隙(すき)がありません。
( 二 ) リズミカルな規則正しい呼吸をできるだけ静かにゆっくり行なう
これは呼吸だけの調整でありますが、神想観では念ずる言葉と呼吸とをちゃんと調和 して、
息を吸う時には、「 神の生命(いのち)流れ入る 」 と念じ、その息を吐くときには、
徐々に吐くために腹部に力を入れて張り出 し 「 満たされている 」 感じを誘導 し
「 神の生命に満たされ、生かされている 」 と念じます。
つづく・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます