小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

『月と六ペンス』 ~“奇妙な体験”を描く装置としての奇妙なかたち

2005-06-18 00:58:06 | 読書
S・モーム 新潮文庫
ブックオフで購入

【introduction】
「ゴーギャンの伝記に暗示を得て芸術にとりつかれた天才の苦悩を描き、人間の通俗性の奥にある不可解性を追求した力作」とカバーに。
しかし、私としては登場人物ストリックランド=ゴーギャンの人物像とともに、小説そのものの奇妙さが強いしこりとして残っていて、それがこの読書体験を貴重なものにしています。
いろいろな意味で名作。

【review】
この小説の魅力を、読後、しばらくしてから時々考えます。
まず、初めはやけに退屈。そしてストリックランド登場で、物語は俄然おもしろくなり、ストルーヴ夫妻の参戦をもって最高潮に達して突然消え、再び南の島の燃えるような冒険を、当時を知る人の聞き取りのかたちで語り出します。
いわゆる手に汗握る、はらはらどきどき、というおもしろさが世の中にはあり、現在の多くのエンターテインメントはその方向でつくられています。そこでは驚きということは大きな魅力であるけれど、はらはらさせよう、びっくりさせようと思うほど、つまらなくなる、そういうことはよくあります。
ところが、文庫解説によると「安心して通俗的といえる作家」モームは、芸術的な存在に向ける通俗的な読者の側の興味を、これまた解説によると「モーム得意のシニカルな笑い」でもって引き出すことに成功しました。もはや通俗とも芸術とも、おもしろいともつまらないともいえないような、奇妙な地点にもう一度引き戻している、そう思います。
登場人物たちに向ける、語り手の視線の揺らぎのなさがまた奇妙。それがまたこの小説を、登場人物たちをさらに奇妙なものに感じさせ、何ともいいがたい重い感じを残すのです。
わからないということをこれだけ魅力的に描いた作品には、これまであまり出会ったことがありません。そしてそのわからなさこそ、本作の確かな魅力であり、この奇妙な小説のかたちは、語り手がしたはずの奇妙な体験を描くのに不可欠だったように思います。
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