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Que ma vie est belle!

私とは、美しいもの、美味しいもの、楽しいものの集合体。

ラ・トラヴィアータ2010@ロイヤルオペラハウス、ロンドン

2010-07-12 00:30:00 | オペラ

ああ、ついにゲオルギューのラ・トラヴィアータが聴ける!と喜び勇んでロイヤルオペラハウスへ出掛ける。席も素晴らしい、2階正面1列目中央。

演出は昨年と全く同じ。流石ゲオルギュー、美しい!昨年不満だった「なぜ高級娼婦が下品なのか?」という問題が、ただゲオルギューが演じる、というそれだけで解決されている。それにしても、15年以上前のDVDと殆ど変わらないように見える、この美貌の凄さ!羨ましい限りである。

さて、肝心の歌であるが。。。これが残念ながら、どうも印象の薄い舞台となってしまった。ゲオルギュー叱り、アルフレッドを演じたヴァレンティ叱り、パパ役も、去年はトーマス・ハンプソンに魅せられたのだが(見た目だけではなく-一応断っておきますが)、ルシック(?Lucic)は可もなく不可もなく。

舞台も全体的にこじんまりとまとまった、という印象で、折角の素晴らしい席だったけれど、最後まで心が動かされることのないオペラであった。会場はブラボーが飛んでいたけれど、とても同調する気持ちにはなれなかった。

ああ、去年斜め前で第二幕目から泣きまくっていたおじ(い)さん、今年もちゃんと泣けただろうか?


心に残るオペラ-シモン・ボッカネグラ by ドミンゴ@ロイヤルオペラハウス、ロンドン

2010-06-30 00:30:00 | オペラ

ドミンゴがバリトンに戻って「シモン・ボッカネグラ」を歌う、というのでロイヤルオペラハウスに出向いた。

自分でお金を払えるようになった時には、既にドミンゴ、カレーラス、今は亡きパバロッティの「三大テノール」はマイクを使って広大な野外ホールで商業コンサートを行う人たち、というイメージがあって、彼らのコンサートに出かけよう、という気持ちにはならなかったが、バリトン復活(歳のせいで高音が出なくなっているのか?)だし、大腸がんの手術を受けて、これからどのくらい歌えるのか分からないし、「ダメもと」でとりあえず出かけた。

歌手の全体のレベルがバランスよく高かったように思う。声量的にも、声質としてもアドルノ役のジョセフ・カレヤは良かった。また、バスの特権?フェルッチオ・フルラネットも魅力的な声だった。ソプラノのマリーナ・ポプラフスカヤは、最初少し?だったけれど、後ろへ行くほど良くなっていった印象。オーケストラ指揮は、今回もパパーノ。素晴らしい!こんなに早く彼のヴェルディが聴けるとは!

そして、勿論ドミンゴ。年齢か、大腸がんの手術など健康上の理由か、声量は若い人には及ばないけれど、とても美しい、魅力的な声。今回は少々奮発して、前から3列目、中央に居たからか、彼の表情を具に観察することができた。勝手な想像なのだけれど、プロローグは少し辛そうに見えたけれど、その後は、服装や化粧(25年後なので白髪-自前?)、端正な顔立ちも相俟って、素敵度が高かった。

勿論、年齢か健康か、いっぱいいっぱいで歌っている、という印象はぬぐえなかったが、その姿が、Gustavoの指揮を見るときのように、自分もここまで精一杯生きていると言えるか?と思わず自問させられるような、鬼気迫るものがあった。そんな風に感じていたからか、最後、拍手を受ける場面で、ドミンゴが少し涙ぐんでいるように見えなくもなかった。

観客に詮索をさせる余地を少しも与えず、飄々と、素晴らしい成果を出すのが一流のプロなのでは?とも思うが、いや、こういう鬼気迫るオペラというのもありかもしれない。今日のオペラのことは、何時までも心に残る予感がする。


卵が先か鶏が先か-ヴィットリオ・グリゴーロ@ロイヤルオペラハウス、ロンドン

2010-06-26 00:00:00 | オペラ

くだらない話だと最初から分かっているのに、行ってしまう「オペラ」。今日も呆れてものも言えないマスネの「マノン」。絶世の美女らしいけれど、頭は足りない、倫理観もない、経験からも学ばない、どーしようもないお嬢ちゃんの物語。

先日ボストリッジの伴奏をしたパパーノが指揮をし、マノンをネトレプコが歌う、ということで出かけたが、いつもの通りダークホースが(すみません、私が無知なだけなのですが)。

それがChevalier des Grieuxを演じたヴィットリオ・グリゴーロ。テノールだけれど、絞りだすような苦しい声質ではなく、明るくおおらかな声。声量も驚くほどある。ウィグモアホールで本気で歌われたら、間違いなくこちらが参ってしまうような声。

しかし、聴いているうちにこの人の声はクラシックとはちょっと違うのでは?という疑問が沸いてきた。何がクラシックとそれ以外を分けるのか、分けるものなんてないのかもしれない。実際エリザベート王妃国際音楽コンクールの声楽部門でもオペレッタだったかミュージカルだったかの曲を歌った人もいるのだから。ただ、何かがそんな風に感じさせたのだ。

家に帰ってググって見ると、この人はウェストサイドストーリーを歌ってクラシック外の世界でも人気が高いと言うことを知った。なるほど。声の質がミュージカルへの道へ進ませたのか、ミュージカルを歌うことでこういう声質あるいは歌唱法になるのか?鶏と卵、どちらが先なのだろう?

パパーノは、伴奏より指揮が好きだ。小さな体が大きく見え、腕が生き生きと滑らかに動く様子は美しかった。是非、彼の振るヴェルディを聴いてみたい!なんて、そんなことを考えていたからか、帰途の頭の中はラ・トラヴィアータの「プロヴァンスの海と陸」になってしまった。

一方、ネトレプコ。産後で太ってしまったのか?この体型で16歳はないだろう(実際今年39歳になるのだから仕方ないが)。男を手玉にとって、転落させてゆく、「さげまん」には向いているのかもしれないが、絶世の美女の16歳、といったら、もう少し線の細い感じを期待してしまうので、特に第一幕のあたりは違和感にさいなまれた。

後半はだんだん役柄とネトレプコのギャップが小さくはなってきたけれど、それでも、やっぱり体格が良すぎる。カルメンとかならば良いのだろうけれど。

「マノン」の脚本なのか、この演出なのか分からないが、流石フランスオペラ。基本線は悲劇なのだが、悲劇悲劇していなくて、笑える場面が多々ちりばめられている。ドラマチック悲劇のイタリアオペラや深刻悲劇のドイツオペラも良いけれど、週末の始まりにはこのくらい笑える悲劇が丁度良い。


ミーハー健在-カルメン@ロイヤルオペラ、ロンドン

2010-06-06 01:00:00 | オペラ

ランラン&バルトリの演奏会でベルリンへ行くはずだったのだが、バルトリの体調不良のため演奏会がキャンセルとなった。という訳で、Londonで過ごす週末-。

まずは、いつも通り買出しへ。Poilaneでブリオッシュ(写真右)と食パン(?)を購入。PoilaneはPain de Campagneが有名だけれど、このところの私のお気に入りはブリオッシュ。£8以上するから、1000円以上、ということになるけれど、それだけのことはある。切ったときの香りが素晴らしいし、冷凍して焼いても、さくさく感が失われることがない(Le Pain Quotidienのブリオッシュは冷凍して焼くとべたべた感が否めない)。

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さて、ベルリンへ行くはずだったから、土曜日はコンサートの予定を入れていなかった。で、ぐぐってみると、ロイヤルオペラハウスでカルメンがある。天井桟敷が£13で手に入ったので、出かけることにした。

カルメン-おなじみのくだらないメロドラマ(従って、いくらテノールといっても、このホセをボストリッジが演じられるとはとても考えられない)。歌手は、強いて言えばミカエラを歌ったMaija Kovalevskaが良かったか。カルメンはイギリス人Christine Rice、カルメンにしては声が柔らかすぎるし、いまひとつ存在感がない。ホセ(Bryan Hymel)はいけてない男だからどうでも良いけれど、テノール独特の搾り出すような声が苦手。フランス語も下手。

で、何が楽しかったかというと、指揮者である。Constantinos Carydisというアテネ出身の今年36歳になる指揮者。非常にしなやかでありながら、メリハリのある指揮。スコアも使用せず暗譜で振っていたようである。ググってみると「カルメン」は得意としているようだ。彼のために今度はかぶりつき席で観てみようか。

相変わらずミーハー健在である。


役者やのぅ-連隊の娘@ロイヤルオペラハウス、ロンドン

2010-05-26 01:30:00 | オペラ

先日、バービカンでフローレスを聴き、噂のハイCとはどんなものだろうかと、ロイヤルオペラハウスでのドニゼッティ「連隊の娘」のチケットを入手(直前でも入手できるのが、流石、ロンドン)。

実はドニゼッティの「連隊の娘」を観るのは初めて。その上、前日に日本から帰ってきたばかり、とあって時差ぼけも重なり、どうなることか、と心配していたところ-。

「連隊の娘」は抱腹絶倒のコメディであった。

最初から、マリー役のナタリー・デッセイが会場を笑わせる。アイロン掛けって、こうやれば良いのね(良いわけがない)。

さて、フローレス登場で、会場のワクワク度が上がったことが感じられる。ハイCって、どこ?分かるかしら?なんて思っていたけれど、心配無用。でも、あまりに楽々と歌っているので、本当にハイCなのか、絶対音感のない私には分からないわ。まさか皆で共謀してピッチ下げたりしてないわよね。ニコニコ動画だったら、誰かが字幕で「ただいまハイC、ピッチA=440Hz」とか言ってくれるんでしょうけれど。

直前入手のチケットは正面だけれど、ほぼ天井桟敷。それでもこれだけの声が聞こえるのだから、もう少し近くで聞いたら、本当に凄いのだろうなぁ。29日(フローレス最終日)のチケットも出ていたけれど、ボストリッジと重なっちゃったのよね。。。再度悩む自分が情けない。

天井桟敷は、観客のリアクションが大きい-笑いも、足踏みもブラボーも。第二幕に入ってからは、もうみんな笑いっぱなし。「ロイヤル」オペラに来たのか、新橋演舞場(イメージ-行ったことはない)に来たのか、分からないくらい。

ハイCより、第二幕のフローレスのほうが存在感があったような。デッセイも良かった。その他の歌手も、皆が観客を笑いの渦に巻き込む。オペラで泣いたことはあるけれど、お腹の底から笑ったのは初めてかもしれない。


ラインの黄金@オペラバスティーユ、パリ

2010-03-17 00:30:00 | オペラ

友人との待ち合わせが夜の10時となったため、何か演奏会でも、と調べてみるとオペラバスティーユで「ラインの黄金」が。ワーグナーのオペラとしては短くて、丁度10時前頃に終わるのも良い、と軽い気持ちで行ってみた。

大変な人気で、席を購入したとき最後の2席の1つだった。前から3列目、中央より少し下手。思っていたよりずっと舞台も見やすく、勿論歌手の表情も良く見えるが字幕が見づらいのが難点。

演出は非常に現代的。ラインの乙女達の衣装(?)はなかなか刺激的。神話の世界にあっても、建築現場で働く若者達は労働者風だ。

黄金を巡る争いは、なかなかすさまじい。指輪を奪うために、アルベリヒは指を切断され、ファーゾルトは金の延べ棒で頭をカチ割られ。欲望がとどまるところを知らないのは、人間の世界だけではない(なんて、神話の世界を借りて人間の世界を語っているに過ぎないが)。

誰かの歌が非常に上手いわけでも、演出が非常に美しいわけでもないが、全体としてまとまっていてよい出来だったように思う。「ラインの黄金」はあくまでもイントロダクション。この後、どんな演出になってゆくのか、結局シリーズ全部を見たくなってしまう。ああ、日本に比べれば半分程度とはいえ単価の高いオペラはやめよう、と思ったばかりだったのに。相変わらず意思の弱い私である。


トスカbyゲオルギュー@ロイヤルオペラ

2009-07-10 02:00:00 | オペラ

デボラ・ヴォイトが急性大腸炎のため降板、ゲオルギューがトスカを演じた。女性の目から見ても美しい。字幕は放棄して、目は彼女を追うばかり。

歌も安定感があって、最高音が出るかな?なんて心配をせず安心して聴いていられるのも大変よろしい。ただ、最も有名なアリア「歌に生き、愛に生き」は、私としてはいま一つ心揺さぶられるものがなかった。昨年のトスカ(ミカエラ・カロッシ)のほうが泣けたのは何故だろう。

それでも、会場は彼女のこれを楽しみにしていたと見えて、まさに「水を打ったような静けさ」であった。ロイヤルオペラにおいてこれは珍しい。隣のおじさんなど、第三幕のカヴァラドッシの歌に至っては一緒に歌い出す始末。やめてくれ!!でも、音は外れていなかったな。

カヴァラドッシを演じたジョルダーニは、第三幕になって大分良くなったような気がした。トスカとの二重唱は拍手!

スカルピアを演じたターフェルはなかなかの好演。歌もさることながら、その体型と演技力はスカルピアに相応しい。その「ふてぶてしい」感じといったら、水戸黄門の悪役並に憎たらしい。ただし、イギリス人は日本人と似て自国人贔屓をするので、拍手の量ほどに良かったかは、ちょっと疑問。

それにしても、今回のトスカはちょっとトスカ・壮年編だ。ゲオルギューとターフェルは今年44歳、ジョルダーニは46歳-ゲオルギューは美人だし、ターフェルは「お代官様」役だから良いとしても、ジョルダーニにはもう少し若々しさが欲しかった。愚かな行為も「若さを思えば仕方ない」となるが、それがないと登場人物達の「愚かさ」ばかりが目立ってしまう。求む、若くてハンサム、実力もあるテノール歌手!

総じて、210ポンドの価値があったかは疑問(席は1階席中央で文句は言えないが)。オペラ歌手って、出演料高いのかな。舞台装置もあるし、オケもいるから、仕方ないのかな。


ラ・トラヴィアータ@ロイヤルオペラ

2009-06-19 00:30:00 | オペラ

ロイヤルオペラ、ラ・トラヴィアータ(椿姫)。2009年6月18日、ロンドン、ロイヤルオペラにて。

Verdi: La Traviata

Renee Fleming: Violetta

Joseph Calleja: Alfredo Germont

Thomas Hampson: Giorgio Germont

Antonio Pappano: Conductor

ロイヤルオペラのラ・トラヴィアータ初日を観た。

帰宅後の今も、「Di Provenza il mar, il suol」が頭の中で流れ続けている。トーマス・ハンプソンは良かった。p(ピアノ)でも会場全体に通る声が羨ましい。端正な顔立ちも素敵。ジョセフ・カレヤもなかなか。一幕目の「乾杯の歌」がもう少し盛り上がればよかったけれど(この歌の最近の基準がパバロッティ、というのが災い?この曲だけを聴けば良いけれど、あんな「ぱんぱん」なアルフレッドはない)。彼は最後感激していたようだった。ルネ・フレミングも二幕目からどんどん調子を上げたように見えた。やはり初日の一幕目は緊張するものなのだろう。

全体的に、皆演技が達者だ。二幕目で父親がアルフレッドを突き倒すところなど、役者顔負けである。また、ヴィオレッタが椅子に倒れこむところも、思わず「あ、危ない」と声が出てしまいそうになる。ルネ・フレミングは、一幕目は少し品がなく(高級娼婦というのは品があるものと思うが、舞台を分かりやすく(結局娼婦なのよ、と)するにはこれでよいのかもしれない)、二幕目は貞淑そうで、三幕目になるとすっかり病人、と完全に役を体現していた。素晴らしい。

二幕目は、父親がヴィオレッタの屋敷を訪れ、ヴィオレッタを説得し、アルフレッドを説得し、夜会でアルフレッドがヴィオレッタに賭けで儲けたお金を投げつけ、そこへ父親が現れ、と盛り沢山だ。また、二幕目は字幕を読むと絶対に泣くので、今日は字幕は無視して音楽と演技に集中(イタリア語が分からなくて良かった)。斜め前の老紳士は二幕目から最後まで泣きっぱなし。いいけれど、洟をかむのは静かにね。

三幕目、死の間際に、アルフレッドと父親がヴィオレッタの元に駆けつける。死んでしまうのだから意味がない、と感じるか、愛する人に死を看取られて幸せ、と感じるかは見る人次第だろう。しかし、ヴィオレッタの幻覚を客席も共有しているのではないか-即ち、カーニバルの様子も、アルフレッドと父親がやってくるところも、実はヴィオレッタの死に際の幻覚で、実際はAnnina(女中)だけに見取られて亡くなったのでは?なんて考える私は相当現実主義者?


コジ・ファン・トゥッテ@イングリッシュ・ナショナル・オペラ

2009-06-14 00:00:00 | オペラ

イングリッシュ・ナショナル・オペラ。2009年6月13日、ロンドン、コリセウム(Coliseum)にて。

Mozart: Cosi fan tutte

Abbas Kiarostami: Director

Susan Gritton: Fiordiligi

Fiona Murphy: Dorabella

Lian Bonner: Guglielmo

Thomas Glenn: Ferrando

Sophie Bevan: Despina

Steven Page: Don Alfonso

12日に引き続いて、イングリッシュ・ナショナル・オペラ。評判の出し物、と聞いていたが、客席は8割強の入り(昨日はほぼ満席だった)。

歌手の出来は、昨日に比べて粒ぞろいではあったが、特筆すべきことは何もない。ソプラノのGrittonは努力賞だけれど、もう少し余裕を持って歌えると良かった。劇場なりの歌手だった。また、今日の歌手は皆スタイルが良くて、その点も考慮して昨日と今日の配役は決められているのかと思ってしまった(昨日はピンカートンもシャープレスも恰幅良かった)。オペラは声が命だけれど、目で鑑賞する部分がある限り、見た目も大切だ。

Directorはパルムドール受賞者のKiarostami。イラン人であるが故に入国を許可されず、Mail等で指示を出したとか。バックに巨大スクリーンを置き、周囲の風景として実写映像とコンピュータグラフィックスを併せた映像を用いていた。先日パリのオペラバスティーユで見たマクベスは、Google Mapを似せた映像を用いていた。オペラの演出も時代と共に変わり行くが、コンピュータ映像って少し安っぽく見える、と思うのは私だけだろうか。

コジ・ファン・トゥッテは、偶然隣あわせたDon Alfonso役のSteven Pageの親戚というご婦人によれば「シェークスピアっぽい」話。確かに、話の筋は、ちょっと教訓じみている。それを深刻にならず、笑いというオブラートに包んで聴かせるのがモーツァルト風。

ただ、納得行かないのは「女は皆こうしたもの」って、そもそもGuglielmoとFerrandoがやったことって何?しかも二人も交換したパートナーとその気になっているのじゃない?


蝶々夫人@イングリッシュ・ナショナル・オペラ

2009-06-13 01:30:00 | オペラ

イングリッシュ・ナショナル・オペラ。2009年6月12日、ロンドン、コリセウム(Coliseum)にて。

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Puccini: Madam Butterfly

Anthony Minghella: Production

Carolyn Choa: Director and Choreographer

Judith Howarth: Cio-Cio-san

Christine Rice: Suzuki

John Marshall: F.B. Pinkerton

Brain Mulligan: Sharpless

Michael Colvin: Goro

Richard Burkhard: Prince Yamadori

イングリッシュ・ナショナル・オペラで今同時にかかっている「コジ・ファン・トゥッテ」が良い、との話をきいて、土曜日のそれとあわせて聴いてみることにした。

イングリッシュ・ナショナル・オペラでの出し物は基本的にすべて英語である。原語よりは分かりやすいが、何となく納得いかない。その上、この日はピンカートン役のHymelが体調不良でMarshallに。いやな予感である。

(本演目を鑑賞予定の方は、ご覧になってから以下お読みください)

英語でオペラ、なんだかそれだけで「オペラではなくミュージカル?」と思ってしまう。その上、衣装!私がパトロンなら間違いなく担当者はクビだ!男も女も原色多用の品の悪い十二単様着物を着ている。申し訳ないが、男性陣は相当気持ちが悪い。同じ衣装なのに扇子を持つもの団扇を持つもの。結婚式に団扇はないだろう?髪飾りも、親類全員が踊り子でもあるまいに?また、花嫁でない人に角隠しをさせている。インターネットのこの時代、もう少し勉強できるのではあるまいか?

そして極めつけは、ヤマドリの衣装。まさに

志村けんの『ばか殿様』。

笑いを抑えられなかった。

歌手も、シャープレス役のMulliganは気に入ったが、全体として「ミュージカル」レベル。途中まで、これは「安物買いの銭失い」(2階正面で84ポンド=ミュージカルレベル。ちなみにロイヤルオペラは倍以上)だ、お薦めのコジを観てから蝶々夫人を観るか判断すべきだった、と反省していた。

しかしながら、始まりから好感を持っていた演出は舞台が進むに連れて満足感がどんどん増していった。モダンではあるが、Cio-Cio-sanの帯、障子が効果的に使われ、最小限の大道具/小道具で全てが表現される。また、第一幕は桜の花びらが舞台を覆って終わる。この演出家は日本人にとって春の代名詞「桜」-特に散りゆく桜-は「死」の隠喩でもあることを理解して、第一幕の最後でCio-Cio-sanの死を暗示して終えるのかと感心した。

第二幕に入ると、演出効果は益々冴えた。今回は第二幕第一部と第二部の間に休憩が挟まれ、リンカーン号の接岸からその日の夕暮れを待つ、第一部最後の舞台は素晴らしかった。Cio-Cio-san、Suzuki、子供の3人が、座布団に座って同じ方向(港)を観ている姿は、ちょっと小津の映画を思い出さないでもない。

さらに今回の演出では、Cio-Cio-sanとピンカートンの間に出来た子供を、文楽にヒントを得たという人形が演じた。最初こそ、これを「文楽」と言われると参るな、と思っていたが、舞台上に黒子が現れることを参考にした、程度のことだと思えば腹も立たない。その上、こちらも時間が経つにつれ、この人形の表現力の高さにすっかり魅せられてしまったのである。

第二幕第二部、ここへきて、なぜ舞台の上面が鏡面になっているのかが分かった。Cio-Cio-sanの自害の直前、Suzukiを下がらせる演出/演技は涙物である。

今回は歌手のことは殆ど記憶にないのだが、演出の素晴らしさ(衣装は置いておいて)を堪能した。どれほど演出がオペラにとって重要であるかを教えてくれた(従って今、Production, Direction, Set Design, Costume Design, Light Designとあるが、誰がどこまで責任を持ち、どの程度協働するのか興味津々である)。

とても残念なことにMinghellaは昨年54歳の若さで亡くなっていて、彼の演出オペラはこの蝶々夫人1作しかないようである(ちなみにDirectorのChoaがMinghellaの奥様のようである)。この演出はメトロポリタンオペラなどでも上演されている、とのことなので、是非NYでMetで観てみたい一作となった。