「もし、きみが、幸運にも青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、それはきみについてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日だから」Hemingwayの有名な一節である。
私がParisを初めて訪れたのは、既に青年時代を過ぎていたような年齢だったし、ましてそこに住んだわけでもない。しかし、生まれて初めて訪れた外国がParisだったことは私の人生に大きな影響を及ぼしているに違いない。どこへ行っても、基準がParisになるからだ。もう10年以上も前、恥ずかしくなるような長いリムジンの中から眺めた夜のParisはえもいわれぬ美しさだった。別のところにも書いたが、夜のParisの美しさは格別と思う。そして、私にとってのもう一つの基準、それはRitz。
Ritz lunchは楽しい。標準化されることのない仕事について再び思いをめぐらす。今回は、最初の箸休めも出てこなければ、サラダにパンもついてこなかった。しかしながら、デザートにはこれでもか!といわんばかりのプチフールがついてきた。
それにしても、Ritzで何より素晴らしいのは客層である(勿論、訪れれば店員が挨拶に来るなじみ客のことであり、私のようなひよこちゃんのことではない)。既に一人では足元もおぼつかないご老人が、店員に支えながらバーに入ってくる。彼は、店員といろいろと会話を楽しみ、その後一人でワインと食事を始めた。次に入ってきた女性は、私と目が合うと少し微笑み、席に着いた。店員が挨拶に来る。その出で立ちときたら!ゆうに70歳は超えていると思われるが、きちんとした身なり、宝石。背筋も伸びて、凛としている。外国は危ない、と、宝石も身に着けていなければ、ポロシャツ、ジーンズ、セーター、ウォーキングシューズという自分が恥ずかしい。そのうち遅れてパートナーがやってきた。彼のスーツと彼女のシャツは嫌味なくコーディネートされている。すごい。
これぞRitz。これぞParis。いつまでもついて回る移動祝祭日。