Que ma vie est belle!

私とは、美しいもの、美味しいもの、楽しいものの集合体。

ヴォルフガング・ホルツマイアー「冬の旅」@ウィグモアホール、ロンドン

2009-11-30 00:30:00 | コンサート

ヴォルフガング・ホルツマイアーのバリトン、アンドレアス・ヘフリガーのピアノ伴奏でシューベルトの「冬の旅」を聴いた。

ホルツマイアーはオーストリアのバリトン歌手で、オーストリア人=ドイツ語Native=ドイツリートにぴったり!、という極めて単純な発想で聴きにいった。

果たしてホルツマイアーは、豊かな声量、濁りのない美しい声質を誇っていた。前から13列目とホールのほぼ中央付近に居たにもかかわらず、ところどころ声の波動が耳にびんびんと響くのである。彼にはこの500席程度のホールでは狭すぎるのだろう。また私の中で彼の声質は、ヴェルディのレクイエムやオペラを歌ってほしい類のものであり、シューベルトの「冬の旅」ではなかった。勿論、筋肉隆々のお兄さんだからといって失恋して、失望して、死をもすら考えないとは言わない。しかし、やっぱり、ちょっとドイツの暗さではなく、明るい南の太陽に照らされた国の歌を歌って欲しい、溌剌として艶やかな声質に思われるのであった。

ザルツブルク・モーツァルテウムでリートとオラトリオを教えている、というのだから、歴としたドイツリート歌手なのであろうが、何度思い起こしても、ヴェルディ向きの声に思えてならない。彼がヴェルディやプッチーニといったイタリアオペラを歌う演奏会があれば是非聴きに行きたい。


カヴァコス & Camerata Salzburg@クイーンエリザベスホール、ロンドン

2009-11-29 00:00:00 | コンサート

レオニダス・カヴァコスの指揮、ヴァイオリン、Camerata SalzburgでルトスワフスキーのMusique fnebre、バッハのVn協奏曲D minor、モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」を聴いた。

現代曲には余り好意的でない(?)私であるが、ルトスワフスキーのこの曲は大変に美しく、とても気に入った。不協和音ではあるが、決して耳障りな音ではなく、またバルトークの没後10年を記念して作曲された「哀悼の音楽」だけあって、緩やかなメロディ(もしかしたら民族音楽の影響もあるのかもしれない)であったことも聴きやすかったことの理由か。さらに、演奏、特にチェロのトップの音が非常に美しく、最後、消え入るように終わる部分も、あれだけの弱音をへたれた音にすることなく終えたのは、天晴れ!であった。後から聞いてもらったところによるとTomaso Balestrieri(Mantua 1760)という楽器らしい。カヴァコスの指揮は-う~ん、打点が見辛そう-指揮棒はない方が良いかも?

バッハのVn協奏曲。カヴァコスの弾き振り、ということになっているが、最初の「(いちに)いち、はい」ぐらいで、後はコンマスがコントロールしていた気配も。カヴァコスは、最初からかなり走ったので、オケとばらついたり、途中、重音のところで本人が弾ききれなくなりそうだったり。左手は綺麗なのだが、右手首が、弓の根元あたりを使う際に、カマキリの鎌のように曲がるのはあまりよろしくないのでは、と思うのだが。。。?会場の拍手に応えて、アンコールはバッハのパルティータ第2番からサラバンド。Vn協奏曲より弾きこまれている感じ?これは良かった。

少し金属的な煌びやかな音でありながら繊細さもあり、ストラドでもガルネリでもないような気がする(コンマスの方と話す機会があったが、彼はin-betweenといっていた)-楽器は何を使っているのだろう?と思ったが、プログラムに記載がなかった。会場のマネージメントをしている方が親切に聞いてくださった結果、ガダニーニであることが判明。通常使っているストラド is at homeだそうだ。今日のプログラムを考えてのことなのだろうか。12月1日のチャイコ『偉大な芸術家の思い出に』はストラドのほうが合うような気もするけれど、どちらを使うのだろうか。

「リンツ」は、しょっぱなからティンパニがほんの一瞬早い。バッハのVn協奏曲でも伴奏のチェンバロで同じことがあった。ヴァイオリンに比べてティンパニもチェンバロも音の立ち上がりが早いためにそのように感じられるのだろうか。オケはなかなか情熱的な演奏で、オーボエのトップやヴァイオリンのコンマスの後ろの方など、とても生き生きと演奏されていた。ヴァイオリンの方は、カヴァコスの右手首が気になっていたせいか、最後は彼女のその美しい右手-右腕のフォームに目が釘付けになってしまった。あんな風にヴァイオリンが弾けるようになりたい!!


モーツァルト・レクイエム@バービカン、ロンドン

2009-11-28 00:00:00 | コンサート

たったの12ポンドで前半に現代曲2曲、後半モツレクという盛りだくさんな演奏会がある、というのでバービカンへ出かけた。

前半はdes Prezとブーレーズ。ブーレーズの曲はフルート、クラリネットを3階席に置き、試みとしては面白く、単調な拍を刻む部分ではお経を、「ちんどんしゃん」するところでは神楽を思わせるものがある。少々長く、後半、ひどい人は席を立ったり、小声でおしゃべりをしたり、プログラムを見たり。調性がなく、指揮者が入りを指示するだけの曲なら、いっその事、作曲者は各パートに短い(長くても良いけれど)フレーズのセットを用意し、指揮者がいつどのパートに弾かせるかを決定する即興曲にでもすればよいのに、と突飛なことを思ってしまう。そうすれば、演奏者もスリリングだし、見ているほうも、動きが面白くて、飽きないのでは?

さて、モツレク。早い!いくら前後半制という長丁場とはいえ、そんなに家に早く帰りたいの?と言いたくなってしまうくらい早い。ま、これまでの刷り込みがベーム、ウィーンフィルのゆっくり目な演奏ということもあるけれど。

ソプラノのエリザベス・ワッツが声量もあり、ホール一杯に良く通る声質で良かったか。バス-バリトンは、低い方の声域と声量が足りていない。気の毒なことに、前奏のトロンボーンがいっぱいいっぱいだった(その後ではとちってしまった)ことも影響したか、第3曲Tuba mirumの出だしで躓く-最初の部分の音が怪しい。。。テノールのエド・ライアンは声質が固めであまり好みではないが、声量もそこそこあるし良い歌手なのだろう。メゾソプラノは少しこもったような声質で、声量ももう少し欲しい。

それにしても、モーツァルト、いい曲書くなぁ。他人が完成させてここまですごいのだから、もし彼がきちんとこの曲を完成できていたら、どんなにかすごかっただろう。途中でちょっとゾクゾクしてしまった。

あまりにも早いスピードだったからか、最後の曲が終わっても、もう1通りやってもらわないと(第1曲の最後と第12曲の最後のメロディは同じ(歌詞違い)なので)状態であった。

有名な「大阪いいでっせ」は、今日の発音では長崎人が大阪を誉めている感じ。

「お~しゃ~か、いいでっしぇ(lsis)」


ロンドンの美味しいお店@Olivomare & Umu、ロンドン

2009-11-26 23:30:00 | レストラン

Olivomareはビクトリア駅に程近い、モダンな内装のイタリアンレストラン。知人がイタリアンが食べたい、というので連絡をすると21時までならば、と言われ出かける。

内装は、魚をエッシャー風にデザインした壁、白を基調としたシンプルなテーブルと椅子、照明はパスタをデザインしたよう。とにかく、おしゃれ。

時間がないので、とりあえずパスタを注文。知人は雲丹のパスタと、アサリのパスタ。私は白身魚とえびのトマトクリームソースで。クリームソースでも濃すぎず、トマトの酸味でさっぱりと。ローズマリーとオリーブオイルの香りも美しい一品。そして何より、”アルデンテ”のタリオリーニ。この細い麺でも、きっちりアルデンテなのは感動的ですらある。

2日前に頂いたLocanda Locatelli(ミシュラン1ツ星イタリアン)のきのこのパスタやTummiesのチキン&きのこのクリームパスタも美味しかったけれど、この繊細さは日本人向き。

デザートはフォンダンショコラ、ホイップクリーム添え。クリームが酸味勝ちで、残念。普通の生クリーム(ダブルクリーム)が好きだけれど、イタリアンだとこうして少し軽めにするのだろうか。マキアートで締めて大満足。結局21時を過ぎても追い出されることなく、ゆっくり夕食を楽しむ。それにしても20時を過ぎて来店する客の多いこと。イタリア人スタッフの対応も心地よく、人気は味のみに非ず、素敵なお店である。

ロンドン和食デビューはエルメスやThe Square(ミシュラン2ツ星フレンチ)にも近いUmu(ミシュラン1ツ星)。アラブの方の出資で、日本人シェフ久保田一郎氏が率いる。店に入り、席に着くと、供されている料理の出汁の香り、焼き物の香りがふっと香る-この香りは和食にしかない、と思う。

月曜日のランチで頂いた蕪の煮物や、今日の夕食の茄子の鴨あんかけが美味。炊き込みご飯の出汁の香り、白味噌の甘みは日本人でなければ分からないでしょう。。。とついつい言いたくなる。特に炊き込みご飯の香りは、母の手料理を思い出す。

外国人を意識して、お刺身にしても何にしても薬味が多い。日本人にはちょっと多すぎるか(少なくとも私には)。

Simple is best、という料理はGrade9とかいう牛肉(英国人は何でもGradeで分けたがる)。値段からしてなにやらありがたいものらしいが、美味しいけれど、こういうサーロイン(?)より、日本の霜降りがいい。。。は贅沢か。

また、デザートは、モンブランと紫芋のアイスクリームを頂く。とても美味しいのだが、アルコールがきつすぎて、途中でgive up。美味しかっただけに、今でも心残り。。。

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両店を紹介してくださったHさん、どうもありがとう!


キャロリン・サンプソン@ロンドン、ウィグモアホール

2009-11-23 00:30:00 | コンサート

キャロリン・サンプソンのソプラノ、リチャード・エガーの指揮(合奏はエンシェント室内管弦楽団)、ハープシコードでヘンデルとパーセルを聴いた。

とにかく、透明で美しい声。オペラ歌手にありがちな「こぶし回し」がない。まるで教会の少年合唱団のような澄んだ真直ぐな声。小学生の時に全国合唱コンクールを聴いていたことが音楽経験の根っこにある私には、彼女の発声はとても心地よい。また、室内楽用のホールで、残響の長いウィグモアホールに彼女の声はぴったり。オペラを得意とする歌手をここで聴いたらどんなだろう。うるさすぎるのだろうか。

前半のパーセルは歌詞が英語であることもあってか、どうしてもミュージカル的な印象を抱いてしまう。以前、エリザベート王妃国際音楽コンクールで声楽部門の決勝を聴いたときのことを思い出したりもした。

エンシェント室内管弦楽団は曲が作曲された当時の楽器を使っているというが、コンマスの弓とセカンドトップの楽器はその他の奏者とは明らかに違って見えた(尤も今回は2階席のため詳細は不明)。管楽器はまるでリコーダーにオーボエのリードがついたような感じだったり(バロック・オーボエ)、トランペットもナチュラル・トランペットでトリルが難しそうだった。また調律も面白い。普通のオケでは例えばピアノがあればピアノのAを取って、あとは各自が他の弦を合わせるが、ここは4弦分すべての音をハープシコードから取っていた。古楽器だから、ガット弦を使っているのだろうが、却って金属的、というのだろうかキンキンとした音に聴こえた。

後半のヘンデルになって、歌詞がイタリア語になり、声量も増した気がした。"Lassa! ch'io t'ho perduta"(「アタランタ」より)だったと思うが、有名な「リナルド」の"Lascia Ch'io Piagna"のニアミス-とても曲想が似ていたように思われた。この後、アンコールが終わるまで、「私を泣かせてください」を歌ってくださいモードになってしまった。サンプソンの澄明な美声はヘンデルの特にマイナーの曲と素晴らしく調和していた。

次回は、是非、是非、「私を泣かせてください」を聴かせてください。。。


願いは叶う?ハーディング指揮LSO、マーラー交響曲第10番@ロンドン、バービカン

2009-11-21 00:30:00 | コンサート

先週に引き続き、ハーディング指揮、LSOでマーラーを聴いた。10番はご存知の通り、マーラーが未完で残した交響曲。国際グスタフ・マーラー協会は、第10番に関してはマーラーがほぼ完成させた第1楽章しか認めていない-私が所持している全曲集にもこの曲は入っていないので、殆ど聴いたことがない。

言われるとおり、第1楽章の始まり、ヴィオラのメロディには殆ど調性が感じられない。有名な12音のうち9音が使われる場面では、「不協和音」という印象よりも、教会で聴くオルガン演奏を思い出す。金管の短2度の音は限りなくパイプオルガンの音に近く聴こえた。そしてこの後、トランペットのA音だけが残る。この音の美しいこと。

トランペット奏者は音程に動きがあると、いまひとつなのだが、音質にかけてはぴか一であった。また、クラリネットをはじめとした木管も良い。クラリネットは先週のマラ6でも素晴らしかったと記憶している。何かで元ベルリンフィル・コンマスの安永徹氏が良いオーケストラの条件として「コンマスと木管5重奏の首席奏者が揃うこと」を挙げたと読んだが、全くその通りである。

第1楽章は約25分と長い。終わったとたんに、会場全体咳の渦。ま、聴衆の年齢層が年齢層だけにやむをえないか。「煉獄」と名付けられた第3楽章は、驚くほど短い。第4楽章は、不気味な音楽と、美しいワルツが交互に現れる。「The Devil dances it with me」-まるで幻想交響曲である。生理的にこの感じは好き-とてもウィーン的な香りがする。聴きながら、ウィーンに住んでみたくなった。また先週マラ6を聴いたばかりだからか、なんとなくマラ6の匂いがした。

第5楽章、最終章。ミュートをつけた(革製の大きな布様のものを使っているように見えた)バスドラムは、まるでマラ6のハンマーである。第1楽章の不協和音が再び現れる。不協和音、だけれど、オルガンのような音が立ち上る様は、教会を思い起こさせ、音の広がりが天に昇り行くイメージにつられて、思わず天井を見上げてしまう。有名なフルートソロ。悪くはないけれど、ウィーンフィルのあの美しいフルートソロで聴いてみたい。

曲は静かに終わる。ハーディングが、まるで祈っているかのような仕草をしながら曲を終える。聴衆も静かに、しかし暖かな、満足感に包まれた拍手を送る。

クラリネット、良かった。音も演奏の様子も-この人とちょっとお話してみたいかも、なんて思っていたら、Tubeで偶然その奏者と一緒になった。ソリストでもないし、声を掛けることを躊躇したが、下車駅も同じだったので、そこで声を掛けた。今日の演奏が素晴らしかったこと、先週のマラ6の時もクラリネットが気になっていたこと。加えて、マラ10を生で聴けるのは稀なので今日の演奏会に行った、と言ったら、彼も「僕も今日初めてマラ10を吹いたんだ」と言う。え、初めてであんなに上手に吹けるの?やっぱりプロは違う。

LSOのメンバーなのかと聞いたら、実はカーディフ在住で、BBC Walesのメンバーなのだそうだ。「え、今日はアムランとの演奏会があるはず。。。」と言うと、「良く知ってるね、本当はカーディフに居ないといけないんだけれどね」といたずらっぽく笑う。多分、クラリネットの腕を買われて、引き抜かれて来たに違いない。それにしても、話をしたいと思っていたら、本当に実現してしまった-不思議。

さて、明日は土曜日だけれど午後から仕事。その前に、HMVへ行って、ハーディング指揮ウィーンフィルのマラ10を購入して来なければ!


論理 or ユーモア?マルカンドレ・アムラン@ウィグモアホール、ロンドン

2009-11-14 02:30:00 | コンサート

アムランのアンコールはハイドンとアルカン。

ハイドンの途中で奇妙な雑音(携帯の着信音とは違うものの、「ギー」という何らかの人工的な音)-ここまで、ウィグモアホールの聴衆は他とはちょっと違う、と思っていたけれど、結局こういうことが起こる-。丁度テーマの切れ目、皆が伸ばされた音に耳を澄ませている最中。先日のヴェルレクもだけれど、なぜこういう瞬間に!?

アムランも含め皆で「ふふふっ」と笑い、彼はその後また何事もなかったかのように弾き続けた。

ところがテーマの再現部がやってきた時、アムランはわざとその前と同じだけの時間(=雑音を聴き、笑った分の)を取り、再び皆の笑いを誘ったのだった。しかし、ここは笑う場面なのか?たとえハプニングとはいえ、Aがt=yならばA'もt=yという曲の構築をアムランは意識していたのではないか。

恐ろしい演奏家に会ったような気がする。


音楽の構造-マルカンドレ・アムラン@ウィグモアホール、ロンドン

2009-11-13 23:00:00 | コンサート

あー、今日こそは明日の演奏会の練習をしようと思ったのに、ウィグモアホールのサイトを見たら、マルカンドレ・アムランの演奏会があり、朝まで売り切れだったチケットに空きが出ている。

アムランといえば、超絶技巧を要求されるアルカンの曲の演奏で知られているようだが、これまで一度も聴いたことがなかった。今日のプログラムにも勿論、このアルカンの曲やリストが含まれていて、噂の超絶技巧が聴けそうだった。

演奏会が始まって、まず、「これ、いつものウィグモアホールのピアノよね?」が疑問だった。音が、美しいのである。このホールは響きすぎて、ピアノの場合、音の芯の周りに水彩画のぼかしのようなにじんだ音のようなものが聴こえる。それは相変わらずなのだが、それでも音がいつもより華やかだったり、優しかったりする。

テクニックは噂通りだ。いつぞやのキーシンと同様、海月の襞のような指の動き。リスト「ヴェネツィアとナポリ」の最後はまさに圧巻。ものすごい勢いで手が動いているのだが、鍵盤に指が当たる瞬間には常に力が「ふっ」と抜けている。美しい。

しかし、リストやアルカンが聴き所、という予想に反して、心に響いたのはハイドンとモーツァルトだった。特にモーツァルトは、転調する度に音の色彩が変わるのが見えたように思えた。いつもは、「私には絶対音感がないので、調に雰囲気なんて在るのか分かりませ~ん」とピアノの先生に言い訳ばかりしているのだが、今日は明らかに色があった。勿論、絶対的なものではなく、相対的な調の雰囲気には過ぎないが。いずれにしても、アムランが意図して曲に構造を与えようとしていることは見て取れた。また、その演奏がバックハウスを思い起こさせた(って勿論、バックハウスを生で聴いたことはありません、念のため)ので、この人の演奏でベートーベンのソナタを聴きたくなった。

演奏会後のサイン会で、「噂に違わぬ素晴らしい技巧でしたが、それより曲の構築が素晴らしかったと思います」と伝えたところ、「それは嬉しい。そこに常日頃大変な時間をかけて準備をしているんだ」との返事。何か言いたそうな雰囲気だったが、言葉になって出てこないようだった。何を言いたかったのだろう?とても気になっている。

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ハーディング with LSO マラ6@ロンドン、バービカン

2009-11-13 00:30:00 | コンサート

ハーディングの指揮、LSOでマラ6を聴いた。今日の演奏は、第2楽章、第3楽章がアンダンテ・モデラート→スケルツォの順。普通の交響曲ならば、緩徐楽章→スケルツォ(古くはメヌエット)なのだから、これでよいのだろうが、私の中に刷り込まれているマラ6はスケルツォ→アンダンテ、のためか、どうもしっくりしない。

大好きなマラ6なので、どうしても辛口になってしまうが、全体としては、まあまあの出来(何かが特に悪いわけでも、特に良いわけでもない)。ティンパニの音がちょっと軽い感じ。有名なハンマーも、意外と目立たない(知らなければ聞き逃してしまいそうだ)。ハープをギターのように使う部分は、なんとなく2台の間で「うなり」が出ていたような気がした。

プロとしては、どういうこともないレベルであろうが、このマラ6のファーストヴァイオリンくらいは弾けるようになりたい。(ああ、こんなところで演奏会を聴いている暇があったら、自分の演奏会の練習をするべきだろうに。。。!)

それから、ハーディングに注文。指揮者はスコアを暗譜しよう!楽譜をめくるのに忙しく、第4楽章では、楽譜が上手くめくれずに、指揮が疎かになった部分があったように見受けられた。たしかに、この90分も掛かるような曲を覚えるのは容易ではないと想像はつくが「世界的」と言われる指揮者であれば是非とも暗譜してもらいたいものである。

ああ、それにしてもこの曲をGustavo & ウィーンフィルで聴きたい。どんなに美しく、楽しく、悲しく、また見応えがあるだろう。


Sorry, Sorry, Sorry! アンジェラ・ゲオルギュー@ロンドン、ロイヤルフェスティバルホール

2009-11-11 00:30:00 | コンサート

S席£75という強気の値段が災いしてか、空席の目立つロイヤルフェスティバルホールでアンジェラ・ゲオルギュー、マリウス・マネアを聴いた。

これだけ広いホールでオケをバックに歌うのは、相当大変ではないかと想像する。アンジェラも、声量が特別あるわけではないので、ところどころオケに声が消されてしまう。それでも、一昨日までのソプラノがアンジェラで、テノールがマリウスだったら、どんなに良かっただろう、と思う。

アンジェラの声色の使い分け、演技力は素晴らしい。観ていて思わず感情移入してしまう。また、彼女は見た目も美しい。出てきたとたん、隣の隣のおじさん「Beautiful」と絶句。彼女が衣装を変えて舞台に現れる度、会場からため息が漏れる。

しかし、少々準備不足というか、小遣い稼ぎの演奏会的な部分は否めないか。オケの小品5、アンジェラの独唱2、マリウスの独唱2、アンジェラとマリウスのデュオが4という構成で£75というのは少々納得がいかない。それに輪をかけたのが、MascagniCherry Duet。アンジェラが、指揮者の譜面台に寄るので、歌詞の意味が分からない私は、演技かな?と思っていたら、彼女が突然、「Sorry, Sorry, Sorry!!」。どうやら入る場所を間違えたらしい。指揮者と2言、3言交し、スコアを確認、再び歌い始めた。

それはないだろう~、アンジェラ。

アンコールの最後は勿論「乾杯の歌」。指揮者が会場に拍手の合いの手を入れるように指示をするが、イギリス人のリズム感が良いわけがない。私は合いの手には参加せず合唱部分を歌う。最後ははっきり言って「ディナーショー」のノリ。オペラファン流れなのか、おじさま、おばさまファンが多く、34人のおばさまは、舞台まで行って花束を渡していた。

サイン会をする、というので、行って見ると、舞台で見るよりずっと小柄で細身のアンジェラ登場。あの体のどこからホールを震わせる声が出るのか。誕生日であることを告げると「お誕生日おめでとう」と英語とルーマニア語(彼女はルーマニア人)でサインしてくれた。写真も「手も一緒に」といったら、こんなポーズをとってくれた。一流の演奏家という人種は、皆良い人なのだな。

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