さて、待ちに待ったジョシュア・ベル、ミッシャ・マイスキー、エフゲニー・キーシンによる三重奏。
前半はメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第一番。
ジョシュはかなり熱の入った演奏。何度も腰が椅子から離れていた。彼の生を聴くのはこれが昨日を入れても3回目だが、ウィグモアホールよりはかなり、そして昨日よりもさらに情熱的に思えた。
キーシンは相変わらず安定感のある演奏だ。彼だと、弾けないんじゃないか?と心配する必要がなく、安心して聴いていられる。
Weakest linkはマイスキー。前半・後半通してA線の音が怪しい。直前に切ったのだろうか(音程が怪しかったのは開放弦の時だけではないが)。それなのに、楽章の間にキーシンがAの音を出しても合わせようとしない。ステージで調弦ができないのですか、あなたは??ジョシュが不機嫌そうにあなたを見たり(ジョシュは感情がすぐ顔に出ると思う)、これ見よがしにA線の音を確かめていたのに。。。堂々無視(チャイコでは弦を触る振りはしたけれど、決してペグには手をやりませんでしたね)。
後半はチャイコフスキーのピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出に」。
ピアノの難曲と聞いているが、流石キーシン、なかなか良い出来でピアノがとても美しく鳴っていた。最後、彼にしては珍しく(?)、鳴り止まない拍手に応えて、楽譜を持ち上げ指し示す、というお茶目な行動に出た。それはそうだけれど、これを完璧に弾ける人は少ないと思う。
ジョシュは弦が擦れる金属的な音を出すことが何度かあった。相当気合の入った演奏だった、とも言えよう。昨日に比べると、音も伸びがあって美しかったと思うのは、バックに弦楽合奏団が付いた協奏曲と三重奏曲の違いか。彼も完璧とは言わないけれど、素晴らしい演奏だった。
そうそう、音楽祭関係者にお願いがある。譜面台は大学のクラブで使うような折りたたみ式のものではなく、(アマチュアオケなどで)指揮者が使う黒い譜面台を使ってあげないと、譜面が広げきれないし、安定しない。ジョシュはこの安い譜面台を使ったことがないのか、マイスキーが譜面台の幅を拡張する方法を教えていた。
本当にチェロが惜しまれる。ジョシュやキーシンはどんな風に思いながら演奏していたのだろう(本気で質問したい)。
「偉大な芸術家の思い出に」-芸術家って演奏家は対象になるだろうか?とふと考えた。例えば、ジョシュやキーシンが歳をとってこの世を去ったとき-私の中では、ならない気がする。なぜだろう。誰ならば該当するだろう?