先週のドゥダメル&フランスラジオ管演奏会がWeb上に公開されたので、鑑賞(arte liveで検索し、arteのサイトへ行き、genresでClassiqueを選択するとL'Orhestre Philharmonique de Radio France interprete Korngold et Malher a la Salle Pleyelというビデオがあります)。
席が非常に前だったため、演奏会中は管楽器の動きがほとんどわからなかったが、フランスラジオ管がSimon Bolivar Elder (失礼!) Orchestraか?と思うような動きをしていたことが判って楽しかった。
しかし、いずれの動きやアクセントもスコアにきちんと書かれていて-「Schalltr」でベルをどこまで持ち上げるか:フランスラジオ管はホルンもクラリネットも90度ベルを持ち上げていた(楽器は床とほぼ平行)、アクセントはどの程度のアクセントをつけるのか:第2楽章の冒頭のヴァイオリン・ヴィオラのアクセントのつけ方-納得。デフォルメ過多と感じるか否かは演奏の出来と聴く人の好みか。
さて、私が感動した(場所を誤解していたが)Luftpauseは、ビデオ上79分07秒(第四楽章375小節目に入る前)にやってくる。家人は皆が熱狂的クラシックファン、と言うわけでもないので、全曲聴かせるのは酷かと、77分からビデオを見るよう指示。
ところが、送られてきた感想は
『笑った』
何故だ?ここは、フルトベングラーのかの有名なブラームス交響曲第一番冒頭の奇跡のティンパニにも匹敵する瞬間と、生で聴いていたときから思っていたところだったのに!!
どうやら、家人はドゥダメルに「ビジュアル」を期待したらしい。これだけ長く付き合っていてどうして「物はスペックより見た目、人間は見た目よりスペック」という私の基準を彼女たちは理解できないのだろう。
単純に、価値観の相違か。