風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

高次脳機能障害、普通という大切なものの存在

2010年01月25日 20時19分39秒 | エッセイ、随筆、小説

 



普通のことがしてみたい。
たとえば銀座で待ち合わせするとか、手を繋いで街を歩くとか、安くて美味しいものを食べるとか。
家で一緒にご飯をつくったりもしてみたいし、ときどき贅沢な旅行を計画実行してみたり。
温泉や海外旅行に行って、ふたりの思い出の頁を増やしていけたなら。

もし誰かと付き合うことにしたら何をしてみたい?と聞かれた。
私は誠実に付き合いたいと思う・・・と答えた後に、「普通のことを大切に思える人」とも加えた。
日常に特別な要素を取り入れることに躍起になるのではなくて、
何気ない他愛ない日常を、大切に紡ぎ続けることのできる人とこれからの人生を共に歩きたい。

四日ぶりに実家に戻ると母が「おばさんが心配をして電話をかけてきたよ」と教えてくれた。
誰とどこにいたなど母は聞かない。
ただ「韓国に行った夢を見たのよ」とだけ言って笑って私を見つめている。
「事故に遭って障害を負ったけれど、家にいないということは元気な証拠だもの」とも言った。
四谷3丁目に引越しをしたことはまだ内緒にしていようと思った。
なぜだかよく自分でもわからない。
けれど、今私に起こっている幸せな出来事を、大切に考えているからこそまだ今はなにも話さずに。
近いうちに、桜が咲く頃にはきっと、
私の方が黙っていられなくなることは目に見えているのだもの。

高次脳機能障害を負うまでは恵まれた環境の中で充実した毎日を過ごさせてもらった。
国内外どこにでも、行きたいと思ったところ、
会いたいと思った人には100%の確立で夢を実現してきたことも、この恩恵に有難く。
そして中途障害者となって早6年目を迎えた。
悔しいことや悲しい出来事にも多々遭遇、ちっぽけな自分というものも突きつけられる時間でもあった。
でも、生きていても悪くはないんじゃない?と思う。
きっと私にはそう思わせてくれる人たちがたくさんいるからだろう。

だからこそ、普通のことを大切に思える人と歩きたい。
普通のことを大切に思える自分がようやく完成したのだから。