rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

老衰で死ぬということ

2023-12-30 18:17:55 | 医療

病院で亡くなった人の死亡診断書とカルテのチェックを10年以上続けていると、全科にわたる疾患の知識と共に、法医学的な知識も豊富になってきます。長期にわたって入院した患者さんが亡くなる場合は、老衰が死因になることは多くない(ゼロではない)のですが、ほぼ心肺停止で搬送された高齢者の方は死亡診断書の死因に老衰が記載されることも多くあります。80台後半以上の方が疾病でなく老衰で亡くなるのは、保健医療においては喜ばしい事で理想は全てのお年寄りが老衰で亡くなる事とも言えます。

 

死亡診断書の記載は医師でないとできませんが、厚労省の定める「記載の手引き」があり、それに従って記載する必要があります。死因については全ての患者が心停止、呼吸停止で亡くなるので「心不全」「呼吸不全」が直接死因になりますが、必ずその原因が明らかであれば原因を記載し、厚労省の統計に表れるのは原因となった死因の方です。集中治療室で、多臓器不全で亡くなる方の原因は、熱中症であったり、術後感染であったり、ウイルス肺炎であったりするので、主たる死因は多臓器不全でもその原因の記載は別になります。「老衰」は亡くなった状況から原因となる疾患が明らかでなく、高齢でだんだん食事や水分が摂れなくなって衰弱して亡くなった経過が明らかであれば死因とされます。まったく元気で食事もされて活動していた方が突然亡くなった場合は、肺梗塞や不整脈、心筋梗塞などが除外されると「不詳の内因死」と診断されます。

 

死因のチェックをしていると、救急外来などで、心肺停止で搬送されて亡くなった方や、院内で急変して亡くなった患者さんの死因が「診断書の記載は誤りだ」と気づく場合も時々あります。それは直接死因と死亡に影響した疾患が別であったり、心肺停止で搬送された人の死亡時CT(Autopsy Imaging AI)や血液検査の読み間違えによるものによるのですが、若い医師たちにとって、夜間に通常の救急外来もやりながら死亡診断書も記載するという状況では完全を期する事は不可能とも言えるので仕方ありません。死因に「誤嚥性肺炎」とあってもどう見ても「老衰」だろうということもあり、血糖値7(通常は70以上)で低血糖が死因だという事もあります。血清カリウムは死後上昇するのですが、腎不全を合併して上昇していた場合は高カリウムが死因になりえます。出血がないのにヘモグロビンが3(通常は10以上)であれば明らかに貧血が死因であり、白血球なども減っていれば再生不良性貧血であるし、それらが正常であればウイルス疾患などを契機とした赤芽球癆を考える必要があります。AIで生前に気づかれなかった全身リンパ節が腫脹したリンパ腫が見つかることもあります。

 

事件性が明らかでなければ、既に葬儀も済ませた患者さんの家族に「死因が違いますよ」と連絡することはありませんが、診断書を記載した若い医師たちには後学のために連絡しています。そのような中、私の母がこの年末に「老衰」で他界しました。認知症もあり、家の近くの施設に入所して世話をしてもらっていたのですが、1か月ほど前から食事が摂れなくなり、量を減らしたり、易消化食にしたりしていたのですが、いよいよ危ないですと連絡があり、嘱託医にもあらかじめ施設看取りの承諾を得ていたので極めてスムーズに老衰による安らかな死を迎えることができました。亡くなることが予想されていた場合は、心臓が止まった時に医師が看取りをする必要などなく、翌朝診断書に記載すれば良いことになっています。しかし看取りの承諾が家族から得られていないと、救急車を要請してルーカスと呼ばれる餅つき機の様な人工心マッサージ機を装着されて救急病院に搬送されることになります。せっかく安らかに老衰死を迎えたのに、人生の最期に機械に心マッサージをされて気管挿管されたうえ無理やり蘇生される(ほぼそのまま亡くなる経過を取ります)事になります。老衰死は「大往生」であり、遺族はお祝いをして天国に送り出す事が亡くなった家族への最大の供養と言えます。老衰を迎えるお年寄りを持つ家族の方は是非「看取り」をしてもらえるようにかかりつけの医師にあらかじめお願いをしておく事をお勧めします。

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傲慢と無関心(Arrogance and Ignorance)

2023-12-08 15:21:51 | 社会

ウクライナでの米国・欧州の対応、ガザに対するイスラエルの対応そしてコロナやワクチンについての日本を含めた社会の対応、気候変動に伴う生活方法の変化強制についても共通して感ずるのは「傲慢と無関心(Arrogance and Ignorance)」という言葉です。2年前にアップされたRAGEというヘビメタ系バンドの曲にArrogance and Ignorance というのがあり、曲として好きかどうかは別として歌の内容やクリップは正にグローバリズムを背景にした市場原理主義の実態、各地で起こっている戦争についての実態を象徴していると思いました。基本にあるのは上から目線の傲慢な決めつけと、その被害を受ける人たちへの無関心が全てにおいて共通してみられる事です。これは強制する権力者側のみならず、それを伝えるメディア、強制される大衆も自分に直接大きな被害がなければ「無関心」を決め込み、権力側の決定に反論する人たちを権力者に倣って上から目線で批判し、被支配者側が自ら「分断」を作り出している様にも当てはまります。

RAGEの公式ビデオより

 

I.  ウクライナはクーデターで終わる

 

元CIA分析官のラリージョンソン氏によると、ゼレンスキー大統領は軍最高司令官のザルジニー将軍に「退役勧告」を出したが、本人から正式に断られた様です。報じられている様に、米国はゼレンスキー大統領の議会でのリモート演説を直前にキャンセルし、数千億ドルの支援策も議会が否決しました。米軍とCIAの一部、英国および大手資本は既にウクライナ全土がロシアに渡るよりは、損切りをして半分だけでもウクライナを西側資本の自由に残したいという決定を下しており、ゼレンスキーを切ってザルジニー将軍を大統領にした上で戦後処理をさせる計画を立てています。ウクライナ軍は圧倒的にザルジニー将軍を慕っており、ゼレンスキーの命令に反して精鋭部隊を春季攻勢で使い果たす事をせず、温存してきました。軍人は当然犬死にを嫌うのでザルジニーに忠誠を誓っています。一方ホワイトハウスと国務省グローバリズム派はウクライナ徹底抗戦を支持してゼレンスキーに支援を続けようと必死です。Kirby報道官もウクライナ支援を行わないと米軍が参戦する米ロ戦争になると国民を脅しています。その「根拠はプーチンが欧州に攻め込むから」というもうめちゃくちゃな理屈です。

ウクライナ予算を通さないとNATO 5条で米軍が戦争に参加することになると脅すカービー氏

 

実際には議会はウクライナ予算をもう通さないでしょうから、ゼレンスキーは「詰み」です。一説では「米大統領選が始まる24年2月までに休戦しろ」という指令が出ていると言われます。

 

II.  慈悲は反ユダヤ主義

大手メディアもイスラエルを批難 「ガザは西側の偽善を思い知らされる教訓となった」とするGuardianの記事

 

ガザではイスラエル軍による戦闘が再開され、住民が避難した南部地域にも攻撃を拡大し、犠牲者が増加しています。大手メディアであるロイターでさえ「イスラエルは攻撃を免れる地域にガザ住民に移動を命令し、そこを爆撃する。」と真実を伝えています。米国の大学では、ユダヤ人に対する風当たりが強くなり、暴力事件も多発している様です。米国下院教育部会では各有名大学の代表を招いて、反ユダヤ主義の蔓延と教育の自由について公聴会を開きました。その中で、「イスラエルはユダヤ人国家として存在して良いと思うか?」。という質問まで出る始末。大量虐殺は神の慈悲に反するというプラカードが「反イスラエル・シオニズム」=「反ユダヤ」であるとする声が高まってしまっています。シオニズムは政治理論であり、反ユダヤは人種差別であるので、混同は「絶対禁」なのですが、「人種差別の禁」を「政策に対する反対意見を黙らせる事に使いたい」余り、米国下院は12月6日に「反シオニズムは反ユダヤと同じである」というデタラメな決議(894号)を可決してしまいました。これほど危険な決議はありません。「これからはユダヤ人を見たらシオニスト(虐殺主義者)と思え」という決議であり、一見政策の反対意見を黙らせる方策の様に見えて、逆に作用したら大変な偏見中傷を全てのユダヤ人に向けさせる事になってしまいます。心あるユダヤ人は声を挙げないと大変な事になります。これも「傲慢と無関心」のなせる業でしょう。

反イスラエルと反ユダヤは別と訴える下院ラシダ議員。反シオニズムと反ユダヤ主義は同一という決議894

 

ガザの問題については、20歳になったあのグレタ氏も「明確にパレスチナ支援」を打ち出したために、「グローバリズムの都合でSDGとセットになっているイスラエル擁護をしないのは怪しからん、テロの同調者だ」とイスラエルからお叱りを受けている様です。

是々非々ではなく、グローバリズムの政策はセットで支持しないと疎外されます。

 

Ⅲ.  WHO世界統一政府へのあがき

 

WHOはパンデミック条約、世界保健規則改定を行って、各国の国内法よりWHOの指令を優先させる(世界統一政府としての指令機関)制度確立を狙っています。それに対して、世界45か国の医師、科学者、法律家、人権擁護活動家たちがWorld Council for Health (WCH)という機関を設立し、日本でも超党派議員連盟による活動を始めています。このWHOの試みは感染症のみならず、農業や脱炭素問題にまで広げようとしている様です。既にWHO自体から離脱する国も出始めている状況で、本来の健康増進を逸脱し、グローバリズム専制の道具にしようとする策略は醜いばかりです。

健康を生活全てに広げようとするOne Health構想  WCH超党派議連による厚労省などへの公開聴聞会

 

IV.  日本の格差社会における傲慢と無関心の現状

 

一律4万円減税、7万円給付という絶妙な割合:保守自民党を支持する新自由主義者の勝ち組にとっては、4万円減税は無関心、負け組にとってはありがたいかもしれない。また新自由主義の競争から降りてしまった高齢者や低所得の人達への7万円給付は、保守支持層にとってやはり無関心であり、被給付者からはありがたいと感ずる点で、自民政権継続に公金を使う上で絶妙な割り振りと言えるかもしれません。

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Armstrong Whitworth Whitley GR7 Airfix 1/72

2023-12-03 11:11:29 | プラモデル

英軍のホイットレー爆撃機を作りました。Armstrong Whitworth Whitleyは1936年に正式採用され、ウエリントン、ハンプデンとともに開戦時の英国爆撃機主力機の一つでした。ウエリントンが生産性を無視したかご状鉄骨に羽布張りという構造で、ハンプデンが射界改善として細く珍妙な形態に至った事に比してオーソドックスで無骨な形態であり、最も多く生産されたMk5は最高速度357km、航続距離2600kmと大戦初期ではまあまあであったが、中期以降は哨戒、輸送などの任務に就かざるを得ない状況でした。それでもMk5のみで1476機が生産され、初めてのドイツ本土爆撃やイタリア本土爆撃に参加するなど活躍しました。Mk5は他の同時代の爆撃機が空冷星形エンジンが主流であった時代に戦闘機にも用いられる液冷マーリンエンジンが使われ、尾部にはその後4発爆撃機に使用された4連装電動ナッシュアンドトムソン砲塔を備えるなど尾翼に支柱がついているような古い設計にしては近代重爆につながる装備を備えていました。私としてもそんなチグハグな所にも魅力を感じています。

ホイットレーGR7の実機と箱絵

 

模型は老舗のAirfixで2000年代の新金型であり、修正なくきれいに仕上がる安心モデルです。作ったのは対潜哨戒型のGRで、1941年初めて航空機によるUボート撃沈を果たしたことでも有名です。記録によると、対潜哨戒型ホイットレーが就役中に撃沈したUボートは、5隻に上ったそうです。プラモデルは機種の内容のみでなく、箱絵に惹かれて購入することも多いですが、このプラモの箱絵も非常に気に入っています。波穏やかな北海でASV2レーダーに捕捉した浮上航行中のUボートに雲上から近づくホイットレー哨戒機。雲間から突如現れた対潜哨戒機にEmergency diveの警報が鳴り、観測員が船内に入ってハッチを占めると同時にすでに潜航に入りつつあるUボート。機銃を浴びせつつ、次のパスで止めの攻撃に入るための旋回に入るホイットレーの緊張した場面を見事に描いた箱絵です。

搭乗員はハセガワ製を流用 無骨さと近代さを兼ねた姿

下面は白ですが、疲労感を出すために接合部にレッドブラウンの筋を塗ってから白をスプレーしてみました。上面はエクストラダークシーグレーとダークスレートグレーの迷彩で、502Coastal Command所属の機体です。搭乗員は付いていなかったので、ハセガワ製の海軍搭乗員セットを改造して操縦士、航法士、銃手2名を載せてみました。開戦時に同様活躍したウエリントンと並べてみました。空冷ブリストル・ハーキュリーズエンジンが後ろから見て左回転であるのに比して、液冷マーリン5エンジンが右回転であり、翼の構造などに設計思想の違いが目立ちます。

同時代の設計ながらウエリントンの方がスマートに見える。

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国際秩序に道徳は不要、大国の合意あるのみ(キッシンジャー)

2023-12-01 21:46:43 | 政治

2023年11月29日、米国の歴代大統領に仕え、米帝国の外交を牽引してきたヘンリー・キッシンジャー氏が100歳で亡くなった。冷戦期の米国政治を政権の影で牽引し、引退後も世界の動きに影響を及ぼしてきたと言われます。副島隆彦氏の分析では、トランプの大統領就任にも一役買っていたと言います。ウクライナ戦争では和平か戦争継続か、どっちつかずの態度でしたが、日本にもたびたび現れて時の首相に種々指示を出し、日本の政治にも多くの影響を与えたと考えられます。彼の政治的軌跡について、改めてMiddle East Eye誌にコロンビア大学アラブ政治思想史教授のジョセフ・マサド氏が「ヘンリー・キッシンジャーの残忍な遺産」という寄稿をしていたので備忘録的に日本語要約を記します。

(引用開始)

ヘンリー・キッシンジャーの残忍(murderous)な遺産

ジョセフ・マサド 2023年11月30日

1)キッシンジャーの非道徳的で大量虐殺につながる犯罪は、彼が生涯を通じて奉仕してきた米国エリート層の忠実な代表であったことを明らかにした。

2020年ベルリンの式典に出席したキッシンジャー氏

1923年5月27日にバイエルン州フュルトのドイツ系ユダヤ人家族にハインツ・アルフレッド・キッシンジャーが誕生したが、水曜日に100歳で亡くなった。1938年、15歳の時に彼と家族はナチスから逃亡した。水晶の夜の前にドイツからニューヨークへ。青年期のハインツが、重いドイツ訛りを残しながら米国でヘンリーになったとき、彼が大人になって何十万人もの人々の殺害を命令し、その結果億万長者になるとは誰も予想できなかっただろう。

1943年、20歳のキッシンジャーは米陸軍に徴兵されドイツ語が堪能だったため、陸軍情報部で占領下のドイツにおける非ナチス化を担当した。 

戦後、キッシンジャーはハーバード大学に通い、1950年に政治学の学士、1954年に博士号を取得した。1952年にまだ在学中、 1951年にホワイトハウスが対アメリカ政府の宣伝活動のために設立した米国政府の心理戦略会議で働いた。これは米国と「民主主義」を支持し、共産主義に対抗するための委員会であった。米国と中ソの代理戦争で朝鮮半島で何百万もの犠牲者を出した朝鮮戦争の最中でのことだった。

2)キッシンジャーは、国際秩序の正当性には大国の合意のみが必要で道徳は無関係であると主張した

キッシンジャーは彼の著作の中で、国際秩序の正当性には大国の合意のみが必要で、道徳は無関係であると主張した。トーマス・ミーニーがニューヨーカー紙で説明しているように、キッシンジャーにとって「道徳に縛られない事が自由の証だった」のだ。1952年、キッシンジャーは、ワイマール共和国外務大臣暗殺への関与で有罪判決を受けた殺人犯エルンスト・フォン・ザロモンの記事を、自身が編集する雑誌『コンフルエンス』に掲載した。ハンナ・アーレントやラインホルト・ニーバーなど、この雑誌に寄稿したドイツ系ユダヤ人亡命者はこの記事に満足していなかったが、キッシンジャーはこの記事は「私の全体主義者、さらにはナチスへの同情の表れ」だと冗談めかして言ったという。

3)原子力政策

彼はまた、1955年から1956年にかけて外交問題評議会(CFR)で核兵器と外交政策の研究責任者を務め、1957年には著書『核兵器と外交政策』を出版し、米国は戦争において戦術核兵器を定期的に使用すべきだと主張した。

彼の右翼公認伝記作家ナイル・ファーガソンは、キッシンジャーの本の主張は、彼が「スタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』のストレンジラブ博士のモデルとなった」という「証拠として提示される可能性が非常に高い」と述べている。キッシンジャーは、核兵器に関する著書が学術的ではないという教授陣の反対にもかかわらず、ハーバード大学での終身在職権を獲得した。 

キューブリックの作品「博士の異常な愛情」

彼は学界にとどまらず、ネルソン・ロックフェラーなどの政治家や大統領候補のコンサルタントとしても活動しました。1961年に彼をハーバードに推薦したマクジョージ・バンディがジョン・F・ケネディ大統領の国家安全保障担当補佐官に就任すると、キッシンジャーも顧問としてバンディに加わり、リンドン・ジョンソン政権下でもその地位を維持した。

戦術核兵器の使用をキッシンジャーが推奨していたため、彼は1962年と1965年にイスラエルに招待された。最近の文書は、キッシンジャーがイスラエルは既に核兵器を所有していた事を知っており、イスラエルの核保有を黙認する姿勢であったことが明らかだという。そして1969年にニクソン大統領の国家安全保障担当補佐官として、イスラエルがすでに開発している核兵器計画に対するニクソン政権の理解を仲介することになった。

キッシンジャーはベトナム戦争がアメリカには無益だったと信じていたにもかかわらず、1968年のリチャード・ニクソンの選挙運動に共謀し、民主党が選挙で勝たないようパリ和平交渉の情報をリチャード・ニクソンに漏らし戦争を長引かせたニクソンが選出されると、キッシンジャーは1969年1月に国家安全保障担当大統領補佐官に就任し、1975年までその職を務めた。 

ニクソンは彼のことを「ユダヤ少年」と呼んだが、彼は生涯保守的な共和党員だったので、右翼の反ユダヤ主義は気にしていないようだ。彼は1973年9月から1977年1月まで国務長官も務めた。 

3)冷酷なカンボジアキャンペーン

キッシンジャーは南ベトナム民族解放戦線と北ベトナムを打ち負かす決意を固め、1965年にジョンソン政権下で始まったカンボジアへの秘密戦術爆撃を強化し、1973年まで続く無慈悲な絨毯爆撃作戦に発展させた。 そして1973 年までに 15 万人から 50 万人のカンボジア人が殺害された。

キッシンジャーとニクソンが再び北ベトナムへの爆撃を開始したとき、キッシンジャーは「爆弾のクレーターの大きさ」に最も興奮した。核兵器使用への支持を維持し、彼はダックフックと呼ばれる作戦の一環として1969年に北ベトナムを核攻撃する計画を考案した。 

社交界では彼を「優しいキッシンジャー」と呼ぶ人もおり、女性誌では「常にフレンドリー、特に女性に対しては」と評されていたが、嫌いな女性について語るとき、彼の甘言の人柄はどこにも見えなかった。インドの元首相インディラ・ガンジーのことを「雌犬」「魔女」と呼び、「インディアン」を「ろくでなし」と呼んだ。 

4)クーデターと白人至上主義

1971年、キッシンジャーは元パキスタン大統領ヤヒヤ・カーンの東パキスタン(バングラデシュ)に対する虐殺作戦を支持し、1975年にはインドネシアの独裁者スハルトによる東ティモール人民に対する虐殺戦争(人口の3分の1が殺害された)を支持した。スハルトは1965年に米国の支援を受けたクーデターによって権力を掌握し、共産主義者と疑われる最大100万人のインドネシア人に対して虐殺を行った。東ティモールの死者20万人についてはキッシンジャーは動じず、「ティモールについてはもう十分聞いたと思う」と語った。

1970年に社会主義者のサルバドール・アジェンデが一般投票でチリ大統領に選出されたとき、キッシンジャーは「自国民の無責任のせいで国が共産主義化していくのを傍観して見守る必要はない」とコメントした。彼はニクソンにアジェンデに対する暴力的なクーデターを組織するよう圧力をかけ、その後10年半にわたって国をファシスト支配にさらし、米国の支援を受けた軍事政権によって数千人が殺害された。 

5)キッシンジャーが推進した帝国主義的殺人政策はすべて、キッシンジャー以前もその後も米国の外交政策から逸脱していなかった

南アフリカ、ローデシア、モザンビークとアンゴラのポルトガル植民地における白人至上主義の入植者植民地と米国との関係を強化するという 「タール・ベイビー」オプションを提唱したのもキッシンジャーだった。

中東に関して言えば、ニクソンとフォードの時代に米国の主要同盟国となったシオニスト入植植民地イスラエルとの関係強化とは別に、キッシンジャーは1973年の戦争中に「アラブの勝利を阻止する」ためにイスラエルを徹底的に武装させた。戦争中のイスラエルへの彼の緊急軍事援助は、エジプト軍とシリア軍の初期の勝利を逆転させ、イスラエルの戦争勝利を確実にした。同氏はまた、米国とパレスチナ解放機構とのいかなる関係も確立できないことを保証した。 

1975年9月、キッシンジャーはイスラエルとの間で、ユダヤ人至上主義国家としてのイスラエルの「生存権」を認めない限り、米国はPLOを認めず、交渉もしないことをイスラエル側との「覚書」で約束した。元PLO議長ヤセル・アラファト氏は、1988年にジュネーブで、そして1993年にオスロで再びその覚書通りの署名をすることになる。 

6)恐ろしい記録

事実上、キッシンジャーは、イスラエルによるパレスチナの土地の植民地化が今後数十年間にわたって永続することを保証した。彼は元エジプト大統領アンワル・サダトのイスラエルへの降伏とキャンプ・デービッドでのパレスチナ人の権利売却の立案者であり、いわゆるアメリカ主導の「和平プロセス」を設計した。これはパレスチナ人とイスラエルに対するアメリカの政策を定義し、その後、アラブ世界の多くの地域で現在進行中の災害の元を形作ることになる。 

キッシンジャーが世界中で戦争を挑発し、ファシスト独裁者の権力掌握を支援し、アフリカ南部やパレスチナの入植者植民地での白人至上主義を支援する中で、ソ連との緊張緩和を追求し、中国との国交を開設したことは評価されている。彼はカンボジアへの野蛮な爆撃の最中に北ベトナムと「和平」交渉を行った功績でノーベル平和賞を受賞したこともある。 

キッシンジャーは、ロナルド・レーガンやジョージ・W・ブッシュなど、その後のアメリカ大統領に助言し、彼らの戦争を支援し続けた。1982年、彼は極秘の顧客リストを備えた自身のコンサルタント会社キッシンジャー・アソシエイツを設立し、アメリカとヨーロッパの帝国企業と銀行、西側諸国が支援する第三世界の独裁者、白人至上主義の入植者植民地にアドバイスを行った。最後に報告された彼の純資産は約5,000万ドルでした。 

民主党政権からも愛されたキッシンジャー氏

しかし、キッシンジャーの恐ろしい経歴は、多くのアメリカのリベラル政治家に彼を慕わせた。クリントン夫妻は彼を心から愛しており、彼の誕生日パーティーに出席した。バラク・オバマ前大統領は、2008年の大統領選挙期間中、イランに関する自身の見解を支持しているとしてキッシンジャーを引用したが、キッシンジャーは彼を拒否した。2010年、オバマ政権はカンボジアにおけるキッシンジャーの殺人的政策をまねて、世界中でアメリカ国民を含む米国政策に敵対する人々をドローンで殺害した政策を正当化した。 

7)彼の政策は異端ではない

2018年4月、キッシンジャーはトランプ大統領の億万長者の友人たちとともに、ホワイトハウスでのトランプ大統領の初の国賓晩餐会にゲストとして出席した。彼はウクライナ戦争についても意見を述べているが、それについては何度か考えを変え一貫した方針を示していない。

ヒッチンズ氏はキッシンジャーに関する著書の中で、「戦争犯罪、人道に対する罪、そして殺人、誘拐、拷問を含む慣習法、国際法に反する」罪でキッシンジャーを告発している。しかし、ヒッチンズは、キッシンジャーの政策が彼の固有の犯罪性からもたらされた特殊性(異端)ではなく、これらの犯罪のそれぞれがむしろ「米国政府に対する批難」に代わるべきであることを理解していないようだった。 

実際、キッシンジャーが推進した帝国主義的殺人政策はすべて、キッシンジャー以前もその後も米国の外交政策から逸脱するものではなかった。それが、アメリカのビジネス界や知的エリート、リベラル派や保守派の間での彼の人気の理由となっている。  

ミーニー氏が言うように、国の罪を一人の男のせいにすることは全員の利益になる。「キッシンジャーの世界史的人物としての地位は保証されており、彼の批判者は彼の外交政策を米国の常道でなく、彼特有の特例とみなすことができる」。 

キッシンジャーの非道徳的で大量虐殺的な犯罪は、建国以来の米国が犯してきた犯罪に比べれば大人しい方であろう。強いて言えば、キッシンジャーは生涯を通じて彼が仕え、彼の名声、富、贅沢三昧の人生を保証してくれた米国犯罪エリートの忠実な代表にすぎなかったとも言えよう。

(引用終了)

 

デビッド・ロックフェラー(2017年死亡)、ジョージ・ソロス2023年引退、そしてヘンリー・キッシンジャーが亡くなって、善悪どちらの面もあったでしょうが、世界政治に影で大きな影響を及ぼすフィクサーと言える人が見当たらなくなった様に思います。ビル・ゲイツや世界経済フォーラムのクラウス・シュワブはそこまでの行動力があるようには見えません。今後の国際情勢は混沌として金と権力がある様々な思惑の人達にかき回され、民衆側からも強力な指導者がなかなか現れず、どちらにも流され得る浮遊状態になる様にも思います。

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