_外国人看護師・介護福祉士受け入れ
日本政府は平成11年、単純労働者の就労には慎重な姿勢を保つ一方、専門的・技術的分野の労働者は受け入れの方針を閣議決定した。日本は18年9月にフィリピン、昨年8月にはインドネシアと、看護・介護分野の労働者の受け入れなどを柱とした経済連携協定をそれぞれ締結した。インドネシアとの協定は今年5月に日本の国会で承認された後、受け入れを正式決定。フィリピンは同国上院での批准が遅れるなどしているため、厚生労働省は今年度中の来日は困難とみている。
(http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/080704/wlf0807042225003-n3.htm)
日本における看護師、介護士などの医療職は、夜勤があったり、肉体労働として仕事がきつい上に責任も重く、その割に給与面などの待遇が良くないために離職率が高く慢性的な人手不足状態にあります。最近では、自民党有志の「外国人材交流推進議員連盟」(会長・中川秀直元幹事長)が、人口減少問題を解決するため、50年間で「総人口の10%程度」(約1000万人)の移民受け入れを目指すなどと外国人労働者受け入れがよりヒートアップしてきています。日本看護協会は外国人看護師の大量受け入れには反対しています。私も看護師達と一緒に働く医師の立場からは基本的には反対です。
理由は2点あります。まず1)日本人が足りなければ外国人を安く雇えば良いという発想が間違いであること。2)高度なコミュニケーションを必要とする医療現場において日本語の不自由な外国人を安易に受け入れることの危険性が全く無視されていること、です。
現在看護師、介護士などの離職率が高いのは、仕事を続ける環境や待遇が悪いことが一番の原因です。待遇を改善すれば離職率も下がり、人が増えればそれだけ労働環境も楽になり、結果的にサービスも向上します。「日本人が駄目なら安い外国人を連れてきて働かせれば良い」というのは、ありていに言えば「奴隷を買ってきて働かせる」ことと発想は同じです。日本人はいつからそんな傲慢な民族になったのでしょうか。
病院では新卒の若い看護師達が2-3年してやっとベテランになって信頼できるスタッフになった状態になると出産などを契機に次々と離職してゆきます。育児施設を備えた病院も増えてはいますが、予算も必要であり、全国の病院の9割が赤字の状態では十分とは言えません。介護職に至っては尚劣悪な状態です。外国人を受け入れるのは離職者が少ないのに足りない、つまり本当に数が足りない状態になって始めて議論されるべきことです。
第2の言葉の問題ですが、これだけ医療事故の責任追及をきびしくしているマスコミがコミニュケーションが満足にできない外国人が医療に入ってくることに何の危惧も示さないとはどういう神経なのでしょう。彼らが犯したミスはカバーできなかった日本人スタッフが責任を取ればよい程度にしか考えてないのでしょうか。もともとマスコミは医療事故について十分考察したり、重要視などしていないのだと思います。時流に乗って医療事故をネタに医療をバッシングしているだけなのです。看護師の業務は患者さんに接することだけでなく、カルテや各種書類への正確な記載(日本語で)、業務帯や病棟間の申し送りなど日本語のコミュニケーションが手早く間違いなくできることを必要とするものが沢山あります。フィリピンなど英語を公用語としている人達が米国やカナダなどで働く事はさほど困難はないでしょうが、1-2年日本語を勉強した程度で日本人の看護師と同等にミスを犯さず医療的記載が日本語でできる訳がありません。マスコミは何故その問題をスルーしているのでしょう。外国人看護師が言葉の問題でおきた医療事故は「しょうがない」ですますという暗黙のルールでもできているのでしょうか。
メディアによっては外国人受け入れに反対している日本看護協会の立場を「利権を守るために反対している」と決めつけているものもありますが、たいして良い条件で働ける訳でもないのに何の利権なんだろうと不思議に思います。少子高齢化といっても日本に若者がいなくなった訳ではありません。若者達は正規社員になれず、派遣やフリーターとして生きる事を強制され、次世代の日本を担う立場や父母として次代の日本人を育てるために独り立ちしてゆく道を狭められているのです。「労働者がいなければ移民を入れろ」というのは「奴隷を安く買ってこい」というのと同じです。まず日本人の若者、勤労者を大切にすること、年を取っても労働を続けられる環境を整える事から始めるべきです。
そのためには私が普段から主張するように、勤労者の給与を上げる必要があります。「会社の利益は株主と資本家に分配すればよい」というのはアメリカの未熟な原始資本主義の考え方であり、その結果が資産総額がGDPの10倍(アメリカの資産総額は1京3000兆円)などと言う利潤を求めるだけでGDPの半分近くを必要とするような初歩的な算数でも無理が明確な経済構造になってしまうのです。原始資本主義は国民を幸せにしません。勤労者が潤い、経済が回転し、税収も増加し、福祉予算も増え、それで国民の健康も増進するのが日本の進んだ資本主義のありかたではないでしょうか。
日本政府は平成11年、単純労働者の就労には慎重な姿勢を保つ一方、専門的・技術的分野の労働者は受け入れの方針を閣議決定した。日本は18年9月にフィリピン、昨年8月にはインドネシアと、看護・介護分野の労働者の受け入れなどを柱とした経済連携協定をそれぞれ締結した。インドネシアとの協定は今年5月に日本の国会で承認された後、受け入れを正式決定。フィリピンは同国上院での批准が遅れるなどしているため、厚生労働省は今年度中の来日は困難とみている。
(http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/080704/wlf0807042225003-n3.htm)
日本における看護師、介護士などの医療職は、夜勤があったり、肉体労働として仕事がきつい上に責任も重く、その割に給与面などの待遇が良くないために離職率が高く慢性的な人手不足状態にあります。最近では、自民党有志の「外国人材交流推進議員連盟」(会長・中川秀直元幹事長)が、人口減少問題を解決するため、50年間で「総人口の10%程度」(約1000万人)の移民受け入れを目指すなどと外国人労働者受け入れがよりヒートアップしてきています。日本看護協会は外国人看護師の大量受け入れには反対しています。私も看護師達と一緒に働く医師の立場からは基本的には反対です。
理由は2点あります。まず1)日本人が足りなければ外国人を安く雇えば良いという発想が間違いであること。2)高度なコミュニケーションを必要とする医療現場において日本語の不自由な外国人を安易に受け入れることの危険性が全く無視されていること、です。
現在看護師、介護士などの離職率が高いのは、仕事を続ける環境や待遇が悪いことが一番の原因です。待遇を改善すれば離職率も下がり、人が増えればそれだけ労働環境も楽になり、結果的にサービスも向上します。「日本人が駄目なら安い外国人を連れてきて働かせれば良い」というのは、ありていに言えば「奴隷を買ってきて働かせる」ことと発想は同じです。日本人はいつからそんな傲慢な民族になったのでしょうか。
病院では新卒の若い看護師達が2-3年してやっとベテランになって信頼できるスタッフになった状態になると出産などを契機に次々と離職してゆきます。育児施設を備えた病院も増えてはいますが、予算も必要であり、全国の病院の9割が赤字の状態では十分とは言えません。介護職に至っては尚劣悪な状態です。外国人を受け入れるのは離職者が少ないのに足りない、つまり本当に数が足りない状態になって始めて議論されるべきことです。
第2の言葉の問題ですが、これだけ医療事故の責任追及をきびしくしているマスコミがコミニュケーションが満足にできない外国人が医療に入ってくることに何の危惧も示さないとはどういう神経なのでしょう。彼らが犯したミスはカバーできなかった日本人スタッフが責任を取ればよい程度にしか考えてないのでしょうか。もともとマスコミは医療事故について十分考察したり、重要視などしていないのだと思います。時流に乗って医療事故をネタに医療をバッシングしているだけなのです。看護師の業務は患者さんに接することだけでなく、カルテや各種書類への正確な記載(日本語で)、業務帯や病棟間の申し送りなど日本語のコミュニケーションが手早く間違いなくできることを必要とするものが沢山あります。フィリピンなど英語を公用語としている人達が米国やカナダなどで働く事はさほど困難はないでしょうが、1-2年日本語を勉強した程度で日本人の看護師と同等にミスを犯さず医療的記載が日本語でできる訳がありません。マスコミは何故その問題をスルーしているのでしょう。外国人看護師が言葉の問題でおきた医療事故は「しょうがない」ですますという暗黙のルールでもできているのでしょうか。
メディアによっては外国人受け入れに反対している日本看護協会の立場を「利権を守るために反対している」と決めつけているものもありますが、たいして良い条件で働ける訳でもないのに何の利権なんだろうと不思議に思います。少子高齢化といっても日本に若者がいなくなった訳ではありません。若者達は正規社員になれず、派遣やフリーターとして生きる事を強制され、次世代の日本を担う立場や父母として次代の日本人を育てるために独り立ちしてゆく道を狭められているのです。「労働者がいなければ移民を入れろ」というのは「奴隷を安く買ってこい」というのと同じです。まず日本人の若者、勤労者を大切にすること、年を取っても労働を続けられる環境を整える事から始めるべきです。
そのためには私が普段から主張するように、勤労者の給与を上げる必要があります。「会社の利益は株主と資本家に分配すればよい」というのはアメリカの未熟な原始資本主義の考え方であり、その結果が資産総額がGDPの10倍(アメリカの資産総額は1京3000兆円)などと言う利潤を求めるだけでGDPの半分近くを必要とするような初歩的な算数でも無理が明確な経済構造になってしまうのです。原始資本主義は国民を幸せにしません。勤労者が潤い、経済が回転し、税収も増加し、福祉予算も増え、それで国民の健康も増進するのが日本の進んだ資本主義のありかたではないでしょうか。