rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

小沢一郎氏の評価

2009-08-31 17:56:10 | 政治
昨日の衆議院選挙の結果は大方の予想通り民主党の圧勝で終わりました。私はひねくれ者でメディアが推している政党とは別の道を選ぶことが多いので前回は自民を選ばず、今回も民主は選びませんでした。「ほらメディアが推しているとろくな事はない」と後から言いたいということもあるのですが、要はいつも死に票ということです。惨敗した自民ですが、小選挙区での得票数を見ると3対2位で民主に敗けている。前回の小泉選挙でも得票率で見ると3対2位で自民は民主に勝って圧勝したのですが現在の小選挙区制度では国民はほどほどのバランス感覚で投票しても30%位の浮動票で自民が圧勝したり民主が圧勝したりする結果になってしまうのでしょう。日本の国民は極端に走ると言う意見もありますが、得票率を見る限りそんなことはないと私は思います。

もともと小選挙区制度は人気がなくなりつつあった自民党が自分たちに都合が良いように僅差でも議席を確保できるやり方として作り上げたものです。本来中選挙区で選挙区ごとに複数の議員が当選するほうが民意を反映したものになることは明確なのですが、民意が反映するとやりにくいと考えた自民党が今回は自業自得になったと言えるでしょう。

さて、民主党政権の一番の目玉は小沢一郎氏の動向です。小沢一郎氏については副島隆彦氏は彼こそ日本の国王であって米国と対等に勝負でき、本当の改革ができるのは彼しかいないと高く評価される一方、90年以降の政界の壊し屋であってあれこれかき回すだけで結局何も残らないという評価もあります。今回大量に当選した小沢チルドレンと呼ばれる人達を使ってどのような結果を残すか大いに注目されるところでしょう。小沢氏は米国がしかけてきたと思われる西松建設問題をかわして生き残りましたが、これからも表から裏から様々な半畳を米国や官僚達から加えられるでしょう。小泉さんは米国と稲○会がバックにいたので強権を使えましたが、小沢さんを陰で支える力はあるのでしょうか。

私は今までの政治的活動経緯からはあまり小沢一郎氏が好きではないのですが、副島氏が主張するような活躍を今後してゆけば考えが変わると思います。確かに外国紙が指摘したように民主党が政権を取れば米国が「お手、ちんちん」を叫んでも自民党のように日本が言うことを聞かなくなると言わしめているのですから、今後のがんばりは要注目です。しかし小沢氏は国連中心主義ですから国連軍としてアフガンに自衛隊派遣を積極的に行うなどということになると「自民よりも良い子」になってしまう可能性もあります。

一時小沢氏は政権を取ったら「民主の保守派と自民を合わせて政界再編」という話題が出た事もありました。今回これだけ差がつくと政治を行う上で政界大再編の必要性は当分ないように思います。しかし民主党内であまりにも政策が対立してしまい、しかも日本の景気や国際情勢が不安定になると政界再編の話題が浮上してくるかも知れません。前にも書きましたが、政治は金と手間がかかるものであって、我々国民も望ましい政治をして欲しければもっと金と手間を政治にかけないといけなくなるでしょう。自分の感覚に最も近しい政党の党員になることも考えたほうがよいかと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世襲の是非

2009-08-27 19:40:48 | 社会
政治家の世襲を止めるべきであるという話題が囂しい。「職業の世襲は良いが権力の世襲は良くない」という意見がある。これは正しいと思う。権力の世襲の行き着く先は専制国家です。では財産の世襲は?貧しく産まれても幸せな人生の人もいるし、逆もあるでしょうが行き過ぎた財産の世襲は結局権力の世襲と同義であるからその範囲でやはり良くないと考えるべきでしょう。

親の職業を継ぐというのは、親から見るとありがたいように思うのですが、「売り家と唐風で書く3代目」の言葉どおり世襲が続くと三代目には身上の発展よりも道楽に走って家業は衰退するというのは歴史的真実のようです。

私は医者ですが、普通の会社員の息子で身近な所に医者がいなかったので、手本或いは比較できる対象がなかったこともあり、高校大学と進む中で常に「どんな医者になるか(なれるか)」を考えながら過ごしてきました。ある意味自分の理想を自由に描いてそれに向かって努力してきた面があります。勿論医師になってから多くの尊敬できる諸先輩を見習って、自分なりの芸風というか生き方を決めて来ました。私は息子に医者になれと言った事はないのですが、どうも医者を目指しているようで、それはそれで嬉しくないと言えば嘘になるから応援はしています。しかし身近に「おやじ」という見本があるので彼らなりに「医者とはこんなもの」という形ができてしまっています。それは自分の未来像を無限大に想像できた私とは明らかに違い、おやじの存在が基準になってしまい、それより大きいか小さいかという将来像になってしまうように危惧します。親父の像など全く無視して将来像を描いてくれれば発展性があるのですが。

結局世襲の弊害は親が子の基準になってしまうことにあるでしょう。伝統芸能のようにそれでも良い場合もあるのでしょうが、余程継ぐ子供が大きな人間性を持っていない限り発展性に限界があることになります。私は親の職業に捕われずに自由に職を選ぶ方が人生面白いように思います。

政治家も「親が自民党でも子は共産党」とかなら人としての大きさを感じて面白いと思いますが、地盤看板を引き継いで利権の継続のために世襲をするのは明らかに社会のためにならない。権力の世襲は不可という法律を作るべきだと思いますね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自民党ホームページに思う

2009-08-26 20:45:42 | 政治
選挙投票日が近くなりはっきりとした支持政党を持たない私も各党のマニフェストなどを見比べてどこに投票するか思案しています。中身はともかくパンフレットの出来としてはさすがに民主党のマニフェストは見栄えがよろしい。それに比べると自民党はやや書き方が慎重で後から「こんなこと書いてもどうせできゃしないの解ってたろう。」という批判を党の内外から受けることを意識しているようです。中小の政党に至っては主な主張はあるものの、政権を取る気まではないので「そこは考えてません」と言いたげな、自分たちでも「練られていない」と判るようなものが多いですね。

マニフェスト以外の各党ホームページを見て「ほほう」と興味深く思ったのは自民党の「日本の未来が危ない」という民主党批判の特集ページ。内容は一言で言うと「民主党は反日政党です。」というもの。確かに民主党は寄せ集め政党で、かなりの部分反日左翼思想を持った人達が支持母体になっていて今までも外国人参政権や東京裁判史観を定着させる歴史認識に関する議員立法を提出してきました。今回の民主党のマニフェストではそれら国論を二分するような事案は出さずに「私たちにお任せ下さい」「とにかく政権交代」しか言ってない。政権を取ったら国民が望んでいないような懸案事項を次々と立法化してしまおうと手ぐすね引いているとしたらこれは確かに悪質です。自民党も思い切ったPRをしたなあと感心。

一方で、では自民党は「反日」でなかったか、私は強く問いたい。日本の貴重な社会資源や資産を米国に献上してきたのは自民党政権だったから今国民は政権交代を望んでいることを自民党はしっかり理解しているのだろうか。小泉政権終了後、安倍福田麻生の各政権は小泉路線の修正を彼らなりにやろうとしてきたけれども、常に内部からやくざ的な力で捩じ伏せられ、もとに戻され、「もうやってられません。」と政権を投げ出さざるを得ない状況に追い込まれてきました。小泉後の政権が彼らの目指すところ通りに行われていたら国民の自民党に対する評価は今とは異なるものになっていたと思います。そもそも公明党と連立した時点で自民党は矛盾をかかえたのであり、今民主党を批判しているような内容の事案を支持する公明党とは相いれなかったはずです。ホームページで反日を批判したからには、公明とは離反することを自民は覚悟したということでしょう。だから「ほほう」と感心した次第です。

「自民は一度下野するべき。しかし民主党で大丈夫か?」はまっとうな日本人の殆どの意見です。政権取ったらおとなしくしていた民主党内左翼勢力が暴れ出して反日政策炸裂、良識の杞憂的中、といったあからさまな愚策はよもや取らないとは思いますが「自民でできなかった真に日本のためになる改革」は大変な労力知力が必要なだけに、安易な反日政策に走る事がないようよくよく見張っていかないといけないでしょう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「巨大なる戦場」感想

2009-08-14 23:24:36 | 映画
終戦記念日を前に映画を見るなら「日本の一番長い日」か「トラトラトラ」あたりが適当だと思いますが、カーク・ダグラス主演の1966年MGM製作の映画「Cast a Giant Shadow」を見ました。監督はメルヴィル・シェイベルソンと言う人ですが、音楽は有名なエルマー・バーンスタインです。題材はイスラエル建国秘話のようなもので弱体独立運動組織にすぎないイスラエル建国当時の軍を米軍の退役ユダヤ系将校(カークダグラス扮するミッキー大佐)が指導して圧倒的優勢なアラブ軍に対抗し、世界がどうせ独立を保てないと見なしていたイスラエルの独立を第一次中東戦争で確立する物語です。

テレビでも何回かみたことがあるのですが、原板にあるジョンウエイン扮する米国軍の将軍との第2次大戦中の回想場面がテレビでは全てカットされていてイスラエルでの戦闘シーンのみになっていました。日本人には米国とイスラエルの関係などどうでもよいことなので映画としてはそれで良いのでしょうが、おせっかい親父を思わせるジョンウエイン扮する将軍は実は米国の存在そのものを暗示していて、カークダグラス扮するミッキー大佐が「米国の立場をわきまえずにイスラエルに深入り暴走するのを迷惑に思いながらも慈父のように庇護してゆく」という米国のスタンスを巧妙に表現しているようです。米国は直接関係がなかった第二次大戦に、きっかけは日本の真珠湾攻撃でしたが「自由と民主主義を守るため」に参戦して勝った栄光の戦いと考えています。だから「ユダヤ人の自由と独立を守る」ための戦いや「イスラエルの建国」も同じ「乗り」で賛成するのだ、という描き方がとても重要だったのでしょう。

ユダヤ人の中にもシオニズムに傾倒してイスラエルの建国を絶対視していた人もいれば、そうでない考えの人も多かったと聞いています。今ではイスラエルロビーが米国の政治をかなり動かしていますが、建国当初はイスラエルが存続できるかどうかも怪しいものだったでしょう。第2次、第3次中東戦争もイスラエルが勝てるという保証などなかったわけで、生き残りを賭けて(イスラエルの代理として)中国に核を持たせたという話しも頷けるものです。

さてこの映画、ミッキー大佐を含めて皆実在の人物が登場するのですが、初代首相のベングリオンやダヤン将軍なども登場、当時ばらばらであった民兵組織のパルマッハや他組織との葛藤などもそのまま描かれていて、歴史を知る上でもけっこう面白いと思いました。ただ日本名の「巨大なる戦場」というのは砂漠と原題のGiantの部分をイメージして付けたのでしょうが内容と合わない迷名といえましょう。死海やエルサレム、またマサダの丘など実際に行って見るとそんなに広大な土地ではないことがわかります。ミッキー大佐が「何故勝つために積極的に戦わないのか。」とベングリオンに意見する所で「我々は頑固だが、戦争は好きではないのだ、シャロームという挨拶は平和と言う意味だ。」と答える場面は多くのユダヤ人の本音ではないかと思いました。

今は当時のユダヤ人とパレスチナ難民との立場が逆転し、イスラエルはアラブ難民を虐殺する国家になってしまいましたが、心ある敬虔なユダヤ人はその状態を良しとは思っていないように思います。アフマディネジャド氏が主張するようにドイツの一部を割譲して戦後ユダヤ人の国を作れば良かったようにも思いますし、エルサレムに固執するなら欧州に国土を持ち、エルサレムの都市のみをアラブと共同管理するような形にしておけばもっと平和な国造りができたように思われます。どうもおせっかいおやじジョンウエイン=米国が結果的に中東の平和を乱す元凶となったことを皮肉にもこの映画は暗示しているのかも知れません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福祉の充実も立派な内需拡大ですが、ばらまき型福祉は下策だろう

2009-08-13 22:58:11 | 政治
定額給付金のような中途半端なばらまき福祉はやってはいけない下策であることは多くの識者が指摘していますし、私も全く同感です。あれは米国の金融破綻のあおりを食って金策に困った某与党の一部が給付金をそのまま会員から回収して資金調達できるように画策したものだから内需拡大とは関係ない目的だったのですが、わが家においても給付金は単に食費に消えただけで特別ありがたくも何ともありませんでした。

今回の選挙でも各党はあれやこれやのばらまきを公約に掲げていますが、池田信夫氏がブログで述べているように「生産要素を成長分野に再分配すること」が真の内需拡大の方法であることに私も賛成です。日本では高齢化に伴い医療や介護の需要が延びているにも係わらず、これらの予算を増やす事は「社会のお荷物が増えるだけ」という認識でコストをいかにカットするかという観点でしか論じられてきませんでした。いわゆる医療費亡国論というものです。しかし需要のあるところに予算を増やすことは必ず関連する産業を育成して雇用を増やし内需を拡大することに貢献するという真実を忘れてはいけません。

病院における医療費の40%は医療材料や薬品の代金に使われるものですが、先端医療に使われる材料の多くは輸入品であり、国産であればずっと安く作れるであろう品々ばかりです。毎年米国から示される年次改革要望書においても、「医療そのものを市場開放しろ」と言われなくなっても「米国製の医療材料や薬品をもっと買え」と言われ続けるのはそこが美味しい分野だからです。

日本の医療費の30分の一以上が実は慢性腎不全患者の透析医療に使われていて、1.5兆円産業とも言われています。一人年間400万円以上の医療費がかかる透析患者が毎年一万人以上増加し続けており、透析の診療報酬は改定毎に減らされてきました。現状の報酬額では透析クリニックは増え続ける患者に対してスタッフの増員もできず、ミスを犯さないだけで精一杯のぎりぎりの経営を強いられています。しかしながら透析医療の医療材料や機器については日本製がピカイチに優秀です。それは東レなどが得意とする膜素材やグラム単位で正確に除水できる器械などが増え続ける需要のために多くの資金をかけて研究されてきたからです。そしてこれらの技術は砂漠で真水を作る技術にも応用され、世界に売れる商品に発展しているのです。

介護においても日本中の介護施設で介護ロボットを10台ずつ購入すれば莫大な内需拡大になりますし、売れるものなら様々な改良が行われ世界商品として介護ロボットがトヨタの車のように売れる事でしょう。需要があるところを「お荷物」と見るか「成長分野」と見るかの違いであって、ただ金をばらまいても産業は育ちませんが需要があるところの予算を適確に増やせば産業が育成されて正しい景気対策にもなるのだろうと考えます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和して同ぜず

2009-08-12 22:37:19 | その他
論語に「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」という言葉があります。付和雷同はすべきではなく、意見が異なる場合は堂々と表明するけれども、全体の調和も考えて無益な争いはしない、という意味であると思います。日本のような小国は国内で戦争や殺し合いをしていては国力自体を削いでしまいかねないので徳川三百年の治世の中で「和を重んずる知恵」が日本人のDNAに刻み込まれたのだろうと前に述べました。和を何より重んずることはえてして「付和雷同」の悪弊になりかねないのですが、正しくは「和して同ぜず」の精神であることは間違いないでしょう。

組織内の権力争いのために敵対勢力の不祥事をマスコミにリークし、怪文書を流し、社会問題化させて反対者を葬るといった事態がありました。結果的に目的は達成されたのですが、組織自体が大きなダメージを受けてしまい権力争いに勝った一部の人間を除いて、組織自体と多くの組織の構成員達が多大な被害を受けてしまいました。社会に出て20年以上経ちますが「見下げ果てた奴というのもいるものだ」と思いました。良い年して「人としての懐の深さ」とか考えたこともなく、論語のろの字も読んだ事ないのでしょう。

具体的な事を書くと全て判ってしまうのですが、これは医療界で起きた事です。しかし医療界に限らず、どう見ても無益な争いで組織や国家全体が疲弊してしまっている現実というのが見渡して見るとずいぶんあるようです。政治家、官僚の社会、一般の企業でもその手の事は日常茶飯事ではないでしょうか。第3者としてながめている分にはけっこう面白かったりするのですが、国家規模の事態になって魚夫の利で結果的に日本が損をして外国が美味しい所をもってゆくような事態になると、このような権力争いをした連中は国家反逆罪と言えますし、会社であれば明らかな背任行為です。

自浄能力のない組織において、「正義のため」に敢えて内部告発をして悪弊を正すということは結果的に組織や社会をより良いものにしようとする行為なので赦されることだと思います。医療の世界でも必要な場合があると私も思います。警察や官僚、一時話題になった食品関係の企業など「社会正義のための内部告発」、「マスコミのバッシングによる矯正」は必要な場合が多々あると思います。これが「正義のため」か「権力争い」かは事態の成り行きをみれば判る事であって難しい問題ではありません。マスコミ業界も「記事になってなんぼ」の世界ですから、単に利用されているだけであっても「記事になる」内容であれば取り上げるものなのでしょう。金をもらって一方の側に有利になる記事を書き、もう一方の側に「こんな記事ができたんですけど。」と持ちかけてより多くの金をもらって記事をもみ消すというライターゴロのような例も前に見た事があります。社会人も長くやっていると世の中のいやな部分を多く見てしまうものだと思いますが、自分なりに社会人として生きるスタイル、流儀というものは作ってきたつもりなのでこれからも事態に流されず納得できる生き方を続けたいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

植草氏を民主党政権の財務(副)大臣にしたくなかったのでしょう

2009-08-03 18:26:54 | 政治
東京高検、植草元教授を収監 痴漢で懲役4月確定(共同通信) - goo ニュース
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

東京高検がなぜこの時期に破廉恥罪の有罪判決に対して上告棄却され、実刑判決が確定した植草氏を収監したかという理由は来るべき民主党政権で反竹中派の論客として卓越した経済の識見を持つ植草氏が財務や経済産業省の大臣あるいは副大臣になられては困る勢力からの強い要望があったからなのだろうなあ、ということが素人の私にもわかります。とりあえずこの先4ヶ月消えていてくれれば民主党政権の大臣指名には間に合わないのですから。

無実なのに無理矢理罪人にされた人の間にも官僚に消され(てその後は起訴猶予)た高橋洋一氏と政治的理由で消され(上告しても実刑)た植草氏ではこのように扱いが違うのだなあと感じます。良心があるのなら公務員たるもの上からの命令があってもこのようなことをやってはいけない。それくらいの矜持は持つべきだと元公務員として思いますね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする