TPP「車は例外」と米 日本車の関税維持で交渉入りへ(朝日新聞) - goo ニュース
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先の衆議院選挙では自民が勝っても民主が勝っても最終的には「政府の専任事項としてTPPに参加する」と霞ヶ関が決めていたのですから、今回の決定は出来レースの感が否めません。「交渉に参加してみないと日本にとって良い物かどうか解らないし、交渉の時点で国益が守れるように頑張れば良い。」などという意見を平気で言う人達がいますが、普段「面倒な事は極力避けている人たち」が良くそのような歯が浮くような台詞が言えるものだと呆れます。
日本においては倫理的な善悪の判断基準は「自分の属する集団(家、町、会社、国、或は世界でも)に利益があるかどうか」で決まります。属する集団の範囲をどこに定めるかで見解の相違がでるかもしれませんが、結果としてどこの利益かが異なるにすぎない違いです。この善悪の判断は、場合によっては論理的には間違っていても善であるという判定がなされることが多々あります(筋論から外れるけどここは丸く納めるためにこうしよう、と言った事は毎日行われているはず)。また「交渉で利益を得る」事は「倫理的にも善を勝ち取る」事を意味しますから、状況によっては相手に一歩譲って相手に利益を与える事で相手の倫理的な善をも考慮するということも日常的に行われています。
一方で一神教社会では倫理的な善悪の判断は神との契約に反するかどうかで決まるのであり、利益になるかどうかはrational(論理的に正しい)か否かに関わるのみで倫理的な善悪には関係ありません。だからgood or evilで表現されたaxis of evil「悪の枢軸」という表現は日本語だと「悪代官とつるんだ三河屋」的な印象しか伝わりませんが、英語圏の人にとっては「利益になるかどうかを超えて叩き潰さねばならない倫理的な悪(例え本当の目的が経済的利益であっても)」という強い意味になって胸に刻み込まれることになります。
だから一神教の人達は、神との契約に関する善悪については言い争うことを避けますが、rationalかどうかを決めることについては倫理的な葛藤を考慮しないでいくらでも討論できます。勿論彼らにとっても自分たちの利益は優先されますから、論理的に利益を勝ち取るよう討論することは何ら倫理的な感情を伴わないでできるというメリットがあるのです。
日本では、もう一つ自分たちの利益になるか否かはっきりしない場合の物事を決める判断基準として「面倒事を避ける」という基準があります。これは「空気を読む」という事と同義であり、「和を重んずる事」や「阿吽の呼吸」ともつながる日本独特のエトスと言えます。この最先端を行くのがマスコミであり、論理的に正しいかどうかよりも政府からのクレーム、官僚からのクレーム、スポンサーからのクレーム、大手広告代理店の偉いさんの言葉、大手芸能プロダクションの意向、強気に出る外国政府などには全て「面倒事を避ける」方向で番組が作られます(テレビ番組の半分を占めるお笑い芸人の身内ネタ&クイズ番組が一番安心ということ)。
日本人のもう一つの弱点に、規則に弱い事が上げられます。日本人は「規則に違反する」ことに倫理的な罪悪感を持ちます。それは遵法精神としては大変良い事であって、電車に乗るにも整列して乗るくらいですから、日本社会が整然として秩序立っている根拠とも言えます。しかしTPPに加入して、様々な非日本的な欧米基準の決まり事を押し付けられた時、面倒事を避ける日本人は必ず徹底的に抵抗したりせず、相手の顔を立てて受け入れてしまうでしょう。そして規則化されるとそれを守らない事は倫理的にも悪という事になり、結局守らされてしまいます。コンプライアンスの遵守を「事後チェックの充実」と訳さずに「法令の遵守」と訳してしまうのですから、欧米人にとって日本人は何とも従順な人達に見える事でしょう。
欧米人にとっては引力の法則とか太陽が東から昇るといった科学の法則と同様に自然権などの神の法に値するものは倫理的にも守らなければいけませんが、人間界の中での決まり事はrationalであれば守れば良いのであって、対立する規則はどちらがよりrationalかを徹底的に討論して決めれば良いという程度のものに過ぎません。車がこなければ赤信号でも堂々と渡るのが欧米の考え方です。最近モンテスキューの「法の精神」やホッブズの「リヴァイアサン」の原典を読んで感ずるのは「本来人間は他人を殺すことさえも自由なのだ」という日本人には馴染みにくい徹底した自由の考え方です。「武器で脅して書かせた誓約書も誓約したからには守らねばならない」という考え方は宗教的にはどうなの?と思ってしまうのですが、どうも人間界の揉め事は神は関与しないという前提で「神の法」以外の「王の法」を決めて良い事になっているようで、だから相手を人間と認めなければ「奴隷の売り買いもOK」だし、理屈が通れば「間違って人を撃ち殺しても許される」というのが欧米社会なのだと理解できます。
交渉事の全てに倫理観や相手への思いやりを考えてしまい、できることならそのような面倒事を避けて毎日を過ごしたい日本社会がTPPに入って本当に幸せになるでしょうか。「今断るのが面倒だから取りあえず入ることにしておきましょう」というのが参加の理由であるならば今面倒でも論理的に徹底的に議論をして「政府に最終的にはお任せ」などにせず、参議院選挙で争点にして決着を出すくらいの考えを持っておくべきだと思います。