rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

書評 申し訳ない御社をつぶしたのは私です

2014-08-27 21:59:24 | 書評

書評 申し訳ない御社をつぶしたのは私です。(コンサルタントはこうして組織をぐちゃぐちゃにする) カレン・フェラン著 神崎朗子訳 大和書房2014年刊

 

和名も人目を惹く物ですが、原題名もI’m sorry I broke your companyであり、罪を認めて誤ったりしないアメリカ人が言い訳もせずいきなり「会社が潰れたのは私が悪いのです。」と言い切っているのですから、かなりインパクトが大きい題名と言えます。MBA(Master of Business Administration経営学修士)は特に米国において経営学を科学的統計的にアプローチする手法が多くのビジネススクールで採用され、主に2年位の期間をかけて習得することで企業幹部の必修科目になったり、ビジネスコンサルタントが習得したりします。この手法で高額のコンサルタント料を取って企業のリストラクチュアリング(構造改革)を行ったりするのですが、著者は「こんなものはインチキです」と明言してしまっています。

 

著者自身もMIT経営大学院でMBAを取得して大手経営コンサルティング会社で30年の実務経験を積んで来て、所謂科学的アプローチによる経営コンサルティングは殆どインチキであるという結論に達した、という本なのでかなり説得力があります。著者いわく、種々の有名なマネジメントモデルには汎用性などなく、「たまたまうまくいった事例」にもっともらしい理由付けをして他社に高額な謝礼を取って強要しているにすぎない、と喝破します。そして、経営コンサルティングの要点は、社員達からよく話を聞いて何が問題なのかを皆で考えることであると説明します。話も聞かずに成功事例から得られたモデルの型枠に会社をはめ込んで無理矢理構造を変えても何もうまく行かない。成功事例とされた会社も既に半数以上は潰れているのだから、と説明されます。

 

特にやっては行けない事は「成果主義」と「人材評価の数値化」であると様々な事例をあげて例証します。日本でもこれは大流行りで、恥ずかしながら私が勤める病院(大学)においても人材評価の数値化をやる流れができていて何とも鼻白む思いです(私の部署は無視してやってませんが)。

リーダーシッププログラムなどというのもインチキであり、世界で有数のリーダーに定型などないというのが結論であって、リーダーになるための各種技能の習得は意味がないと結論づけます。尤も、リーダーにも格があって、ジム・コリンズが述べるような第五水準の指導者(個人としての謙虚さと職業人としての意思の強さを併せ持っているー西郷隆盛みたいな人か)ともっと下の係長レベルの人では求められる資質も違うのかも知れません。

 

私はこの「科学的な衣をまとったビジネスコンサルティングメソッド」というのは以前紹介した「似非医療」と同じ構造だと思いました。西洋医学を万能であるとか、絶対的な真実であるという心算は全くありませんが、少なくとも科学(サイエンス)に基づいて、演繹法によって正しい結論が導かれた上で行われているのが西洋医学です。似非医療はごく限られた成功事例を元にして「・・で癌が治る」とか「・・で糖尿病が完治」などと癌や糖尿病の医学的定義、治るという定義も曖昧なまま「元気になった」程度の表現でいかにも効果がある治療であるかのような宣伝をします。つまり東洋医学のように数百年以上の帰納的事例の蓄積によって得られた結論ではなく、僅かの帰納的事例でAならばBだと結論付けをしてしまっている事が似非医療たる所以な訳です。MBAにおける経営理論とはまさにこの似非医療と同じ手法で僅かの帰納的事例をもってAならばBであるという結論付けを行い、その権威付けに有名学者が有名企業の例としてあげることで凡人が容易に反論できないようなしくみを作っている詐欺構造である訳です。しかも企業は経費から高額なコンサルタント料を払ってご託宣を聞くのですから中身がスットコドッコイなものであってもありがたがって従う他ないということなのです。結果は最も問題点や改善すべき点を理解している現場の意見が無視されて、会社のことなど何も知らない外部のコンサルが適当なテンプレートにはめ込んだ企業改革を断行して会社がぐちゃぐちゃになって潰れてゆく、ということです。特に企業の設立理念や社会への企業活動を通じての貢献といった重要な要素を無視して、企業が株主の最大利益や短期的な収益改善を図りだしたらば、その企業に未来はないと著者は述べています。全くその通りだと思います。

 

私の友人で東大を出てソニーに入社し、一世を風靡したゲームの開発などを行って活躍していた人が、数年前に早期退社をしました。彼に限らず、多くの優秀なソニーの屋台骨を支えて来た社員達が会社を去ることで、今ソニーは損害保険と一部エンターテインメントしか売れるものがなくなってしまいました。ビルも多くが売り払われ、今度は不動産をやるとか?あはれとしか言いようがありません。

私は、以前はトヨタ車がダントツ素晴らしいと思っていました。しかしノアやヴィッツを最期にこれはという魅力のある車がなくなって、特に生産世界一を目指すころからクラウンとかマークXを除いて「ろくな車がない」と感ずるようになりました。エンジンの技術力低下やリコールの増加、デザインが駄目な状態が今でも続いています。そこで私はホンダ車に乗り換えたのですが、ホンダも世界におけるシェアを確保するようになってから質が低下しました。7年前にシビックを購入したときはその技術力に会社の心意気のようなものを感じたのですが、今はどうでしょう。フィット、売れてはいるけどリコール連続でしかも安普請と散々な評判、ハイブリッドの新型アコードは日本市場を対象にしていない時点で販売店からもそっぽを向かれる始末。私もドンガラがでかくて350万もする車に魅力を感じないのでアコードは購入しませんでした。その意味で今日本の顧客を最も大切にして、良い車を作ろうという物造りの原点に一番忠実なのは「マツダ」であり、私はシビックハイブリッドからマツダのアクセラハイブリッドに乗り換えました。いずれレポートしますが、大変満足しています。ソニー、トヨタ、ホンダがMBAの経営理論にそそのかされたかどうかは知る由もありませんが、物造りの原点や現場の社員達の問題意識と建設的意見を経営方針に十分取り入れたのが現在の姿であるとは思えません。

 

やや脱線したので本の内容に戻りますが、「ビジネスは数字では管理できない」という主張、一番面倒だけれども現場の社員達からよく意見を聞いて皆で考える事、が会社の経営を改善させる遠回りだが唯一確実な方法であるという著者の意見は説得力があります。コンサルタントが全て無駄だという訳ではない、内部の人ではできない取り纏めが外部の第三者だからできて、適切なアドバイスが生きることも多々あると言います。それには学校を出たばかりで、社会経験のない若いコンサルタントは無理であり、一緒に苦労できるようなコンサルタントが真に役に立つコンサルタントと言えるだろうと述べます。

 

この本は米国崇拝、MBA崇拝の人達には耳の痛い内容と思いますが、著者が述べている経営哲学は結局日本が江戸時代から長く受け継いで来た商家の経営哲学に通じるものがあって、昔ながらの「社員と社会を大切にする会社経営」が結局は成功の秘訣なのだと改めて米国人から教えられる所に大きな意義があると感じました。

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書評 米中対決

2014-08-22 17:06:24 | 書評

書評 米中対決-見えない戦争(ハヤカワ文庫NV) ドルー・チャップマン/奥村章子(訳) 2014年刊

 

最近はあまりSF的な小説は読まないのですが、本屋で表題に惹かれて、パラパラと内容を見るとなかなか面白そうだったので思わず買ってしまった本だったのですが、架空の出来事とは思われない内容に休日を使って一気に読んでしまいました。内容はアマゾンの紹介では以下のようになっています。

 

武器・兵器によらぬ現代の新たな戦争を描く衝撃の話題作! 投資会社に勤務する若者ギャレットは、大量の米国債が中国によって密かに売りに出されていることに気づいた。報告を受けた財務省は市場の混乱を未然に防止する。一方ギャレットは、DIA(国防情報局)に極秘プロジェクト、アセンダントの一員としてスカウトされる。サイバー攻撃など、さまざまな形でアメリカに打撃を与え続ける中国に対し、彼は驚くべき方法で敢然と反撃を開始する。

 

という紹介から、軍事ものというよりもまさに「サイバー戦争とはこのようなもの」という分かりやすい解説という方が近いと思います。現代社会においては、戦場で軍人と戦場になった民間人だけが犠牲になる戦争よりも、株や経済を混乱させ、また生活に必要なインフラをサイバー攻撃で使用不能にする方が国家・国民にとっては損失が大きいと言えます。サイバー戦争で国内が混乱して内乱状態になってしまえば最早外国との戦争など不可能になってしまう訳で、国内のロジスティクスを無視して「集団的自衛権を認めれば日本も外国と戦争ができる」状況になると単純に考えている人達こそ平和ぼけと言えるのではないかと私は感じます。

 

本書に出てくる設定は現在の世界の実態をかなり反映したものと思われます。例えば米国の政府が一体ではなく、CIAとDIAが対立しているのは、現実に国務省と国防総省が異なる国家戦略を取っていることに似ています。中国が貧富の差が限界を超えて中国共産党に変わる新たな支配者を見いだすための革命(天下が変わる事)をそろそろ民衆が欲していることは明らかと思われますが、女毛沢東に相当する「タイガー」と呼ばれる革命家が共産党中央から恐れられ、ニュースからその支配地域についての報道が消えて行くことから革命の進行を知る(ネタバレで済みません)といった設定、国内の不満を外に向けるために戦争を起こす事、しかも相手から先に手を出させる事で自己の戦争を正当化させようという目論みも現実的と言えます。中国のサイバー攻撃に激怒した米国は(相手の目論みに乗って)自ら中国に第一撃を加えそうになるのですが、主人公達の反撃で逆に中国から第一撃が加えられそうになり、いざ第三次大戦勃発という瀬戸際に行くのですが、このあたりの駆け引きは実際の戦闘よりもスリリングで作者の手腕を感じました。

米国は生活インフラをサイバー攻撃されたことで各地に暴動が起きたりするのですが、これなどは現在進行中のミズーリ州の内戦状態ともいえる暴動(黒人青年が射殺されたことをきっかけとする)を彷彿とさせます。「タイガー」と呼ばれる革命家の描き方にもっとミステリアスな工夫があっても良いかとも思いましたが、全体としてよくできた小説であり、きっと映画化もされるのではないかと思いました。

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国家資本主義は国民に富をもたらすか

2014-08-21 01:20:05 | 書評

書評 自由市場の終焉(国家資本主義とどう闘うか) イアン・ブレマー著 有賀裕子訳 日本経済新聞出版社 2011年刊

 

市場原理主義の究極の姿がグローバリズム経済とすれば、G7に象徴される先進国(米英仏独加伊日)はグローバリズムを推進していると言えますが、BRICS諸国を加えたG20になると国家資本主義と見なされる国家群が入ってきます。グローバリズム経済は「トリクルダウン理論によって富者がより金儲けをすれば、富まない者にも経済的恩恵が巡って行くから、制限なく金儲けをしても許されるのであり、国家による制約は不要で少ないほど良い」と規定されたのですが、結果は1%の金持ちと99%の貧者の2極分化の固定化を招きました。経済の三要素である資本、労働、原材料が一国内である程度均等に賄われているのが健全な経済の望ましい姿ですが、グローバリズムは国単位で資本(米国)、労働(中国)、原材料(中東やロシア)をそれぞれ価格の安い所から調達し、統括するグローバル企業(と輪転機を回すだけで資本を繰り出す米国)だけが裕福になるというしくみであるため、それぞれの国家は合法的な搾取によって貧しくなるという結果になり、それらの国家は対抗策を講じ始めました。それが国家資本主義と言われるものです。

 

一市民の視点から見て、「国家資本主義というのは市場原理主義の欠点を補い、国民に富をもたらすものなのか」が非常に興味のある所です。今回はコンサルティング会社のユーラシアグループの社長で安倍首相にもアドバイスをしたというイアン・ブレマー氏の著作である「自由市場の終焉」を国家資本主義が国民にプラスになるかという視点から読み解いてみたいと思います。副題に(国家資本主義とどう闘うか)とあるように、本書は自由市場を本来の資本主義の望ましい姿として、対抗的に出現した国家資本主義とはどのようなもので、いかに対応するべきかを論考したものではあります。しかし読み進めると分かるように著者も行き過ぎた市場原理主義の弊害は認識しており、それの対抗上出て来た国家資本主義の蓋然性も認めています。以下に章を追って自分なりの視点で問題の答えについてまとめてみようと思います。

 

第一章      新たな枠組みの興隆

巨大多国籍企業の売り上げと国家のGDPを上位100を取り混ぜると51個は多国籍企業が占めるそうである。つまりグローバル企業は中小の国家よりも大きな資本力があり、国家そのものを買う、或は経済的に葬る力を持っていると言えます。この多国籍企業の力に対抗するために多くの新興国は政府の力を存続させながら経済を発展させる方策として「政府の富、政府による投資、政府系企業の活用」を重視するようになりました。これが国家資本主義に繋がって行きます。国家資本主義が新興国において安定的に雇用を創出して中産階級の長期的繁栄をもたらすならば、自由市場に代わる経済体制になる可能性が秘められています。

 

第二章      資本主義小史

純粋資本主義が唱える「見えざる手」によるコントロールで全て上手く行ったことなど一度もなく、いままで数多くの失敗が積み上げられて来た。そこで限定的な政府の介入を含む「混合資本主義」が行われて来たが、もっと積極的に政府が経済に介入してこれをコントロールすることが国家資本主義といえる。

 

21世紀における国家資本主義とは「政府が経済に主導的な役割を果たし、主として政治上の便益を得るために市場を活用する仕組み」と定義される。所謂社会主義経済や国家社会主義とも異なる。また国家が管理する貨幣の量を競う重商主義とも異なる概念である。

 

第三章      国家資本主義の実情と由来、第四章 各国の国家資本主義の現状

国家資本主義と権威主義的政治体制は緊密に結びついている。国営企業(資源を扱う)、政府系ファンド(SWF)、政府関係者が営む民営の国家的旗艦企業が国家資本主義が主に扱う手段である。手始めはOPECによる石油企業の国有化であり、近年中国ロシアの資源産業がある。中東諸国やシンガポールなどは政府系ファンドの活用も大きな力を発揮している。

 

第五章 世界が直面する難題

    市場原理主義の元では近視眼的な利益や「株主価値」ばかりが注目される傾向があり、そのために長期的な繁栄への配慮に欠けたり、バブル経済の出現が避けられない結果となってそれが却って健全な経済発展を阻害する原因になる。だからといって社会主義的な指令経済に戻れば良いという事はなく、政府による適切な監視こそが重要なのである。

 

第六章 難題への対処

    国家資本主義は市場原理主義がもたらす難題への回答、つまり不公平と闘ためではなく、政治的な影響力と政府の収益を最大化することに原点があり、国民に熱狂的に受け入れられるまでの魅力はない。国家資本主義は社会主義のようなイデオロギーではなく、経済的なマネジメントの手法の一つに過ぎない。米国と欧州では同じ資本主義でも政府による介入の度合いが異なり、自由市場を制限しない点では一致しているが、欧州ではより広いセーフティーネットを広げ、社会の維持にコストをかけている。中国は年間1200万人の雇用を新たに創出する必要があり、そこに国家資本主義を用いているが、今まで比較的うまく行っているが、今後も継続可能かは分からない。自由市場と国家資本主義の間で争いが起こるかは未定であるが、民間企業の活用、自由市場・時湯貿易の擁護(WTOの重視)、投資の自由化、移民の受け入れ、盲目的な自国主義(外国産品の不買など)の抑制が大事だろう。

 

著者は基本的に国家資本主義はまだ発展段階にあるが、最終的には自由市場が勝つであろうことを予測しています。ここで2012年2月に日経ビジネス On Lineのコラムとして田村耕太郎氏が述べた国家資本主義の限界についての論考を引用します。

 

(以下引用)

国家資本主義に“羨望”を感じる欧米CEO

2012年2月2日(木)  田村 耕太郎

 

 今年のダボス会議のテーマの1つが「国家資本主義の将来」だった。新興国を中心に、国営企業のプレゼンスが増している。資源エネルギー、メディア、金融、インフラ開発など幅広い業種において、その資金力と戦略的意思決定の速さを武器に世界を席巻しつつある。(中略)

国家資本主義の限界

 しかし私は、新興国の国営企業はそろそろ曲がり角に来ていると思う。理由は3つある。

 第1に、規模は大きいものの、国際ブランドを構築できた国営企業はまだ存在しない。確かに、国営企業は、技術や人材を買って一気にコピーするのは得意だ。しかし、それから先、ブランドにつながるイノベーションはなかなか生み出せていない。資金力だけではイノベーションは起こらない。イノベーションには風土というか環境が大事だ。機動的で小さな組織でこそ、それは生まれる。

 組織が肥大化すればするほど、その硬直性が増す。そして硬直化した組織では、官僚などインサイダーの利権やしがらみが優先される傾向が強い。ロシアの国営企業では、官僚が権力を持ち、そのために起こる組織の硬直が課題になっている。比較的うまくいっているシンガポールでも、イノベーションを起こした国営企業はまだない。中国の国営企業をサービス業から製造業まで見渡しても、国際ブランドになっている企業は見当たらない。

 第2に、国営企業には、暴走や非効率なお金の運用、腐敗の可能性がある。株主や国民のチェックを受けない組織だからだ。

 大統領に返り咲くとみられるロシアのプーチン氏の個人資産は5兆円と言われる。実質的に世界一の大金持ちと言われる彼の資産は、国営企業を通じてつくられたものであろう。このこと自体、能力と志あるロシアの事業家や若手起業家からモチベーションを奪っている。また、国営企業は、有能な人材がオーナーシップを持っている時にだけ、迅速で効率的な戦略的意思決定が可能である。常にそういう人材に恵まれる保証はどこにもない。

 人材や技術をせっかく買ってきても、それらを継続的に生かすためには、国営によるオーナーシップをより民主的にしていかざるを得ないと思う。以前に、中国国家ファンドの内実をこのコラムで書いた(関連記事)。欧米で経験を積み、高度なスキルを持つ人材と、新興国の政府高官との間で、経営をめぐる軋轢が既に起き始めている。これは、中東やシンガポールでも同様だ。

 第3に、国営企業の待遇は破格だが、それだけでは優秀な人材を採れなくなってきている。国営企業が幅を利かせている国のほとんどは砂漠や熱帯など、気候に恵まれない地域だ。大気汚染のひどい環境もある。報道の自由もなく、たいていはエンターテイメントに乏しい。教養や創造性に溢れる人材が長期に滞在したい場所ではない。

 中国をはじめとする新興国では、国営企業に低利融資するために国民が受け取る利息が低くなっている。配当すらしない国営企業も多い。国営企業が業績を上げても、長期的にはもちろん公益になるだろうが、国民は直接の恩恵を感じない。国民が豊かさを実感できない、国営企業を通じた国家資本主義では内需を増進することはできない。

 国営企業中心の国家資本主義に過大な幻想や恐怖感を抱く必要は全くないと思う。しかし、先進国の民間企業における民主的すぎる経営も行きすぎではないか? 短期的な利益を追い求める株主に煩わされることなく、長期的視野を持ち、戦略的な事項を迅速に決定する仕組みが求められる。これについては引き続き研究して提言を続けたい。

(引用終わり)

田村氏もイアン・ブレマー氏と同様に国家資本主義にも限界があり、適切な管理に基づく自由市場こそが皆の利益につながるだろうと意見を述べています。

「国家資本主義は国民に富をもたらすか」の答えは現状ではその利益は限られたものになるだろう、という結論になるでしょう。しかし行き過ぎた市場原理主義が多くの市民にとってマイナスでしかないことが明らかである以上、欧州的なセーフティーネットの充実や北欧型の社会保障システムと自由市場との両立といったものを日本も確実に目指して行かねばならないと思います。私はアメリカ型の自由市場の導入は日本国民には不利益しかもたらさないと強く断言します。

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少なくとも日本人が戦後秩序にしがみつくのは止めましょうよ

2014-08-03 21:30:04 | 政治

時代の正体 歴史認識は今 慰安婦問題:国際社会の視線厳しく(神奈川新聞) - goo ニュース

慰安婦問題の不毛性については前に言及したので繰り返しませんが、建設的な結論など何も出てこないことが分かっているのに延々とこの問題を続ける人達(基本的には善なる人達とは思いますが)は結果的には単なる偽善者でしかないということです。国際社会云々を引き合いに出していますが、諸外国の人達の善悪の考え方や考える規準の違いなど理解すらしておらず、日本人的な「相手の意見を立てる、認めるが問題解決につながる」と単純に信じてしまっている人達でしかありません。もう少し未来につながる建設的結論が導かれるための国際感覚を身につけたらどうかとつくづく思います。もっと酷い状態であることが最近明らかになった朝鮮戦争時の米軍や韓国軍対象の慰安婦についての人権問題について同じ情熱で追求する意思がないならば、日本軍についての問題もさっさとやめてしまうべきです。

それよりも今起こっている最大の人権問題である「ガザ地区における民間人大量虐殺」、ウクライナにおける傭兵(blackwater)とナチス(スヴォボタ)を用いた同国民の虐殺の方が100倍くらい深刻で重要です。これらは核を用いた世界戦争に発展する可能性すらあります。慰安婦問題をうじうじ追求すると世界が平和になりますか?少し考えればわかるでしょう。

倫理的に悪であるナチスドイツと(アジア人のくせに西欧列強のまねをして)悪逆の限りを尽くした大日本帝国を正義の国家である米英ソ連合軍が徹底的に退治し(無条件降伏させた)、自由と民主主義を世界に広めた、というのが「戦後秩序」の基本です。だからナチスドイツと旧日本についてはどんなに悪く糾弾してもそれを否定することは国際的にありえないのです。「国際社会の視線」とはそういうものであって是々非々ではなくそれが「戦後秩序」という都合の良いお題目だからなのです。いい加減それくらい理解したらどうですか。その後の社会主義と資本主義の戦い(冷戦)では資本主義が勝利したから、共産党独裁国家であっても資本主義をとっていれば戦後秩序の一環として「正義」を標榜できるのです。「戦後秩序」とはその程度のものなのですよ。

21世紀も半ばに向かうにつれて、「戦後秩序という偽善」の化けの皮はとうの昔に剥がれ、米国を中心にしたグローバル資本の悪逆非道が思うように効果を現さなくなり、世界は「グローバル資本社会(G7)」「国家資本主義社会(BRICS)」「イスラム社会」「その他の後進国」に分かれて下手をするとこれらの間で戦争が始まろうとしているのが現在の国際社会です。もう少なくとも日本人は「戦後秩序の維持」にしがみつくのは止めましょう。そして未来社会が平和でそれぞれの社会が自分達の生き方や文化を追求できるような、経済で他国を侵略するようなまねをしなくてすむような国際社会を築いてゆく、そんな建設的な未来につながる議論をしたいものだと私は思います。

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