部下にとって理想の上司とはどのような存在か、というのは職種を問わず社会生活を送る上で必須の命題のように思います。若い時に自分が心から尊敬できて、将来の目標になるような上司に巡り合うことは一生の宝といっても良いほど重要なことだと思います。
私は幸いにして、医学部の学生の時、研修医の時に臨床、研究、マネージメント(人柄)においてそれぞれ目標になれるような上司に巡り合えたので、それぞれの事項でその上司の存在を目指して今まで努力することができました。
ある時、他大学の仏文学の教授と食事をする機会があり、酒の力もあって「お互い部下を持つ上司としてどのような存在でありたいか」という話題になりました。私は「医療の現場においてはすごく難しいのですが、部下を信頼できる所は余計なことを言わず全てまかせて、リーダーとして自分が責任を持って決断しないといけない所は明確に決断する上司」と言った所、我が意得たりと思われたか、「それだ。」と言って握手を求められました。どの世界でも難しいながら上司たるものそうありたいと思っているのだなと改めて感じました。
私の上司論は実は種本がありまして、日露戦争における陸軍元帥「大山巌」のひととなりから学んだものです。自分に専門職としての力量はないけれど、それぞれの専門家を適切に任用して総合的に壮大な仕事をこなしてゆく「西郷隆盛」は別格でこれは全ての政治家、総理大臣に見習って欲しい存在ですが、一般人における上司の鑑としては「大山巌」ではないかと思うのですね。
現実の医療、特に検査や手術の場面で自分より未熟な部下を信頼して仕事をしてもらうのは自分でやってしまう事の二倍位大変です。医療においては私がやった結果と部下がやった結果が異なってしまうことは許されません。途中経過が早いか遅いか、多少失敗があっても必ずリカバーが効いて結果に問題を残さないことが部下にやってもらう条件です。この厳しい条件をクリアせずに「練習のために部下にやらせた」と言ってしまうようでは、種々の問題をおこした某大学とか事故で話題になった某病院のようになってしまいます。
術後出血による再手術、というのは事故扱いになりますし、できれば「経過観察」で済ませたいものです。しかし手術を行なう外科医である以上、どんなに上手に手術をしても一定の確率で少ないながらも術後出血は起こり得ます。患者さんや家族への悪評、手術室や麻酔科への交渉、事故届けの提出その他もろもろの面倒事を「えいっ」と引き受けてタイミングを逃さず「よし、リオペ(再手術)するぞ。」と決断するのが上司たる私の役目です。年200件近く手術をしていればリオペも1-2年に一回はあります。若い時はそのような上司の苦労は想像していなかったのですが、独り立ちしてやっと解るようになりました。
若い時に指導を受けた病理学の教授は、「教室内では上になるほど腰が低い、一番偉そうなのが大学院生」、と言われた教室のトップで、他学出身で週一回しか勉強にこない小生と職員食堂で一緒に食事をしたり、夜10時を過ぎてから論文の手直しを時間をかけてして下さったりと本当に「教授とはこうありたい」と思える素晴らしい先生でした。安楽死事件が起きたときに医学部長をされていたこともあっていろいろと苦労もされたのですが、もともとK大学を金時計で卒業された優秀な先生なので社会的な難問もそつなく処理されたようでした。
政治家や大臣は「辞める」ことで責任を取ったことになるようですが、一般社会においては「辞める」ことは責任放棄であって「問題を解決する」ことが責任を取るという意味です。問題を解決した上でその職位に居続けることに道義的問題があれば辞任すれば良いのです。
しかしまわり(社会)を見渡してみると小生の思い描く上司論に合わない上司達がかなり多いようにも見えるのですが・・。
私は幸いにして、医学部の学生の時、研修医の時に臨床、研究、マネージメント(人柄)においてそれぞれ目標になれるような上司に巡り合えたので、それぞれの事項でその上司の存在を目指して今まで努力することができました。
ある時、他大学の仏文学の教授と食事をする機会があり、酒の力もあって「お互い部下を持つ上司としてどのような存在でありたいか」という話題になりました。私は「医療の現場においてはすごく難しいのですが、部下を信頼できる所は余計なことを言わず全てまかせて、リーダーとして自分が責任を持って決断しないといけない所は明確に決断する上司」と言った所、我が意得たりと思われたか、「それだ。」と言って握手を求められました。どの世界でも難しいながら上司たるものそうありたいと思っているのだなと改めて感じました。
私の上司論は実は種本がありまして、日露戦争における陸軍元帥「大山巌」のひととなりから学んだものです。自分に専門職としての力量はないけれど、それぞれの専門家を適切に任用して総合的に壮大な仕事をこなしてゆく「西郷隆盛」は別格でこれは全ての政治家、総理大臣に見習って欲しい存在ですが、一般人における上司の鑑としては「大山巌」ではないかと思うのですね。
現実の医療、特に検査や手術の場面で自分より未熟な部下を信頼して仕事をしてもらうのは自分でやってしまう事の二倍位大変です。医療においては私がやった結果と部下がやった結果が異なってしまうことは許されません。途中経過が早いか遅いか、多少失敗があっても必ずリカバーが効いて結果に問題を残さないことが部下にやってもらう条件です。この厳しい条件をクリアせずに「練習のために部下にやらせた」と言ってしまうようでは、種々の問題をおこした某大学とか事故で話題になった某病院のようになってしまいます。
術後出血による再手術、というのは事故扱いになりますし、できれば「経過観察」で済ませたいものです。しかし手術を行なう外科医である以上、どんなに上手に手術をしても一定の確率で少ないながらも術後出血は起こり得ます。患者さんや家族への悪評、手術室や麻酔科への交渉、事故届けの提出その他もろもろの面倒事を「えいっ」と引き受けてタイミングを逃さず「よし、リオペ(再手術)するぞ。」と決断するのが上司たる私の役目です。年200件近く手術をしていればリオペも1-2年に一回はあります。若い時はそのような上司の苦労は想像していなかったのですが、独り立ちしてやっと解るようになりました。
若い時に指導を受けた病理学の教授は、「教室内では上になるほど腰が低い、一番偉そうなのが大学院生」、と言われた教室のトップで、他学出身で週一回しか勉強にこない小生と職員食堂で一緒に食事をしたり、夜10時を過ぎてから論文の手直しを時間をかけてして下さったりと本当に「教授とはこうありたい」と思える素晴らしい先生でした。安楽死事件が起きたときに医学部長をされていたこともあっていろいろと苦労もされたのですが、もともとK大学を金時計で卒業された優秀な先生なので社会的な難問もそつなく処理されたようでした。
政治家や大臣は「辞める」ことで責任を取ったことになるようですが、一般社会においては「辞める」ことは責任放棄であって「問題を解決する」ことが責任を取るという意味です。問題を解決した上でその職位に居続けることに道義的問題があれば辞任すれば良いのです。
しかしまわり(社会)を見渡してみると小生の思い描く上司論に合わない上司達がかなり多いようにも見えるのですが・・。