今回は雑駁な内容です。1980年頃からスペースインベーダーなどのコンピューターを用いたゲームが開発され、90年代はファミリーコンピューターなど一般の家庭にもコンピューターゲームが普及し、大人も子供も中毒になるほどハマった人も多かったと思います。現在ではスマホの画面を見ながら電車内などで様々なゲームをしている人が多く見られます。コンピューターが高性能化すると、ゲームのグラフィック機能は高まりましたが、ヒトの方に考えさせる機能、例えば選択がファジーのまま結末が現れない、といった機能を持ったゲームはないと思います。あくまでコンピューターは計算器であり、ゼロか一の中で結果を出してゆくゲームしか作れないのだと思います。そして子供の頃からコンピューターゲームしか知らず、社会全体も「良い、悪いの二者択一的な構造」になってくると、「社会全体がゲーム脳化」する現象が現れるのではと危惧します。そんな(コンピューター)ゲーム脳の特徴を列挙すると以下になります。
1) マニ教的善悪二元論で世の中を考えるようになる。
多くのコンピューターゲームは悪の帝国の侵略に対して正義(自分)が戦いを挑んで勝利する事で得点(特典)を得て楽しむようにできています。スターウォーズの世界観です。侵略する側にも事情があって、それなりの正義がある、という設定は面倒なのでしません。この傾向は21世紀になってから顕著になり、911事件後は「悪の枢軸であるテロリスト国家に対する正義の戦い」という非現実的な正当化を強要するあまり、映画の世界でも幼稚な善悪二元論で描くストーリーが増えました。
ウクライナ戦争に至っては、2014年のマイダンクーデター以降のウクライナ・ネオナチ化やミンスク合意違反などの経緯は全て無視して、ロシア侵略開始を起点に考えねばならないという幼稚で強引な善悪二元論化が主流メディアにも強要されています。
2) 死んでも「リセット」すれば元通りの状態になると思い込むようになる。
死が日常から遠ざかってしまい、ゲーム内のみでの出来事になってくると、小学生には「死んでもリセットすれば生き返る」と本気で考えてしまう人達が出てきています。高齢になってあちこち具合が悪くなったお年寄りを入院させれば、「ガタが来た車を修理工場に入れてオーバーホールして悪い所が全て治って返ってくる」と期待する家族がいるのもその一環かもしれません。現実には一部パッチを当てて誤魔化す位しかできませんが。
3) 不確実な展開などない、と考えるようになる。
デジタルの世界はゼロか1のどちらかで成り立ちます。答えが出ない場合は「答えがない」という答えが出るのであり、「出るか出ないかは分からないかもしれない」というファジーは人間の現実世界では当たり前ですが、ゲームやデジタルの世界ではあり得ません。計算が無限ループを描くようになってしまった場合は、バグ扱いになるので、電源を切って初期化する必要があります。デジタル脳の最大の弱点はこのファジーを受け入れない事です。逆に言うとここを責めれば簡単にゲーム脳には勝てます。
4) 道具はカタログデータ通りにいつでも使えると考えてしまう。
ゲームではアイテムを取得するとそのレジュメ通りに使うことができます。ウクライナ戦争では高性能のレオパルド2戦車やブラッドレー戦車を送ると戦況が変わるなどと説明されます。「市中道路で軽自動車に乗っているヒトにランボルギーニを与えれば、F1レース場でそれより劣る車に乗っている訓練されたレーサーに勝てる」と言っているのと同じです。新型戦車を使いこなすのに半年、それを使って組織的に戦闘を行う訓練に3年はかかります。それプラス修理メンテナンスの知識とバックアップ部隊の充実に数年かかるという当たり前すぎる認識が欠如しています。ウクライナ軍は既に数百両の戦車を戦場で失い、後方では軍事物資横流しが横行している腐敗国家です。そこに西側の虎の子戦車を無償で与えるというのが「いかにバカな行為」か理解できないのでしょうか。さすがに米軍は最新装備を解体した劣化版を送ると決めたようですが、ドイツはどうするのでしょう。専門家やメディアは何故そこに言及しないのでしょう。
5) 無から有を作れない(創造性はない)
未来のコンピューターが創造性を持つか(シンギュラリティの問題)は解りませんが、少なくとも現在のコンピューターゲームはヒトが設定した以外の展開はあり得ないので、ゲームばかりしている脳は、創造性は鍛えられません。自分で未来の選択肢を創造するよりも、誰かが示した選択肢から選ぶことしかしなくなります。支配者にとっては都合の良い選択肢を提示して、それを選ぶようにメディアで誘導すれば自動的にそれを選ぶようになります。新型コロナ感染症対策、ロックダウンやワクチンが良い例です。
近年、AIによるレントゲン写真診断が実用化されています。胸部レントゲンやCTなどをヒトが読影する前にAIに読ませて、異常を検知した画像を専門家が後で診断しなおす事で、大量にある正常画像を見続けることによる僅かな異常の見落としをなくす目的です。しかし私の勤める病院の案内に「画像診断にAIを取り入れました」と表示したところ、「異常を指摘された画像をAIに読ませてほしい」という患者さんが現れてやや驚きました。「コンピューターがヒトより優れている」とは「単純な事を1万回同じように行う能力」は明らかにヒトよりも優れていますが、「一つの物をあらゆる独創性を用いて作り上げる能力」は圧倒的にヒトの方が優れている事が理解できていないのです。文に記述すると当たり前の様に思いますが、日常深く考えずに思い込んでしまっている事にも「実は大きく誤っていた事がある」というのがコンピューター化の進んだ現代では多く潜んでいる様に思います。