rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

本当の日本の借金はいくらなのか

2012-07-30 01:47:37 | 政治

消費増税法案が審議中でいつ採決をするのか、採決後に衆議院解散はあるのかが注目されています。1000兆円にのぼる日本の借金は今後も増加を続けると言われており、一般会計における国債償還のための予算も年々増加、一方で国家の歳入は減少してきており、歳出削減にも限界があることから増税はやむを得ない選択というのも説得力がある意見とは思います。

 

しかし消費税1%につき1−2兆円の税収増としてもせいぜい10兆円税収が増えても一般会計の赤字体質は変わらないのではないかと普通考えるのですが、この点について日経ビジネスオンラインで財務副大臣の五十嵐文彦氏が以下のように答えています。

 

(引用開始)

記者:そうはいっても、内閣府が今年1月に示した試算によると、低成長の「慎重シナリオ」では、消費増税をする2014年度、2015年度だけは2013年度よりも歳出と税収との差額(新規国債発行額)が減りますが、2016年度は44兆円と、13年度の43.8兆円よりも新規国債発行額が増えます。本当に消費増税で財政健全化は進むといえるのでしょうか。

五十嵐:内閣府の試算では、今回の一体改革による消費増税分を折り込んでいますが、財政健全化については、財政運営戦略の目標として基礎的財政収支赤字対国内総生産(GDP)比が用いられており、これが2016年度にはマイナス3.0%程度となり、財政構造としては赤字半減目標の水準(マイナス3.2%)が達成できる姿になっています。

 また、歳出と税収との差額について言えば、確かに名目金利上昇に伴う利払費の増加などもあるので、名目では2014~15年度の水準(約43兆円)よりも16年度(約44兆円)へと増えるかもしれません。

 しかし、その一方で、試算では慎重シナリオでも、2013年度以降に、1%台後半から2%台の名目成長をするとみており、名目GDPも、2012年度の約480兆円から2016年度には521兆円へと伸びています。従って、歳出と税収等との差額の規模を対GDP比ベースに換算してみれば、13年度の9.0%から16年度には8.4%となり、財政状況は改善するとの試算になります。このように、名目値ベースではなく、対GDP比でみるべきでしょうね。

 ただし、今回の改革のみでは、2020年度までの基礎的財政収支の黒字化という目標が達成できるというわけではないので、引き続き努力が必要です。

(引用終了)

何を言っているのかさっぱり理解できないのですが、この10年以上GDPの増加などないのに「増加すると仮定すると赤字分の対GDP比が減るから良いのだ」と言っているようです。要は増税などしなくても景気が良くなって自然増収になれば対GDP比は減ると言っているにすぎないようにも見えます。さすがにこの先生の記事には読者からの批判コメントが嵐のように寄せられているのですが、財務省の正式な「増税による財政再建の説明」がこれなのでしょう。実は財務省、あまり財政の赤字について危機感を持っていないのでは、というのが私がこの説明を見たときの感想です。

そこで財務省のホームページから「日本の財政関係資料—平成24年度予算 補足資料」というpdfを見てみました。24年度予算90.3兆円の歳入に占める公債の割合は49%44.2兆円で、建設公債を除く赤字公債は42%の38.3兆円です。歳出では公債の利払いや償還に当てられる分が24.3%の21.9兆円なので、基礎的財政収支から建設公債分を除いた純粋な赤字予算は38.3兆円—21.9兆円で16.4兆円となり、あと16兆円増収になれば純粋な赤字分が解消されて後は借金返済だけになるという目論みはできそうです(この計算は図をみながらの方が分かりやすいので興味のある方は財務省のホームページにどうぞ)。

図は同じ財務省の資料からコピーした良く見かける日本の公債残高の累計ですが、4条公債とは建設国債のことで道路などで資産価値もあり経済的償還が見込めるはずのものです(だから財政法上存在が認められている)。問題は特例公債であり、財政法違反であるにもかかわらず毎年特例として認めてしまった財政赤字の累積であって、本来の国家債務とはこの特例公債残高のことです。24年末には450兆円になり、丁度日本のGDP1年分に相当します。

もう一つの図は債務残高の国際比較ですが、財務省はわざと日本の債務残高をGDPの200%以上に見せていますが、これは財政法上問題ないはずの4条公債と国の借金ではない地方債も入れた数字であり、本来の赤字国債の累積であるGDP100%で比較すると日本の24年度の債務残高は、米国やカナダと同レベルであることが分かります。諸外国の債務残高は地方債を含んでいないのですから(米国の地方債の赤字は表に出せないくらい酷い状態で公務員の給与も出せない位と言われています)比較を行うならば純粋に赤字国債同士でないと正しい情報になりません。

 

以上の事を総合して考えると日本の国家債務の累積額は先進国並みであり、その多くが日本国内の預金などで消化されている事を考えると、日本の国債が比較的安全であるという市場の評価、利率が低いまま維持されている理由に納得が行きます。確かに消費増税をすることで基礎的財政収支における純粋な赤字分を減らす事はできそうですが、それは景気回復による自然増収によっても解決できる事であり、私には今すぐに増税しないと日本の国家がつぶれるとは思えません。それはどうも本気で特別会計を含む国家予算の組み直しを考えていない財務省のプロ達にとってもそれは同じ感覚と言えるのではないでしょうか。

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書評 オバマの戦争

2012-07-26 00:36:28 | 書評

書評 オバマの戦争 ボブ・ウッドワード著 伏見威蕃訳 日本経済新聞社刊2011年

 

ウオーターゲート事件でピューリッツア賞に輝いたボブ・ウッドワード氏が緻密な調査報道に基づいてオバマ政権のアフガニスタン紛争への関わりについて描いた力作で、全米#1のベストセラーとなった本の日本語訳です。オバマ氏の大統領としての政治全てではなくてアフガン戦争についてのみを論じていて、大統領本人を含む多数の実在の関係者へのインタビューを積み重ねることで現実の政策決定の過程、つまりどのような意図で誰が「何が不明で何が分かっている状態」であのような決定がなされたのかを再現するという手法を取っています。

 

上記のような手法で書かれた本であり、書いてあることはきっと事実だろうと思いました。しかし本自体がとっても面白かったかというと大作の割りにそうわくわくするものでもありませんでしたし、すごく新しい発見があったようにも思われませんでした。ただ強く感じたのは「始まってしまった戦争を終わらせることの困難さ」というものです。実際に戦場に出てタリバンと戦っている米軍はアフガニスタン国内を親米政権で安定させたいと考えている、一方で政府側は昔の日本で言えば「不拡大方針」であり、国益に見合わない支出(金、国民の生命、国の評判を含む)は早く終わりにしたいと考えている。そのせめぎ合いが本書の大半を占めています。

 

本書には書かれていませんが、私が以前から主張しているように、対テロ戦争などというのは軍隊の本来の仕事ではありません。対テロ戦は警察の仕事です。軍隊というのは「他国の軍隊」に対して武力で戦うことを前提に機構が作られ訓練されています。その戦争は一定の政治目的を達成するために「ここまでやったら終了」という目標を定めて行うものです。アルゼンチンと英国のフォークランド紛争が最も分かりやすい例ですが、島の実効的奪取、島の再奪還という明確な政治的目的に基づいて具体的な目標を定めて武力衝突が起こる事が軍隊の正しい使い方です(似たような事が尖閣でおきなければ良いですが)。

アメリカの人気テレビ番組のNCIS(Navy criminal investigation service)はシーズン9まで放送されて、私もFOXで8の終了まで毎週見てましたが、彼らは米海軍(海兵隊)の中の指揮系統から独立した警察官として捜査をしているので犯罪やテロに関わる事件の解決が可能になっている訳で、米軍が米国内に部隊展開していても事件の解決などできないというものです。

 

話を本に戻しますが、本の後半は軍が効果的な成果を出して米軍が引き上げるためにはさらに4万人の増派が必要と言うのに対して、オバマは3万人で決着をつける過程が描かれます。軍はテロ組織の温床であるタリバンを根絶するため、アフガン戦争の目標を親米政権の下での治安回復に設定しているのですが、オバマ政権側は「タリバンの弱体化によるアフガン内のアルカイダの根絶」を目標にしている点が違います。つまりアフガン国内はタリバンが残っていようが国民がどうなろうが基本的にどうでもよい、のです。 ここで4万人増派は、アフガニスタンの治安維持のための「警察部隊」の訓練に必要、という理由が軍から出てくるのですが、軍自体も治安維持は軍でなく警察の仕事であることが本当は分かっている訳です。

 

私はこの本を読んで閣僚の中では副大統領のバイデン氏が最も堅実でアメリカのことを心から考えている政治家ではないかと感じたのですが、アフガン戦争に確たる目標がないこと、犠牲にかなう国益が伴わないこと(要は戦争の大義がない)を常に主張して軍から煙たがられています。実際911以降米国内ではアルカイダによるテロの犠牲者など出ていませんが、毎年3万人以上が単なる銃犯罪の犠牲になっている現実を見れば、10年以上も莫大な金と米国の若い命を犠牲にしてだらだらと戦争を続ける意味がないことくらいは大方の米国人は気づいているのではないか、この本が米国でベストセラーになった背景はそこにあるのではないかと思われました。

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書評 浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか

2012-07-19 00:04:58 | 書評

書評 浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか 島田裕巳 著 幻冬舎新書2012年刊

 

前回のブログでカソリック宗教結社のオプス・デイを取り上げたのは今回この書評を書こうとしていたことと関係があります。日本の仏教は古墳時代が明けた奈良時代からの歴史があり、多くの宗派がある割りには日々の生活の上では多くの日本人にとっては「だからどうした」という程度の関心しかありません。この本は日本の仏教について極めて網羅的に要領よくまとめて、その歴史や分かれていった過程、民衆に広まった所以などを解説した良書だと思います。表題の「浄土真宗はなぜ・・」は読者を日本の仏教史に引き込むとっかかりであって、浄土真宗のことだけを述べた書物では全くありません。

 

ところがこの本、読みやすくまとめてあるのでスイスイ読めるのですが、読み終わった後何が一番印象に残ったかが良くわからない。日本仏教の源流が南都六宗と呼ばれるような奈良、一部京都の仏閣にあって、その時代は葬式仏教ではなかったからそこには直接信者の墓はない。その後法華経、密教、浄土教、禅に大きく分かれて各人が菩提寺というものを持つようになって、家としての墓を神社でなく寺に持ってゆくといったことは理解できます。我が家は曹洞宗(家内の実家もたまたま同じ)で暫く実父の墓が寺の敷地内にあった関係で曹洞禅的な考えも多少理解はしていましたが、この本を読んでもなるほどと膝を打つような感慨がないのは葬儀を除いて、日々の生活に仏教的な要素がなさすぎることが原因ではないかと思われました。宗教的な要素ということでは曜日や大安などの縁起の概念、大して気にはしませんが方角などけっこう生活に入っているように思いますが、それは仏教というよりも古来の神道や道教の概念が混在していて純粋な仏教的思考で物事を考えることが殆どない、というのがピンとこない原因だろうと思われます。

 

仏教では悟りを開いて極楽往生することが最も価値があるとされるのですが、輪廻転生の思想がある我々は必ずしも極楽往生しなくても次も人間界で修行すればよいか、まあ餓鬼道や地獄には行きたくないけど、くらいにしか考えていないと言えます。一神教の世界では自分の人生は神との一対一の契約によって規定されるのでもう少し厳しい(ある意味周りの人々との協調とは関係ない)考え方になるかも知れません。しかし「なんちゃって仏教徒」の我々は日々の生活を悟りを開くための修行とは考えていません。死んで戒名をもらって初めて出家する形になりますが「仏さん」と言ってもらうための方便に近いかもしれません。

 

餓え(飢饉)と病が日常的であった100年位前までは今よりも日々の生活がずっと苦しいものであり、また死というものがもっと身近なものだったので神や仏に救いを求める気持ちは今よりも切実であったことは想像できます。人々は今以上にずっと宗教的なことを念頭において日々生活していただろうと思います。その中で人々の信頼を得るには「救い」が容易に得られること、できれば現世利益に結びついていること、がその宗派が民衆に受け入れられる条件になったでしょう。戒律が厳しかったり複雑で覚えきれないようなものは民衆の心をつかむことはできない。その点「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることが極楽往生に結びつく浄土真宗や、「南無妙法蓮華経」と題目を唱えることで利益が得られる日蓮宗は大衆仏教として受け入れられやすく、表題のように浄土真宗が日本で最も信者が多い理由になっているという説明に説得力が出ます。

 

題目を唱えて現世利益とつなげる新しい日蓮の宗派である創価学会は中小の事業者を中心に政教一致を掲げてかなり多くの信者を抱える宗派になりましたが、ある種オプス・デイや欧州のキリスト教系政治団体、或はイスラム教系の政治団体と同様の運動形態である点で国際的な面があるかも知れません。私は宗教を現世利益と結びつける考えには反対で、宗教は各人の心のあり方や生き方に生かされるべきだろうと考えているのですが、だからといって禅宗を日々の生活に取り入れて活かしている訳でもないので偉そうな事は言えません。ただ宗教的思考を日々の生活に取り入れずに生活している我々は世界の趨勢からはむしろ少数派かもしれないということを認識して世界を見るべきではないか、と書評からは少し離れた結論ですがこの本を読んで感じました。

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欧州債務危機とオプス・デイ

2012-07-18 20:11:16 | 政治

購読している雑誌「選択」7月号にスペイン政財界を牛耳る宗教組織として「オプス・デイ」の存在が紹介されていました。オプス・デイは小説ダヴィンチ・コードで陰謀を操る秘密組織として登場していたそうですが(読んでないので知らない)、その実態は特別秘密でもなく、カトリック教会の一組織、つまりイエズス会とかと同様の組織で、特徴的なことは1928年にスペインのホセ・マリア・エスクリバーという司祭が創設した比較的新しい組織であること、ナバラ大学、欧州でも有数のビジネススクールであるIESEを組織内に持ち、スペインのみでなくイタリアやベルギー等欧州全体の銀行、ビジネスマンや政治家に多大な影響力を持っていること(大戦前のフランコ政権の内戦時から政財界に大きな影響力があったらしい)、エスクリバーがローマ法王庁の顧問、歴代の教皇の知恵袋として活躍し、1975年に亡くなるまでカソリックのあり方にも大きく影響を与えていたこと(第二バチカン公会議62-65年にも多大な影響、2002年にはヨハネパウロ2世によって聖人に異例の早さで列せられた)などが挙げられます。

 

現在バブル崩壊が懸念されているスペインの金融、住宅関連業界にもオプス・デイのメンバーが多数おり、横のつながりや裏資金などについては不明な点が多いということです。まあそれだけならば、特にどうということもありませんし、日本にもオプス・デイの支部が神戸にあってホームページも公開されている普通の小さな(信者8万5千人と言われる)宗教団体と言えるでしょう。

 

一応注目しておいた方が良いかもと思われるのは、オプス・デイが目指している社会・世界が「政教一致の一神教社会の樹立にあること」らしい点です。目的とする一神教社会とは、カソリック、プロテスタントなどのキリスト教の各派閥の癒合に留まらず、民族宗教であるユダヤ教、多数の信者を抱える兄弟宗教のイスラム教をも将来的には取り込んでゆくかもしれないということです。既にカソリックは第二バチカン公会議でユダヤ教徒をキリスト殺しと指弾することを止め、階層意識の強いカソリックをより世俗的に受け入れやすい体制に変えてきています。イスラム教は政教一致性の高い宗教なので一見カソリックとの融和は不可能のようにも見えますが、一度共存体制ができてしまうと多神教のアジアの国家よりもうまく行くかも知れません。

 

ドイツ北部はプロテスタントが強い風土ですが、南部はカソリックであり、現在のカソリックはオプス・デイの影響が強いと考えると、EUを形成する国家群にとってEU体制の維持というのはオプス・デイの意思を反映しているとも言えるかな、という見方もあるだろうとも思われます。

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政治における嘘は学校教育に影響しないか

2012-07-10 23:58:57 | 政治

小学校では「嘘をついてはいけない」「嘘つきは泥棒のはじまり」といった例えで人をだます事なく、社会の一員として真人間として生きてゆく道を教えます。中学生くらいになると、実社会では当初言っていた事も諸般の事情で変更しなければいけない事態も生じてくるということも習い、しかし前言を翻すにあたっては皆に変わった事情を納得がゆくように説明しないと信用問題になる、と教えられます。こういったことは生徒会やクラブ活動などを通じて学んでゆくはずです。

 

さて、実社会において最も尊敬に値する人と言われる「総理大臣」や「国会議員の諸氏」が「嘘をつく」とか「前言を翻すにあたって皆が納得できるような説明をしない」といった事態が今おこっているのですが、教育現場においては困っていないのでしょうか。

 

日教組のホームページを見てみたのですが実に大人しい内容でした。「普通の職員組合?」かと思うようなニュートラルさというか、私が子供の頃は「泣く子も黙る」と言われ、学校に籍はあっても組合専従で教えているのを見た事がない先生もいるような過激な集団だったのですが・・。まあ大親分の輿石さんが先頭を切って嘘つきしているのですから何も言えないのかも知れませんが、日教組ももう少し骨のある団体だと思っていました。せめて「政治に嘘は許されない」「原発のない子供達の世代に安心安全な社会を」くらいのアピールがホームページの最初にあっても良さそうに思うのですが。上に対してまともな突き上げもできない意気地なしならば、私が子供の頃あれだけ偉そうな御託を並べていたのは何だったのでしょう。その程度の情熱ならば組合活動などせずにまじめに教育をしたほうがよほど良かったのではないですかね。

 

日教組の悪口は終わりにして、種々のメディアを見ると増税賛成を唱える経済学者や識者と言われる人たちの説明にも呆れるものがあります。さすがに「このままではギリシャになる」という脅し文句は日本とギリシャが違いすぎるので言わなくなってきましたが(未だに言っている人は阿呆です)、近頃は「庶民は近視眼的で将来をきちんと考えられないから」という上から目線の解説が目立ってきました。その解説者達が長期的視野に立って増税に伴う財政再建のスキームをしっかり示しているかというと(そんなものはこの程度の増税では焼け石に水で全く立たないから)示していない。取りあえず増税しておこうという近視眼的なのは説明しているあんただよ、と私には見える。

 

医療においては検査や手術、投薬においても患者さんの負担になる(身体的にも経済的にも)行為を行うにあたっては「何故それが必要か」「行う場合、行わなかった場合の利点、欠点」を納得がゆくように説明して同意を得ることが当たり前とされています。いわゆるインフォームドコンセントです。「何でも先生におまかせ」と言ってくれる患者さんは「いくら説明しても納得してくれない」患者さんよりは良いのですが、説明して理解してもらった上で治療や検査を行う方がその後の患者医師関係の上でも良い信頼関係が築けることは間違いありません。

 

政治においても万人が納得できる説明は無理かもしれませんが、国民に負担を強いる政策を決めるには「このままじゃ死んじゃうよ」(ギリシャの例)とか「どうせ専門的な事言っても分からないでしょ」(庶民は近視眼)などという説明で施策を決めてはいけないと思います。「嘘つきは政治家の始まり」と小学校で教えるようになるべきではないと私は思います。

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