rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

書評 2013年中国で軍事クーデターが起こる

2011-07-28 20:02:16 | 書評

書評 2013年中国で軍事クーデターが起こる 楊 中美 著 2010年ビジネス社刊

 

著者は中国の師範大学を卒業後、30台半ばで来日、立教大学、ハーバード大学を経て、現在横浜国大、法政大学で教鞭を取る中国政治研究科です。中国の権力者がどのように決まってゆくのかは日本のメディアで解説されることは殆ど無いので知られていませんが、この本はその辺りからかなり解りやすく解説していて題名のセンセーショナルなインパクトとは異なる現代中国政治の入門書的な意味合いもあります。

 

中国は政治に関しては共産党独裁の専制国家であり自由がないことは誰も異論がないところです。しかし経済においては自由主義経済であり、その「自由」とは政治と異なり「秩序」は重んじられず「何でもあり」の自由であることも周知の通りです。それは本来の共産主義の真逆を行く「拝金主義」の肯定であり政権に阿ってさえいれば、賄賂、契約違反、暴力、何でもOKの凄まじい社会であることも誰も否定しないでしょう。

 

現在の胡温体制は毛トウー江に続く第四世代指導者と言われていて、次の第5世代は習近平李克強体制であるとされています。独裁体制においては、次の指導者は前の指導者が決めるのが習わしであって、二つ前の指導者位までが実は種々の影響力を持って次代の指導者を決めていることがこの本を読むと解ります。しかし、経済規模が日本を抜いて2位になり、オリンピックや万博も開催しえた中国も、国家設立の基盤となった資本主義、階級制度の否定とは真逆の原始的資本主義と極端な貧富の差、インフレによる国民多数の生活苦といった不安定要素が山積みとなり、情報化社会の浸透でいつ国民の不満が爆発するか解らない状態になってきたことも明らかです。

 

2012年には胡温体制が次の体制にバトンタッチされるのですが、その際今までのように穏当に前体制が決めた指導者に引き継がれるのか余談を許さない状況であることは明らかと思います。その際、共産党独裁体制のまま指導者の顔触れだけが変るのか、民主化の嵐が中国にも吹くのか、旧ソ連のように地方が独立するかたちで国家体制そのものが変化するのか、種々の可能性があります。

 

本書では、習李体制に取って代わるかもしれない四人の実力派政治家を挙げて解説しています。1)汪洋 種々の政治的難問を解決してきた実力派 2)李源潮 胡氏の忠実な部下で各方面に強い人脈を持つ 3)薄煕来 軍や国民の人気が高く機を見るに敏な政治家 4)王岐山 北京市長、金融にも強く人柄も良い などの強敵が紹介されているのですが、それぞれどの人物の経歴を読んでも日本の小粒な政治家達とは格が違う波乱万丈で命がけな上、並でない知性を持っていることを証明するような人生を送ってきています。

 

次の世代でもし社会体制が変るとするならば、それに影響するであろう要因として著者は次の事項を挙げています。1)北京中央以上に経済で実力をつけてきた地方政府(と軍閥軍としては表面に出ませんが)、2)地下労働組合と黒社会、3)国軍として帝国主義的力を強める人民解放軍 の3者の存在が安定した共産党独裁体制を脅かす勢力になりつつあります。これに外国からの経済資本の動静も大きな鍵になるでしょう。次世代を担う習李体制がこれらの勢力をどのように取り込むか、或いは敵対した場合に排除できるかが重要であり、先に上げた4人が習李体制に取って代わるにはこれらの要素をいかに味方につかるかが重要になるでしょう。

 

最近のニュースを見ても中国の住宅バブルはすでに崩壊しつつあり、インフレも庶民の生活を圧迫する一方で欧米諸国の不景気から一時ほど経済発展が期待できず都市に浮浪者が溢れてきていると言われます。本書で予想する2013年の体制変化への舞台は整いつつあるように見えます。中国の体制がどう変化しようと中国という国家が消滅することはありえませんし、14億といわれる国民が絶滅することはないでしょうから、中国の今後の変化がアジアにおける21世紀の歴史に大きな影響を与え続けることは間違いないと思います。そのような中国の現況を知る上で本書は良い参考になると思いました。 

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震災におけるDMATの活躍

2011-07-28 00:05:16 | 医療

今回の震災では早期から厚労省と国立病院機構が設立したDMAT(Disaster Medical Assistance Team)が被災地に展開して避難者の救護や緊急時医療にあたったようです。今回実際にDMATで活動した医師からの報告会に参加する機会を得たので仄聞にすぎませんがその感想を記しておきたいと思います。

 

DMATは阪神淡路の震災の時に被災地の医療施設も被害を受けて迅速な救急医療を行なえなかった反省を踏まえて、全国主要病院800施設に緊急時に派遣できる医師、看護師、薬剤師、事務員のチームを作り、訓練の上公に認定し、必要に応じて被災地に派遣できるよう定めたものです。

 

興味深く感じたのは、派遣要請には強制力はなく、あくまで各病院の都合で派遣人数や日程を決めて良いということです。チームはDMATとしての公の認証を受けて身分証があれば、警察署で自家用車でもレンタカーでも「緊急派遣車両」の証明を受けてどこにでも入れます。活動中は公務に認定されて、派遣費用なども後に派遣要請をした自治体などから支払われるようです。 

 

今回報告をした医師はチームではなく単独でレンタカーを借りて福島に行き、放射線避難地域内の病院でわずかに残った医師達と活動をしたり、他病院からチームで派遣された人達と共に活動をしたということでした。 

 

医療内容の報告としては、今回被災した人は津波で流されて死亡するか、避難できたかに大別されたので、怪我をした人はあまりなく殆どが避難所における風邪や慢性疾患の増悪が医療の中心だったということです。私も阪神の震災では神戸の避難所で3ヶ月救護所の医師をした経験がありますが、発災後1週間位からは風邪や慢性疾患に対する対応、トイレや風呂が使えないことに対する衛生管理が主体となり、それ以降は各部屋を保健婦さんが巡回して健康管理を指導することなどが活動の主たるものになってゆきました。

 

阪神の時には被災地の医療施設が立ち直ってきているのに、後から派遣された厚生省派遣の医療チームが居続けるような不均衡が起きて、発災当初から頑張っていた保健所の職員に「今ごろ来て何だ?」といった反応を示された場面も目撃したのですが、今回は搬送を要する被災患者を後方病院に搬送し、3月下旬には大規模な派遣活動は撤収するという手際の良い対応だったようです。ただ寄せ集めのチームだけに、各地区において後方病院、被災地、消防や自衛隊などを統轄する「司令塔」となる人材がDMAT内でうまく活用できていないところがあり、今後の課題であろうと言われています(宮城県は比較的うまく行っていたようですが)。

 

また慢性疾患の中でも精神疾患に対するニーズが高く、どの避難所でも向精神薬がないために不安定になって暴れる患者さんや、パニック障害のために集団で寝泊まりする部屋に入れずに入り口で動けなくなっている患者さんなど、マスコミでは出ない深刻な状況が見られ、精神科医師をチームに加える必要性を強く感じたということでした。

 

レンタカーを借りる際に、DMATで福島に行くと告げると大手数社では断られ、小さな会社でやっと借りる事ができたそうです。実際避難地域内の病院では放射線測定を行なう市の職員と一緒に活動したそうですが、地面の近くではかなり高い値が出て良い気持ちはしなかったそうです。今でも放射線が高いと言われる地域には物資を運ぶトラックなども入りたがらない状態があって、生活物資にも事欠く場合があると聞きますが、「放射線を正しく恐がる」ことの難しさを実感します。

 

今回の震災では私は自分の病院内への対応で手いっぱいでしたが、今後いままでの経験が生かせるような事態、できれば起きないで欲しいものです。

 

 

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アンチエイジングと男性更年期

2011-07-24 23:16:21 | 医療

久しぶりの更新になりますが、学会や講演、日々の診療が多忙で本はそれなりに読んでいたのですがブログの更新が滞ってしまいました。

 

現在最も注目されるのは何と言っても8月2日にアメリカ国債がデフォルトするか否かの問題です。もともとQE2に対する特例措置で何とかデフォルトまでの期間をのばしていただけで、根本的な解決策は出されていないのですから、今回その場凌ぎとしてQE3QE4と国債の上限を限りなく上げていったとしても米ドルは経済の実体を伴わない印刷物だと宣言してしまうようなものでしょう。

 

さて先日大学の同窓会で「男性更年期と前立腺疾患」という演題で講演をする機会を得ました。男性更年期は近ごろ話題ではありますが、特に詳しいという訳ではなく、いろいろ勉強しながら話す内容をまとめたというのが実際でした。そこで備忘録の意味もこめて少しまとめておきたいと思います。

 

アンチエイジングと更年期

 

老化防止というのは秦の始皇帝の時代から「不老不死」の妙薬が求められていたように人類永遠の探究テーマであると思われます。現在のアンチエイジングの考え方は「永遠の命」というよりは老化によって起る身体精神能力の低下を防ぎ、或いは回復させて死ぬ直前まで若さと健康を保って「ぴんぴんころり」と死にたいという願望に基づいていると言えます。

 

1900年頃の女性の平均寿命は西欧においても50そこそこであったという記録があり、閉経後も生きている女性は全体の2−3割しかいなかったそうです。日本でも明治期に初めて文献上更年期ということばが登場するのですが、江戸時代には更年期の概念はなかった、そこまで長生きする女性はあまりいなかったということのようです。そもそも自然界において閉経後まで生きている動物はヒトと象くらいなもので神様は更年期の存在を想定していなかったと言えるかもしれません。従って更年期の種々の症状に打ち勝つ医療というのは一種のアンチエイジングに含まれるものと思われます。

 

老いを研究する老年学の潮流として、一つは老いによる人格や能力の成熟を研究する分野があり、これは「老い」を肯定的にとらえているものと言えます。そしてもう一つが「肉体的老い」をいかに否定するかを探究するアンチエイジングであり、これは欧米においても商業主義と結びついて発達してきた歴史があります。この二つは対立する概念であるにも係わらず、日本においては老年学の目標があいまいなままブーム的に広がってきていると言えます。

 

男性と女性の更年期

 

女性は閉経後女性ホルモンが急降下して10%以下に低下するため、ホルモン低下による自律神経失調症状やいらいらなどの神経症状が自覚とともに顕著に現れます。一方で男性はテストステロンの低下が40台位から現れるものの徐々にしか進行せず、しかも低下の度合いやもともとの男性ホルモン値も個人差がかなりあることから、本当に男性においてもホルモン低下を原因とした更年期障害というものが存在するのか疑問をもたれていました。

 

男性ホルモンの低下をきっかけに、高血圧、高脂血症、糖尿病などのメタボリック症候群を呈する疾患が惹起されたり、勃起障害や性欲の低下などの性機能障害、疲れやすい、眠れない、筋力低下などの精神身体症状が出現するというのが男性更年期(Late Onset Hypogonadism)と呼ばれる一連の症候群であり、これに男性ホルモン低下が増殖のトリガーといわれる前立腺肥大症や前立腺癌などの泌尿器科疾患も加わって(Aging Male Urological Syndrome)などとも総称されたりしています。

 

男性更年期の治療に男性ホルモンは有効か

 

男性ホルモンの低下が原因であるならば、治療として男性ホルモンを外から与えて補充してやれば全て解決するではないか、と普通考えますが問題はそれほど単純ではありません。日本では遊離テストステロン値が11.8pg/ml以下をボーダーライン例、8.5pg/ml以下を下限としてそれ以下ならばテストステロン補充療法の適応としています。確かに補充療法によって自律神経失調や精神的に活力が低下していた人が改善したり、性機能障害が改善したりする例があるようです(ようですというのは私には治療経験がないからです)。しかしある意味「不定愁訴の塊」とも言える男性更年期の症状の全てがホルモンだけで説明がつくほど人間は単純ではないことは明らかです。ホルモン補充もプラセボ以上の効果が一部の人にはあるとしても、一般の医療で経験するような万人への効果があるか、となると極めて疑問です。ある種アンチエイジングにおける商業主義の臭いもしないではありません。

 

男性更年期医療の今後

 

男性ホルモンを外から補充すると、ただでさえ低下していた患者本人の男性ホルモン産生能力はほとんどゼロになります。ホルモン値を一定に保とうとするネガティブフィードバックがかかるから当然の帰結です。結果として一度補充療法を始めると一生続けなければなりません。ここが商業主義的である所以でもあります。医療商業主義を否定しない欧米では一生ホルモン補充を続ける事が男性更年期治療の基本になっていますが、日本ではこのありかたに疑問を持つ専門家が大勢います。「症状がある程度改善したら1年位で少しずつ減らして漢方薬などに交代させよう。」と言う考えの専門家が主流です。私もそのほうが良いと思いますし、そもそもホルモン補充などせずに男性ホルモンが低下したことを素直に認めてそれなりの生き方を各人が考えることが本当の男性更年期治療だと私は考えます。「老いを認める」ことから入らずして健全な老後などありえないというのが私のポリシーです。もし補充をするとしても「老いを薬で誤魔化すだけで何の解決にもならないことを承知で注射を受けて下さい。」と私なら説明するでしょう。若年者の下垂体性性腺機能低下などは本当の病気だからホルモン補充(或いは下垂体ホルモンの補充)は当然と考えますが、老いによる性腺機能低下に対して、症状改善のためホルモン注射に依存するようになったらそれは覚醒剤に依存するのと同じ構造だと私は思います。

 

講演の後、聴衆だった後輩から「一時的に脚光を浴びても10年くらいするともう存在しない病気が時々ありますが、これもその可能性はないですか。」という鋭い質問がありました。実に良い質問で私も誰かに質問したいくらいです。私の考えでは、男性更年期が商業主義と結びついてしまったら大してホルモン補充自体に効果がないからそのうち廃れてしまうのではないかと予想しています。一方で学問的に治療の適応や他の因子との関連をきちんと研究してゆくのであれば老年学の一分野としてしっかりと確立されてゆくのではないかと私は思います。

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