米国における保守conservativeとは、日本と異なり個人主義を徹底的に追求し、政府による統制をことごとく嫌う人達を指します。本来共和党は保守であり小さな政府を目指しているのに対して、民主党は革新であり、福祉や社会政策などを充実させ、大きな政府を厭わない勢力です。時に民主党政権が社会主義と揶揄されたり、第二次大戦前後には民主党内にソ連のスパイが多数紛れ込んでいたりした事も有名です。
日本では国家主義や国家による統制に重きを置く思想を保守と呼びますが、封建体制から戦前へのつながりがそうであったため、共産主義や社会主義も国家主義で国家による統制に重きを置いていて日本における保守と区別がつかないのに戦後社会において、国家主義を保守、自由を重んずる方を一応革新と呼んで米国における保守革新と反対の状況が現出されてきました。つまり思想ではなく、親米か親中・ソかという他国に対する好きずきで保守と革新が別れていただけという思想的には低レベルの区別しかなかったというのが日本の保守・革新の現実でした。
米国における保守・共和党はレーガンの時代からより軍事に重きを置いて、世界戦略においては国家主義を重視するようになり、国家を資本主義の土台にしながら世界を席巻してゆくコーポラティズムに基づくグローバリズムを重視するネオ・コンサーバティブ勢力が米国を支配するようになると、共和党・民主党の明確な区別があまりなくなり、どちらが政権をとってもグローバル企業だけが儲かるような米国社会に成り果ててしまいました。ティー・パーティ(茶会派)などのリバタリアン達が勢力を盛り返しそうにも見えたのですが、リーマン危機以降も米国社会の主流にまでなることはないようでした。
しかし米国の中流層が減少して格差社会が極端になるにつれ、また米国自体の国力が21世紀におけるテロとの消耗戦で疲弊し低下してくるにつれて、米国では本来の保守主義である反連邦主義が沸々と頭をもたげ始めているように感じます。
ここ1−2年の南部諸州における銃乱射事件などで、南北戦争時代の南軍の旗が掲げられているのを見かけます。メディアでは南軍の旗を「人種差別の象徴」として忌避・批判する論調が目立ちますが、あれは「反連邦主義」が目覚めることを「人種差別問題」にすり替えて抑え込もうとしていると考えます。南北戦争は奴隷制の適否を巡って内戦が起こった訳ではない位の事は常識であり、本来は連邦制の適否であった訳です。
以前の拙ブログで、テロとの戦いとはミリシア(民兵)を国家が抑え込む戦いであると紹介しました。あそこでも述べたように米国におけるミリシアとは独立した民兵を意味する他に州兵のことでもあり、連邦の横暴に対して米国各州は反対を表明し、最終的には独立する権利を持っていることが日本との大きな違いです。日本では殆ど報道されていませんが、現在米国では大規模な連邦軍の国内軍事演習が行われていて殆ど南部各州が連邦に対して反乱を起こした場合の戒厳令の演習のような状況になっています。Guardianなどではかなり詳しく報道されていました。当初敵方と指定された南部各州の知事は連邦によって勝手に州内で戒厳令が敷かれるのではないかと警戒したという報道もありました。
南部におけるテキサス州、ユタ州は完全に反米地帯として扱われ、その周辺地域から同州をいかに責めとるかが演習されるということで、一説にはロシアに支援されたメキシコ・キューバ軍による占領とか、中国軍による占領とか、この2州とイランとシリアに見立てた中東戦争の予行演習とかいろいろな事が言われています。しかし本当は静かに広がりつつある反連邦主義を抑え込むことが本来の目的ではないかと私は見ています。
赤く塗られた州が敵方 ロシアからの侵略を想定? 中東戦争の演習?
米国における反連邦主義を面白おかしく扱った映画に1999年のハリウッド映画Wild Wild Westというのがあります。評判は散々で最もへっぽこな映画(ゴールデンラズベリー賞20回最低作品賞)として表彰されてもいるのですが、ここで出てくる悪役の南北戦争時の南軍の大将が米国の大統領を人質に取って「北部の諸州は英国に返す、メキシコから奪った南部諸州はメキシコに返す、後は俺様の国として独立を認めろ」とすごむシーンがあります。普通の米国人ならば噴飯物の発想だと思いますが、態とB級映画として描いているものの実は反連邦主義の危険思想をきわどく描いているのではないかと興味深く感じました。
さてこのJade Helmという演習はその後どうなっているのか続報がないのですが、演習が続いているこの9月にも米国において何か大きな動きがある予兆になるのではないかと期待しているところでもあります。