自衛官候補生が銃を乱射した事件は日本社会に大きな衝撃を与えましたが、その背景についてメディアでは種々の分析が進められている様です。勿論教育隊の実銃訓練で乱射事件など通常ではおこり得ない事ですが、犯人とされる候補生の心理的背景については、元自衛官としてある程度想像できる様に思うので以下説明します。
I 教育隊とは一度娑婆脳を棄てて頭に白いキャンバスを提出する場
一般人が自衛隊に応募して試験を受けて採用されると、陸海空に分かれて、まずは3か月程度自衛官としての基本を身に着ける「教育隊」に入ります。この教育隊を卒業するまでは、仮採用であり、給与は出ますが、まだ正式の自衛官(軍人)ではありません。この一番最初の教育期間で最も大事な事は、今までの人生の経験やしがらみを一度全て棄てて、頭の中をカラにして白いキャンバスを提出する事にあります。これが抵抗なくできるかが教育隊をソツなく過ごせるかの分かれ目ですが、戦後、日本社会に軍隊の経験・歴史がなくなってからは実はこれが一番困難な試練なのです。
日本の現代社会において、自衛隊に入るからには、それなりの覚悟や思い入れが必要なのは当然ですが、例えばゲームにおける戦場の知識やサバゲ―の知識といった物は「不要」もしくは「むしろない方が良い」になります。そのような知識は教官から徹底的に「否定」されます。むしろ学生時代ヤンチャでチョイ悪だった奴くらいの方が、入隊して真っ白なキャンバスを頭の中に容易に作ることが出来たりします。軍隊においては、教官(上官)の指示と教本に書いてある事が全てであり、「余分な知識を交えず教えられた通りに白いキャンバスに書き込んでゆく事」を要求されます。「それは違う」「この方が良い」は意味がありません。それは娑婆で考えれば良い事になります。兵士は目の前で砲弾がさく裂して前進すれば討ち死にするだけと解っている状態でも命令があれば銃を撃ちながら突撃しなければならない場合があります。そちらに敵を引き付けて背後から撃つ作戦で、最終的にその軍が勝利すれば良いからです。個人の命にとっては非合理的ですが、軍としては正しい作戦であり、兵士脳にはそれに無条件に従う事が要求されます。
その点を割り切って考えられないヒトは「教官は頭が悪い」とか「知識のある自分をいじめている」と考えるかも知れません。しかし教育隊の曹(下士官)は部隊の中でも優秀な人材が選ばれます。彼らは知識も経験もあり、部隊からも信頼されているからこそ教育隊勤務を推薦されて来ています。新入隊員が娑婆の知識を全て棄てて白いキャンバスを差し出す事が容易でないことは百も承知しているからこそ、その様な接し方をします。3か月の初期教育で娑婆脳を一度棄てる事ができなかった候補生は、任官できない=不採用になります。
これは日本に限らず、世界で共通した認識です。徴兵制のある国はどう対応するか分かりませんが、軍人が制服を着用している間は「兵士脳」でいる事を表します。日本では認識がありませんが、外国では制服を着た兵士はそれだけで尊敬の対象になります。それは利己的な煩悩に支配された娑婆脳を一度超越した兵士脳(国家社会の任務に忠実)に従って行動している事が前提になるからです。
II 兵士と士官の違い
伍長(自衛隊では三曹)以上曹長以下を下士官、准尉以上を士官と言い、兵士とは区別しますが、下士官が戦略を決めることはないので、基本的に言われた事をそのまま行うのは下士官まで同じです。但し実戦(演習も)で大いに役立つのはベテランの下士官であることは平時における自衛隊でも同じです。
兵士脳で士官と曹士に違いがあるか、と言われると基本的には娑婆脳は捨てている点で同じですが、情報や戦略に疑問や改善点がある時には「軍の勝利に結びつく事であれば上官に意見具申をして良い」という点が違います。全ての軍人が「ただのイエスマン」である軍隊は弱いです。上官が誤れば全滅するからです。しかし一度決定が下されれば異論があっても従うのが軍隊であり、映画「遠すぎた橋」では偵察写真でドイツ軍の機甲部隊が隠されている可能性を正しく指摘した英軍情報将校が干されて部隊が大惨事に陥った様が描かれます。
司令官(海では艦長)の決定は絶対ですが、例えば核戦争を始めてしまう明らかにおかしい命令を司令官が命じた場合、それを止める事ができる唯一の存在は副官(number 1と呼ばれる)だけです。勿論number 2以下の部下が納得しなければ司令官の命令を覆すことはできませんが、副官は場合によって「抗命」の汚名を着る覚悟が必要な重要な存在と言えます。
III ウクライナ軍のデタラメ
士官と言えども、上記の様に娑婆脳を棄てる試練を理解し、実践しているのですから、兵士達の気持ちは理解しています。実戦においては、戦略上敢えて死地に部下を追いやる決定を下す必要に迫られます。全ての兵士一人ひとりには、それぞれに親も子も恋人もいる人生があり、生き延びれば社会を代表するような会社のオーナーになったり、子孫が大発明をして人類に貢献する可能性だってあります。戦争は外交の一形態であり、どうしても避けられない時に最小の犠牲で最大の利益が得られる様に外交官(政治家)が努力をした上で仕方なく行うのが戦争であると軍人は考えます。自分たちの身を棄てた貢献が国家社会の利益になるという前提があって初めて軍人は全力で敵と戦うことができます。
ウクライナ戦争におけるウクライナ軍の使い方を米軍の退役士官たち(ダグラス・マクレガー氏やトニーシェイファー氏ら)が「犯罪的」と激怒している理由はここにあります。
ウクライナと仮調印した機密文書をアフリカ代表達に敢えて暴露したプーチン大統領
プーチン大統領は6月17日ウクライナ情勢の和平仲介に向けてゼレンスキー大統領との会談後に訪ロし、10項目のロードマップを示したアフリカ7か国代表団と会談しましたが、その際、昨年3月にウクライナとイスタンブールで和平交渉を行って仮調印まで達した合意内容について暴露しました。その文書では、ウクライナの非軍事化について、ウクライナ側が希望する1/3程度の武力は認める内容になっていたようです。この段階ではロシア、ウクライナ双方に相当の損害が生じていたものの、現在に至るほどの取り返しのつかない損害は出ていなかった。2国間の顔を立てた状態での休戦が可能であったと言えるでしょう。どちらの軍人たちにとってもここで休戦協定を結ぶ事は納得がゆく結果であったと思われます。しかし地球の裏側から、グローバリストの要求に従わないロシアプーチン政権を破壊したい米英勢力が「金と武器を送り続けるから勝手に和平を結ぶな」と命令し、ゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリエフ氏を射殺(3月5日)して、その後既に署名もされていた「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」を反故にしました。停戦交渉の進展でロシア軍はウクライナ政府との約束通りにキエフ周辺から撤退を開始、3月末には撤退終了していたのですが、4月2日にウクライナのネオナチがブチャに入って親ロ派とみられる住民を虐殺して、ロシアがやったと宣伝、それらも含めて一度署名した条約を反故にするウクライナと交渉するつもりはない、と機密文書を敢えて暴露したのが今回のいきさつでした。
反攻が行われた地域と数千名の犠牲の後、実質ウクライナ側が得たとされる地域(右上の薄い黄色) 地雷原で団子になって破壊されたNATO供与のウ軍戦車
戦争という将来ある健康な若者の犠牲が不可避である場合、最小限の犠牲で最大の国家利益につながる様、命がけで交渉するのが政治家の役割であり、軍上層部は兵士の犠牲が最小限になるよう、可能な限り万全の戦略・戦術を立て、作戦開始を命じなければなりません。欧米NATO諸国はウクライナの若者を数万人集めて、使い古しの戦車装甲車を与え、各国バラバラに訓練して今回の春季攻勢と呼ばれる戦場に送り出しました。一応作戦らしきものはありますが、情勢判断から勝てる見込みはなく、訓練も形のみで未完成のままでした。後方からの航空支援や火砲の援護もなく、ただ万歳突撃を繰り返す命令を送るのみであり、当然のごとく数日で数千名の兵が死傷しました。無駄死にするためだけに戦場にゆくウクライナ兵たちは自軍の戦車を破壊する者まで出始めています。グローバリスト、ネオコンがプーチンロシア体制を自分たちの利益を獲得するという煩悩を満足させるために、自分たちには痛くもかゆくもないウクライナの若者を西側諸国の市民が払った税金で得た武器を与えて死地に送るだけのウクライナ戦争の欺瞞は、誰でも気が付く物でしょう。兵士脳の覚悟を知る米国の良識ある退役軍人たちが「これは犯罪である」と怒りを露わにするのは当然です。
前線における兵士の大きな損失を伝えるワシントンポストの記事(2023.06.13)