ベンチがみずいろだったのですね。
キョコロヒーだいざんしょを見た(未来)ころ つまり当選した には何か書けるかなと思っていたら、ふとヒヤシンスハウスのことを思い出し、書ける。というのは、検索したらなんとgooブログがヒットしたといふ故。
タイトルも同じ気がするがしかしどうも様子が違う気にさせる様子だ。若いニオイがする。昔読んでいたものはお仕着せブログ形式ではなかったし、2000人以上の読者のために継続しているといったニュアンスの80代知的女性と思い込んでいたからそこからいくと今は超100歳となる。似たようなものは限りないのだね。大友良英がマツナガセイゴウと言ったのを松岡正剛の間違いかと思って検索したころに松岡氏は逝去していたようだ。うちは比叡おろしですねんとつい歌う。
勢古浩爾というひとが著書の中で「ところが、じいさんになれてうれしい、という人がいる。」と高木護というひとを紹介する。勢古さんは高木さんがとしをとるのがうれしいと言っていると言っている。私は高木さんの本を読みもしないで私は高木さんはじいさんになるまで生きられてうれしいと思ったのだと思った。としをとるのはいきてるしょうこ。
キョコロヒーだいざんしょを見た(未来)ころ つまり当選した には何か書けるかなと思っていたら、ふとヒヤシンスハウスのことを思い出し、書ける。というのは、検索したらなんとgooブログがヒットしたといふ故。
タイトルも同じ気がするがしかしどうも様子が違う気にさせる様子だ。若いニオイがする。昔読んでいたものはお仕着せブログ形式ではなかったし、2000人以上の読者のために継続しているといったニュアンスの80代知的女性と思い込んでいたからそこからいくと今は超100歳となる。似たようなものは限りないのだね。大友良英がマツナガセイゴウと言ったのを松岡正剛の間違いかと思って検索したころに松岡氏は逝去していたようだ。うちは比叡おろしですねんとつい歌う。
勢古浩爾というひとが著書の中で「ところが、じいさんになれてうれしい、という人がいる。」と高木護というひとを紹介する。勢古さんは高木さんがとしをとるのがうれしいと言っていると言っている。私は高木さんの本を読みもしないで私は高木さんはじいさんになるまで生きられてうれしいと思ったのだと思った。としをとるのはいきてるしょうこ。
中学生のころ町の本屋で買った横尾忠則的極彩色っぽいコラージュに本人の顔写真も混じっている装丁の書を捨てよ町へ出ようという本のその装丁のイメージと混濁したように
寺山修司のことばだと思い込んでいた
サヨナラダケガ人生ダ。
どこかで井伏鱒二云々と修正されたはずだと思い返せば思い当たりはするのだが、むかし思い込んだことには依存性があるというかかの強さに修正など吸われ失せ。
その一節を太宰が引用しているというのを最近何かで目にして井伏鱒二全詩集というのを借りてみ
たところあまり気分がそわないのでそうそうにかえそう
とも思ったがもうすこし追ってみよう
と思いかければ「訳詩」に至る。
田家春望 高 適
出 門 何 所 見
春 色 満 平 蕪
可 歎 無 知 己
高 陽 一 酒 徒
ウチヲデテミリヤアテドモナイガ
正月キブンガドコニモミエタ
トコロガ会ヒタイヒトモナク
アサガヤアタリデ大ザケノンダ
古 別 離 孟 郊
欲 別 牽 郞 衣
郞 今 到 何 処
不 恨 帰 来 遅
莫 向 臨 邛 去
ワカレニクサニソデヒキトメテ
オマヘコレカライヅクヘユキヤル
カヘリノオソイヲ恨ミハセヌガ
ヨシハラヘンガ気ニカカル
アサガヤだのヨシハラだのが意訳の妙に思えもして巻末解説にとぶと、井伏氏が亡父のノートを介して臼挽歌に接した云々が書かれており
そのうちに結局中途返却明日予定。
件のサヨナラは下↓である。
勧 酒 干 武 稜
勧 君 金 屈 巵
満 酌 不 須 辞
花 発 多 風 雨
人 生 足 別 離
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
────
TVでアン・セヨンが取り上げられており、怒ったり笑ったりとやたらに映る顔がヒコロヒーに、いや似てないか、河合優実とのミックスか、などどでもいことをどこかでこじつけたがる。
検索による漢字表記 安洗塋。当地ではどんなニュアンスになるのか。塋は
庭燎(にわび)をいう。庭燎をめぐらした聖所の意。墓域をいう。
のだそうで。
──── 202408170530ごろ加筆及びカテゴリー変更。
前回か、夕涼み・時・場・感ない的呟きをしたものだが先ほどほぼ生まれて初めての4時前あさんぽに出たら、若い衆(薄暗いし視線は外しているしで多分ね)がやたらいらっしゃるのであった。駅近くだけでなく都営住宅の脇とかなにもない道端とかその四、五十分のあいだに。タムロタノシゲ涼むげに。
二、三年前まで垣根の内側で野菜を売っていたおうちがのっぺらぼうになる過程にあった。その手前にある木造アパートをまだあるなと確認してからのことだったので、
以前 といってもことしだと思う 撮ったのを載せておこうと思った。よく前を通ってはいるがよく見てはいない。メゾネットタイプで隣とのあいだに階段があって、隙間から建物の裏側が見える僅ゼイタク感あり。
いや、メゾネットなら外階段はないか。ははははいまごろ~
あっつうまにお盆週間だ。さっき歩いていてそいえば 夕涼み といふことばがあったなあとふと思う。浴衣うちわ縁側。 ないなー。生きてます。まっことまあたしかに。
シアンがみずいろかゆうたらみずいろではなかろ。たださヒコロヒー出てるてんで録画してみてはじめて見たNHK短歌の最初の一首やねんですごないか? (そやからみずいろちゃうて~)
キョコロヒー見てたら大残暑見舞いとか出てきてまだ予定表出してない月だし行きやすい場所だしホイホイと抽選予約入れたらありゃもしや珍しく宿予約した日かなと確認したらどんぴしゃでありましたためそっちキャンセル。抽選てのはねくじでありましてですね
さんぽみちの某邸の工夫~。
──── どでもい思い出し加筆。
こないだTakaQでポロシャツ2枚比較検討しておりますと店員嬢、こちらはrenomaというブランドでして云々、見りゃわかるよあなたが生まれる前からrenoma知ってるのとは言わずにそれ買う。それどころではないさっきの店員嬢、本格中華味の町中華のおんなのこに、お忙しいとこごめんなさいこれなんの肉ですかとお尋ねし、「確かめてきます」。
もう忘れられたかなと思ったころにふっとあらわれて教えてくださった。
「ひきにくだそうです。」
またごたいそうなたいとる出しちゃったぞ。毎度けんしょうのけのじぐたいせいのぐのじもないいんしょう、たったいまリアルラジオ 談笑 でひっかかりすぎる
もので、いま消すね。
無音になったかといえば
ざー ー ー コロナクールサロン作動中。30年モノ?
少年漫画だ おかっぱ頭の縦長の目をした女の子の笑顔の横にエヘヘと書かれている。💬吹き出しのせりふではない。実際に笑い声があるのか、照れの象徴なのかは明示し
なくてもいいというか、そこにひっかかったりはしなかった。
今も同じだ。
漫画ではない。だれもこだわらない、というより、会話は明るく盛り上げなければならない。いつからだろう、今は定着している。
自発する笑いとせりふとしての笑い不可分ワハハウィヒヒムフフゲヘヘおほほ。号泣と称して涙ぐむ。の部類とはまた異種の。
────
デ・キリコ展を見に行ったら休館期間の初日で、窓口の女性に八つ当たり。いい迷惑、ひでえ迷惑。すぐに踵を返して上野駅公園口に一歩踏み出してから遥々帰る道を思い、思い直して灼熱のコンクリート照り返しを遥々浴びながら国博のほんのいちぶを、忘れたけどたしか一時間半ほど眺め歩いた。ほんとまことにがいじんだらけ。休館期間が明けてからそれほど見たかったわけでもないのになぜか義務感的にキリコ展へ。やっぱりがいじんだらけ。これをたぶんグローバル標準という。かい? おしゃべりは日本語人のほうが多い。池袋の考古学博物館みたいなとこも昔みたいな静寂はないのか確認しに行くことはないが。
加筆分 アレは中近東文化センターであった。池袋のほうの名称はオリエント何とかです。昔過ぎて記憶はたどれない。
もう10年単位の昔から美少年系「演出」の洪水だれがどれやらどうでもよいわたし
が すこしまえの夕刻テレビCM氷グミを見て韓国なのか日本なのかミックスなのかと検索に及んだのがまず不可思議な現象ながら
田無だ花小金井だ西東京市だとなじみの地名が並んだため(強い動機)つい西東京市図書館資料検索予約者皆無即入手。
わたしの好み系ではないおかお巻頭グラビア過多過剰。
『この本を手に取った時点で、あなたの人生の勝ちは確定したも同然です。』
すばらしい。YouTubeをまったく完璧見ない というわけではないわたしは巻末のチャンネル登録してください要請に応じた。再視聴はない気はする。
忘れない田野さん。
著者コムドットやまと氏と田野さんの共通点。
親に大肯定されまくって自信満々の変人になることができたと書かれていた。
事務服を着た田野さんは自信満々にも変人にも見えなかった。
もうみんなからかわいいかわいいって言われ続けてたから私はかわいいんだってずーっと思ってたの。じつはそうでもないんだって大人になってからわかったと笑う。
目立たず凹まず理性的で給湯室の冷蔵庫へ娘へのおっぱいを冷凍しに行く地味にスレンダーなおかっぱ「少女」。
確かな自意識に沿ってその日々をなす田野さんの印象とこの本の著者の印象とはわたしにはわけわからな度において等価であり、尊いものと思われた。
次に図書館から出てきたのが大原扁理さんの2016年刊本だった。
この本の中では親からの大肯定は見えませんでした。自己肯定をみずからフラットに(知りませんが)はぐくんだのだなまーべらす。
食べ物大切。
『自然の中を歩くって、本100冊分ぐらいの、すごい情報量があると思う。』
あまり似ては見えないワカモノおふたかたの共通御推奨は自己肯定と読書。
肯定せよ。
せよ。
そーよそよそよ日々を笑め。
────
みずいろの季節らしいです。事業所に提出する8月活動日申請の書類にメモ欄がある。たまには埋めようかと、涼しげなイラストって検索した。 まあみずいろだらけ。
けさ、ひさあしぶりに あさんぽをした。2024年初か。
わりとよく通る道の緑。なんてことないかんじ。でも、看板(?)の後ろにある樹の枝葉を看板の上下から出してるんだよねたぶん。めずらしくはないのかな?
月曜日午後3時半すぎである。あらもう4日前。利用者さんに連れられるようにコンビニへ向かう、同系列のスーパーマーケットとコンビニエンスストアのあいだの緑地の真ん中にあるベンチにあらヒコロヒーみたいなひとが。
ってヒコロヒーが 少なくとも真っ昼間こんなことせんやろしスカートはない。
みずいろ日傘のゆうわくうつくしいおみあしこぎたないパンプス。
このかたは午後4時20分わたくしたちのコンビニ再訪時にもいらした。生きている証のように体勢をかえてうつ伏せ。ひまだったら立ち去るまで見届けたい思いは、あった。
昨夜家人が好きな人間観察何とかという番組でディズニーの新しいエリアが映っていた。いまはむかしというか、アナと雪の女王のキャラは新垣結衣だ。。。ラプンツェルもモアナも。。。などという思い出しつながりで?この人を撮ったことをふと思い出したものである。
画像は旧いのを再利用。このお店(たてもの)はげんきですなう。
────
何か宙吊り感ていう ちょっとうまく言えないんだほかに言葉が見えないんだけど そういう感覚が持続してくっていうね それはあるんだけどね
あ わかりますあわかりますって僕は細野さんのレベルではわかんないけどでも、すっごいおじいさんの歯の抜けたような人のブルースギターとかが宙吊りみたいな 表現できてないんじゃないのっていうのがかっこいいっていう
かっこいいよね
ありますよね
うん
なるほど
多分あれを、誰でも出せるようにっていうのを観阿弥世阿弥が考えたんだと思うんだね
そうかー
うん
これはね その感覚 日本人取り戻さないと駄目かもね
うん駄目かもしんないですよ
うん
ほんとに。みんなが合わせるって
ほんとぜんっぜんいまおもしろくないからね
ああ ああああ。
合いすぎて。(笑)
ああ。
(笑)(笑)
ちょっと一回ね
うん
ばらけさせてもらって
はい
勝手にみんなでやれっていう
ねえ
うん
6/23日25:00-Daisy Holiday! より。
────
何か宙吊り感ていう ちょっとうまく言えないんだほかに言葉が見えないんだけど そういう感覚が持続してくっていうね それはあるんだけどね
あ わかりますあわかりますって僕は細野さんのレベルではわかんないけどでも、すっごいおじいさんの歯の抜けたような人のブルースギターとかが宙吊りみたいな 表現できてないんじゃないのっていうのがかっこいいっていう
かっこいいよね
ありますよね
うん
なるほど
多分あれを、誰でも出せるようにっていうのを観阿弥世阿弥が考えたんだと思うんだね
そうかー
うん
これはね その感覚 日本人取り戻さないと駄目かもね
うん駄目かもしんないですよ
うん
ほんとに。みんなが合わせるって
ほんとぜんっぜんいまおもしろくないからね
ああ ああああ。
合いすぎて。(笑)
ああ。
(笑)(笑)
ちょっと一回ね
うん
ばらけさせてもらって
はい
勝手にみんなでやれっていう
ねえ
うん
6/23日25:00-Daisy Holiday! より。
(写真は6月1日のみずいろチェアーズ。)
────
(「財務省が統計や政策を発表するときには、大手新聞社の論説委員クラスに手分けをし)てご説明に出かける。そして、彼らが書いた記事は集められ、財務省で『品評会』が行なわれる。評価の高い記事を書いた新聞社はその後厚遇され、記者自身も、財政制度審議会の委員に登用されることもある」
審議会でさらなる活躍を続ければ、天下り先さえ用意される場合もあるのだ。こうしたアメとムチによって、メディアも有識者もザイム真理教の軍門に下り、そしてザイム真理教の広告塔としての役割を担うことになっていくのである。
『ザイム真理教』の出版後に私が新たに始めた活動がある。それは政治家や、情報番組や報道番組に出演しているコメンテーターなどに「財務省からのご説明を受けたことがあるか」と尋ねる調査だ。
まだ、サンプルが多くないので、断定的なことは言えないのだが、驚くほどの人数が、財務省のご説明を受けたことがあると答えた。
たとえば、お笑い芸人のたかまつなな氏のところにも来ているそうだ。というよりも、現段階で財務省の官僚が来たことがないのは、私が確認した限り、私とれいわ新選組の山本太郎代表だけなのだ。財務省に対して批判的なコメントをしている荻原博子氏や須田慎一郎氏のところにも、かつて財務官僚がご説明に来たことがあるという。
私は2年間だけ経済企画庁で働いたことがある。官僚の仕事は忙しい。通常業務に加えて、国会答弁の作成や予算要求などの仕事が重なるからだ。それなのに、財務官像がこれだけ多くの布教活動をしているということは、いったい彼らはいつ本来の仕事をしているのかという疑問を惹起させる。
布教活動に大きな時間を割くのはカルト教団に共通することだ。なぜ布教に力を入れないといけないのかというと、冷静な判断にまかせていたら、信者が増えないからだ。
ザイム真理教の布教活動は、子どもたちにも及んでいる。『うんこ税金ドリル』をご存じだろうか。1000万部を突破し小学生に圧倒的な認知度を誇る『うんこドリル』シリーズと財務省主税局がコラボして制作した冊子だ。さらに第2弾としてオンラインゲーム版も登場している。
財務官僚がご説明攻撃に使っている人件費も、『うんこ税金ドリル』の制作費もすべて税金だ。国民の血税を布教活動につぎ込むくらいなら、その分減税をしたほうが国民のためになるのではないだろうか。
『書いてはいけない』森永卓郎 P.102~103
ホンの一部なら抜き書きすべきは他にありつつ、ワタシのあたまになじみやすかったトコ。
第3章にある青山透子『日航123便 墜落の新事実』の主題も失念していたあたま。
──── 20240612
ため息とも言いたくない憤掘徒労諦念感が毎日のようにしかし
「往き過ぎる」。
河野太郎の言うやりすぎ注意がトラブルを起こした医療・薬剤処方機関に向けてではなくトラブルを招く促進指示策についてであればまだマシ
というんでもない。
あとだしながら、
今は昔、石原伸晃のサイゴハカネメデショ発言が問題とされたのは政界(?)の構造を正直にいいすぎたからではないかと思っていたことを、森永の本で思い出していた。
ふと1面を思い出した。写す。
佐藤正明さんはごいんきょ新聞で初めて知った。たいていかんしんしている。さすがだとか思ったりもする。わかんないこともある。きょうのは巨人→都庁ってのに至るまでけっこうじかんがかかった。マルクスと少年マガジンを携えて歩いた佐藤氏か。「明子ねえちゃん」は、 検索しました。。。
────
(「財務省が統計や政策を発表するときには、大手新聞社の論説委員クラスに手分けをし)てご説明に出かける。そして、彼らが書いた記事は集められ、財務省で『品評会』が行なわれる。評価の高い記事を書いた新聞社はその後厚遇され、記者自身も、財政制度審議会の委員に登用されることもある」
審議会でさらなる活躍を続ければ、天下り先さえ用意される場合もあるのだ。こうしたアメとムチによって、メディアも有識者もザイム真理教の軍門に下り、そしてザイム真理教の広告塔としての役割を担うことになっていくのである。
『ザイム真理教』の出版後に私が新たに始めた活動がある。それは政治家や、情報番組や報道番組に出演しているコメンテーターなどに「財務省からのご説明を受けたことがあるか」と尋ねる調査だ。
まだ、サンプルが多くないので、断定的なことは言えないのだが、驚くほどの人数が、財務省のご説明を受けたことがあると答えた。
たとえば、お笑い芸人のたかまつなな氏のところにも来ているそうだ。というよりも、現段階で財務省の官僚が来たことがないのは、私が確認した限り、私とれいわ新選組の山本太郎代表だけなのだ。財務省に対して批判的なコメントをしている荻原博子氏や須田慎一郎氏のところにも、かつて財務官僚がご説明に来たことがあるという。
私は2年間だけ経済企画庁で働いたことがある。官僚の仕事は忙しい。通常業務に加えて、国会答弁の作成や予算要求などの仕事が重なるからだ。それなのに、財務官像がこれだけ多くの布教活動をしているということは、いったい彼らはいつ本来の仕事をしているのかという疑問を惹起させる。
布教活動に大きな時間を割くのはカルト教団に共通することだ。なぜ布教に力を入れないといけないのかというと、冷静な判断にまかせていたら、信者が増えないからだ。
ザイム真理教の布教活動は、子どもたちにも及んでいる。『うんこ税金ドリル』をご存じだろうか。1000万部を突破し小学生に圧倒的な認知度を誇る『うんこドリル』シリーズと財務省主税局がコラボして制作した冊子だ。さらに第2弾としてオンラインゲーム版も登場している。
財務官僚がご説明攻撃に使っている人件費も、『うんこ税金ドリル』の制作費もすべて税金だ。国民の血税を布教活動につぎ込むくらいなら、その分減税をしたほうが国民のためになるのではないだろうか。
『書いてはいけない』森永卓郎 P.102~103
ホンの一部なら抜き書きすべきは他にありつつ、ワタシのあたまになじみやすかったトコ。
第3章にある青山透子『日航123便 墜落の新事実』の主題も失念していたあたま。
──── 20240612
ため息とも言いたくない憤掘徒労諦念感が毎日のようにしかし
「往き過ぎる」。
河野太郎の言うやりすぎ注意がトラブルを起こした医療・薬剤処方機関に向けてではなくトラブルを招く促進指示策についてであればまだマシ
というんでもない。
あとだしながら、
今は昔、石原伸晃のサイゴハカネメデショ発言が問題とされたのは政界(?)の構造を正直にいいすぎたからではないかと思っていたことを、森永の本で思い出していた。
ふと1面を思い出した。写す。
佐藤正明さんはごいんきょ新聞で初めて知った。たいていかんしんしている。さすがだとか思ったりもする。わかんないこともある。きょうのは巨人→都庁ってのに至るまでけっこうじかんがかかった。マルクスと少年マガジンを携えて歩いた佐藤氏か。「明子ねえちゃん」は、 検索しました。。。