明菜電設。

2024-12-17 06:04:35 | ・ことばの尻尾踏み。


『電話の前に立って』 …笑 

『最後まで聴いてね、ラジオを切らないで』 …笑  

『ツイッターってなんですか?』  …笑



垣花「(電話)リクエストは立ってしてください。そうすればつながります」ミッツ「これがほんとのIT革命です」
ミッツ・マングローブが記憶の園に閉じ込めた昭和が生きている。私まで細い体躯の 年上 レジェンドをイメージしている。



ヒコロヒー認識はキョコロヒーだったかゴジム水曜日だったのかさだかではないが彼女のおかげで垣花正森永卓郎ラジコをたまに聴くようになり今回のミッツ明菜ラジコへとつながり開始からほんの数分でラジコをとめてここに参ることとなりました。



on a 『ちっちゃな電話』。


────202412201315

東田直樹さんがちらちらと掠めた。心と財に余裕がある親の存在。余裕? 余裕だって? となるとは思うがそれは措いておくばかり。

gooブログ「とにかく書いておかないと」さんの記事を見るまで情報皆無。それもちゃんと読みもしないできょうの予定を変更して『僕とパパ、約束の週末』を見に走った。
スリル、サスペンス、ホラー、サッカー、宇宙物理学だとか量子力学だとかサステナビリティだとか愛とか何だか涙洟ずるずるのロードムービー。
https://blog.goo.ne.jp/masasamm/e/75d79cffeb3aa1bbaf5a988284a71a67


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おかいもの関連 マルちゃん天ぷらそば袋入りとシルクの枕カバー。ほか

2024-12-13 13:46:21 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。

お年寄り化するにつれ蕎麦好み傾向へ。ある日、こどものころから知っているけれどあまり知らないマルちゃん天ぷらそば袋5食入りを おひとりさま 格安 手抜きランチ用としてお試し購入。

天ぷらそばと銘打つ肝の天かすと麺類決め手のスープという2つの添付小袋を 不燃ゴミとし (東洋水産さん地球さんごめんなさい)、いつものめんつゆにごま油などを加えた調味にて食しておりましたのことしも後半。

すっごくお気に召したというでもなく、切らさず買っていたというでもなく、でありながら、先月あるひあるとき、ないっ  ことに気づきました。OKストアにない、オリンピックにない、西友系数店にない、マルエツにもない、いやまあ個人エリアですけど。ネットでは買えそうですが買いません。店舗からの一斉引き上げとは?



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弱ってきた髪をわずかでもまもるために美容師さんに勧められたシルクキャップを入手したのは5年ほど前。下着の引き出しで寝ていたものを起こして近々キンキンたまに数日使用してみたといってもほぼ枕カバー的に敷くようなものなれど、今朝やはりキャップやめて枕カバー自体をシルクにしようぞと。検索するとまともそうなものはお高いお高い検索とまらず。ふと思い出す ほぼ未使用の大昔のシルクスカーフ! やたっ (ふるい) 本体無料!









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言葉は浮かばず腕時計は12時半を示しているので食事処へと思うに新宿区役所のランチってどうよと思い立ち地下への階段でみずいろがめにはいったので撮ったあと奥へ進んでメニュー前に立つとコスパ高めの定食などが並んでいるのだが、空腹どころか食欲もないことに気づいて踵を返した。

金曜日の午前中にこんなに人で溢れているとは思わなかった映画は、統合失調症以外の予備知識もなく一瞬もしくは一、二秒気が遠くなることも三度ほどありつつ結局のところタイトルが残る。どうすればよかったのか。私と年齢は近いがルックスは遠いきれいな女性が2年前に北海道で亡くなっていた。どうすればよかったのか。問えるのはあなただからであって私ではない。私はあなたでもあるのかないのか。




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余命一年、男をかう 吉川トリコ。
じつにめずらしくマンガ速読的読了間近。






202412141542 gooブログで検索してみた。→ https://blog.goo.ne.jp/ivelove/e/d51a60d92a6c6c730a61f908ce7e05e9


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似てるシリーズ。

2024-12-11 21:56:35 | ■だらだら。

ヒコロヒーの目尻強調系メイクに気をとられているとオーバーラップしてくる者がいる。


永尾柚乃。



と、あれ? 思い出した。キョコロヒーの大残暑見舞にゆの出てました。あのときはなんも思わなかったと思いつつ、なんか笑いのあれも似てる。ひねりかた? ひねかた?




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御迷惑様で御座りまする。

2024-12-07 21:40:07 | ・ことばの尻尾踏み。





「こんなにあちこちで夏中クーラーを焚いてたら、温暖化するのも当たり前だ。」 山本文緒作品の中でたちどまる。なるほどなエネルギー使ってるんだしねなどと思い直すというか感心などしながらも検索すると北海道などではふつーの言い回しなどとある。すばらしい。さらに検索すると山本氏は横浜市とか。












────

『ramenおばちゃんがゲームは辞めた方がいいと言うのはわかるんだけど
うちのきょうだい、ゲームと漫画しか共通の話題がなくて今日も』云々と書いてきたのは、会う前日。
その前に数年ぶりの電話(かかってきた)で絵の話をしている中で、ゲームの動画がLINEで送信されてきたので、それを見た。私が発言したのは、ゲームはわからないけど絵はきれいだねとのみ。
現実の誰かもしくは脳内の誰かあるいは自身からいつもゲームはやめたほうがいいんじゃない?と言われているのか。もしれない。






『ramenおばちゃんて割と冷笑系だよね(マジウケる)
まあ私もそうだけど』

『ramenおばちゃん
私と一緒に出かけたことにお疲れ様とか言わなくていいよ
私はramenおばちゃんと行きたかったのにお疲れ様とか言われたら仕事で義務感で出かけたみたいじゃん
遊びに行って楽しんで疲れたことに対してお疲れ様はお互い失礼だと思う
ramenおばちゃんにとっては義務感だとしてもわざわざ言わなくていいよ』

『あとパパをコンサートに連れてくとき休職の中、給料やりくりして薬飲みながらパパを東京の会場まで連れて帰って来るのにどんだけ苦労したか
それを親孝行なんて自己満だよねみたいなニュアンスの事言われて気分いいと思う?
相手の気持ち考えて発言した方がいいと思う』

『言い過ぎた
ごめん
これからは気をつける』


自分としては120%というのかもはや必死に自然な態度で言葉も選びぬいてどうにか平和に閉じたイチョウ眩しい上野、当日夜。翌日。そのまた翌日。こころおれるとはこれか。おつかれさまは確かに言った。それへの反応だけでぼおぜんだった。パパ同伴の詳細は聞きもしなかった。『言い過ぎ』が『ごめん』? 多寡ではない。
冷笑も義務感も自己満もツクラセタのは私か?
たぶんこれまでもひととのかかわりの中で繰り返してきたのであろうどれだけの反芻煩悶を経てのその発言(LINEだけどね)かと、20年越しの当人の苦しみに馳せ得ぬ思いを向けつつなるもこころおちつくに丸一週間かかりけり。







既に退職していると思い込んだことも一度ではない。本人にも親にも聞きづらい。よくぞはたらき続けてきたと、そう、讃えるしかないのだ。しかない、というか、私自身として讃えている。居続けることを讃えはするがそこでなにをしているのかしてきたのか。聞けない。いや、ムカシ尋ねたと思う。その答えは私にとっては答えではなく、以後聞けない話となった。

最初の電話でかなりことばを交わして解決にほぼ近づいた障害者手帳の話は、会ったときにはゼロとなっており、息がとまる。ひじょーにじゅーよーな案件と捉える私が意を決して蒸し返すと、『私に罪はないのに納得できない』。
シャットダウン。
罪?
罪?
なに?つみ?
罪の話ではない。苦しみの話だ。
シャットアウト。
そんな日の夜からの三夜連続LINE。自分のための記録。ゴメーワクサマデゴザイマス。





────

ご迷惑さまでございます

おかしな日本語としてたくさん質問がされております。ほおおお、なるほどねえ! さういふものであらう。








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先日どこかでどなたかが。    / 加筆急募

2024-11-02 21:37:13 | ・ことばの尻尾踏み。

ココでの
ヒコロヒー初出は本年2月
ヒロコは2005年10月
らりるれろなら2006年9月
めったに見ないYouTubeでヒコロヒーを検索したらさまぁーずに向かってナンシー関の再来とか何とか言われてるとか言っててかなりひーた。逆に畏敬返しのネタかと弁護するもいまだまさかと思いつつ大残暑見舞いリベンジの草月ホールでまさかの出囃子move overに心躍らせ下降線まさかの次よ上野飛行船。







羽前みずいろ車両で金沢、長崎、高松を経て左沢Uターン。これをみずいろとは西武ドラえもんカラー系。

ICカードは使えないと聞いた時点で出札の時間はない。終点駅窓口にても支払えず山形駅でと車掌氏宣う。乗車駅証明書発行は客各自自発。おーい性善説。。。









先日gooブログ内のどなたかが書かれていた日本人の英語ローマ字読みの弊害を拝読、たまたま符合か、別の先日 radikoで聴いていたどこかの番組で英語翻訳者か何かのかたが仰るに、子音を重ねて表記する箇所はローマ字読みの癖で促音にしがち。じつは正反対、「っ」を入れちゃいけませんてこととのこと。例は忘却。
少しずれるが直近のウイークエンドサンシャインで取り上げられたジョウニ・ミチェル。私が知っている名前はジョニー・ミッチェル。私が知る単語ブルースをブルーズとするのに私が最近触れたのはバラカン氏のほかに村上春樹訳のスタン・ゲッツ本。
ネイティブの発音に近い和語表記へと、表現しやすいヒトから少しずつ変えられていっているのでせう。。。。 むかしの先日、最初期の和英辞典?で赤がウレとされていてなるほどと思ったことを思い出した。エナジーは定着しませんでしたねえってのも思い出したけどこれはちょっと違うか。
(NHKエンジョイシンプルイングリッシュをラジオで聴いてもさっぱりわからず文字追いだけならネイティブ読みもローマ字読みもおんなしな私。)








202411031435。日曜版の漢字クイズをほぼ毎週やってます。初 愕然。吃驚した。きゅうぼうとよまないなんて。検索してみた。結果↓ 。

ゼロ氏の認識はいずこから? あーそかもともときゅうぼと知ってのうえでの頭きゅうぼうなのか。ほんとか?


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さいきんのみずいろ。

2024-10-13 13:38:46 | memo。




千葉市美術館で見損ねた田中一村を見に出掛けた。ドキュメンタリー番組で見た被搾取ソテツ食と元ちとせと亡きマエダヒロミと一村。私は奄美大島に行けるだろうか。




   コビペ ↓





そのすこしまえにツチキリという店に行ってみた。行ったことのない山本有三記念館の前を通ってずうっと歩いていくと現役らしきお米屋さん。みずいろはプラッシーの看板。
「ひらやらぶ」で出したいけれど、ご主人に挨拶して撮ったらなにもきけずそそくさ去る。






ちいさなおみせでちいさな買い物をしての帰り、井の頭公園の弁財天へ。






けさの日曜版 どんぐりを産むとち。みずいろきえてゆくの










──── 202410222144

このかたのみずどりの写真 そのみずも
https://blog.goo.ne.jp/dragon7288/e/9d15e0b6956591dd4c884ce26e9bf4ca

ほかのみずどりの写真 モネとか。





──── 202410230655
こいはみずいろ

かんちがいをかいたらしいので ごごにけしました。




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(草枕とグールド)東京新聞コピペ。  加筆

2024-09-26 08:08:35 | ・おもに音楽。
『草枕』に惚れ込んだグールド 
 「呑気と見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする」・・・。『吾輩は猫である』でこのくだりがくるといつも、かすかに胸が疼くようだ。夏目漱石には、「音」に対する独特のセンスがあるように思う。
 漱石の音楽会体験は、1893年暮れのピアノ独演会に始まる。その後も、ヴァイオリンをたしなむ寺田寅彦とともに度々音楽会に赴いている。1900年、漱石は国費留学でイギリスに渡る。ロンドンでの興味のベクトルは美術や科学に向いたようだが、話題の音楽会には足を運ぶこともあった。そんな漱石の経験は、『野分』『三四郎』『それから』をはじめとする数々の小説の中に生きている。
 初期の代表作『草枕』は、視覚、聴覚、思想などの要素が複雑にからみあう、20世紀文学における傑作の一つでもある。「非人情」を描き、東西の文明批評や芸術論も含まれるこの小説に惚れ込んだのが、カナダ出身の伝説的ピアニスト、グレン・グールドだ。
 グールドが『草枕』に出会ったのは30代半ば、67年のこと。その後長きにわたり読み込み、またその他の漱石作品も手元に置いた。81年、彼は『草枕』からの抜粋をラジオで朗読する。そして、あの《ゴールドベルク変奏曲》を再録音したのもこの年である。センセ ーショナルなデビュー盤となった同曲の初録音(55年)に対する自己批判として、別のスタイルをとった演奏だが、おそらく漱石の彫響も経て生まれたものだろう。
 グールドは、生の素材で構成し、コラージュするラジオ・ドキュメンタリーを制作しており、それを「草枕」でもやろうとしていた。彼はそのアイデアについて、「タリスの声によるモテットのラジオ版とでもいうべきもの」と語っている。グールドの視点と聴覚的着想による新しい『草枕』はしかし、実現しなかった。80年、グールドは50歳の若さで急逝。その枕元には、たくさんの書き込みがなされた『草枕』が置かれていたという。グールドの音楽観とも響き合う「美を生命とする俳句的小説」は、彼を通してさらに世界に広まったと言えるのかもしれない。
(しもやま・しずか=ピアニスト、執筆家)
*次回は10月10日に掲載予定。




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6月にあーもー半年終わったとかやたら言うのめっちゃやだ的にヒコロヒーさん言ってたってのは私の記憶違いなのかおなじらじおであーもー夏終わるだのもー10月だのおっしゃっちゃってる。記憶違いでも違わなくてもまーいーんだけどといーつつ  書くなよ。だな。いや なんにせよほんまに。




男児殺害と軍拡意向の報道強度が近い。
母ひとりと億万の慟哭は異次元のなぞ。

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月4回、利用料を払わないおそうじ利用をさせていただいている施設の事務所があるビルの裏口に絵画が展示されている。わけではない。なにかのあとだろうけれど。










──── 20241001
『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』の中でグールドは数度あらわれる。草枕ほかとの糸も。
坂本龍一の音楽を集中して聴いた記憶はない。本はクロニクルでもあり発達のかたちを見せるようでもある。天才遊び人一択だった(無知による)印象が軽やかに弾け、そこに現われるあからさまな少年老師。



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自称 カナリア。 23/08/04 〈NHK / Ryuichi Sakamoto : CODA 〉松岡正剛





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りょうらん。など

2024-09-20 15:48:55 | ■おもに美術。
写真 :見開き右 構成 高平哲郎 コラージュ 田名網敬一
田名網敬一展は私 には みうらじゅん展と並ぶものでした。展示の最後に田名網さんが先月逝かれたことが書かれておりびっくりしました。みうらさん長生きしてください。



────

メールアドレスがGmailだけになってしまい、過去の保存メールが消えたのみならず、Gmailの利用方法を学ぼうともしないので新たに近過去メールやらブログ下書きやらが消える(消す)こと継続中。

中過去譚。 家人が出店機種変のかわいこ勧誘に乗り私はプロバイダを変えたくなかったがメールはそのまま使えるとの力説に家人はより乗じるしメールさえそのままならOKと使い始めようとしたら消え果てて使えなくなっていた。消えたのは保存メールだけではない。訴訟モノだとは思うが泣き寝入りするもせぬもてめえがあほな。        




近日朝ある一区画道端にて同方向。













────

たぶん20年以上前当時リアルで会う人のマイミク紹介欄にこのひと(ramen)は日本一自己評価が低いと書かれており私は低自己評価日本一はすなはち世界一じゃろと胸を張って彼女に会ったときに挙げる話題でもなかった。


少し前に読んだ対談の終わりがけのあたりに「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」が引かれていた。まったくであろう。対談内でのレベルとはかけ離れたところで聞けない私を私は少なくとも中二のころに自覚しつつ凌駕する読むも知らぬまま恥じ入るもない自覚のみ。




かけ離れているのは知れたことだがなぜかおもしろい。おもしろいのはわからないからではなくわからなくてもおもしろい。
百花繚乱万科端然。ツーカーはときにその発言者を取り違えさせることもある。その対談の場にはからだが2つただあるだけなのだろう。

「日本」を問答するということは、どんな「日本」と「世界」を同時代的に生きていくのかということと深く関係しますからね とp.308時点で言われても読み重ねても感得不可な。
殆ど全くわからない『日本問答』のお二人のおきがるツーカーな文字をそのまま追うのは殊に前半しんどい ものを追い終えた。

あとがきのラスト、「このまれな輝きを放つ場を、私たちは命尽きるまで、あとどれだけもてるのだろうか?」に、わからない者の涙腺が揺れる。





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(○おお ❌だい 。)

2024-09-07 06:33:35 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。











特定の他者への執拗な嫌悪感とは希死念慮の一変形か。
















──── (202409150808)











タイトル 大、


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現地に行ったことがある。

2024-08-30 18:14:00 | ■だらだら。
ベンチがみずいろだったのですね。

キョコロヒーだいざんしょを見た(未来)ころ つまり当選した には何か書けるかなと思っていたら、ふとヒヤシンスハウスのことを思い出し、書ける。というのは、検索したらなんとgooブログがヒットしたといふ故。

タイトルも同じ気がするがしかしどうも様子が違う気にさせる様子だ。若いニオイがする。昔読んでいたものはお仕着せブログ形式ではなかったし、2000人以上の読者のために継続しているといったニュアンスの80代知的女性と思い込んでいたからそこからいくと今は超100歳となる。似たようなものは限りないのだね。大友良英がマツナガセイゴウと言ったのを松岡正剛の間違いかと思って検索したころに松岡氏は逝去していたようだ。うちは比叡おろしですねんとつい歌う。

勢古浩爾というひとが著書の中で「ところが、じいさんになれてうれしい、という人がいる。」と高木護というひとを紹介する。勢古さんは高木さんがとしをとるのがうれしいと言っていると言っている。私は高木さんの本を読みもしないで私は高木さんはじいさんになるまで生きられてうれしいと思ったのだと思った。としをとるのはいきてるしょうこ。









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