今昔格差男子女子。

2007-03-21 13:16:18 | ■だらだら。
高岡(仮名)は、会社を興した。まずは、友達や同業者と助け合いながら、それから若い女子を入れて、数少ない男子に女子を管理させた。

田舎の富豪の娘で、突出して賢く、また常に本を読んでいる子でもあった。入学を許可する大学はいくらでもあったが、実務を選んだ。

仕事柄もあって、クライアントの多くが名の通った大学を出た男子を擁する。

自分と同じように実務を選択した女子を営業に同行させるときは短大卒と詐称した。四大としたかったし実際その女子たちはその辺の四大卒より賢いとも言えたが、大きな売りである年齢は動かせない。

複数の女子がこの会社で自信を失ったのは、その点であった。僅少なりとも自分というものを構成する一つ。あえて実務を選択したことへのプライド。

それは高岡社長個人の体験に拠る。
そうやって会社は大きくなっていった。

学歴というものは高いほうがよい。
労働組合をつくったら最後だ。
女は若く美人に限る。
女は安く使える。
女は離婚したら倍働くし子持ちならなおコストパフォーマンスは高い。

高岡は離婚しており、子どももいた。


正社員の女子が結婚すると、希望退職優遇制度もなく寿退社の名で解雇され、委託者として会社を支えさせた。新しく会社を興してクライアントごとさらってゆく者は僅かだ。


学歴を問わず安く使える女子枠に、男子が「進出」するようになってきた。
名の通った大学から、男子が、来た。

学歴を問わず男子が結婚すると、一生妻子を養わせる責任を感じる高岡は、賢い男子を可能な範囲でより優遇し、腰を押しつけたと安心したころに逃げられることが多かったというのは蛇足である。


例え話に普遍性はないが、多くの女子枠に男子が進出するようになってきた。
女子が男子枠に進出するようになったことは理由の一部でしかなかろうというのは、印象にすぎないか。
女子の中にあった格差が男子の中にもあらわれてきた。
今の格差社会の構図の複数角にわたりそれは色を滲ませるのではないか。

──────

地元のフリーペーパーの編集長のコラムは結構読ませる。
きょうの話題は、犬の世話だ。 あれ? ちがうかな。

子らが独立して、妻と旅行にでも行きたいと思っているが、
妻が溺愛している犬の世話をする者がいない。


預ければいいじゃないかと思いつつ読み進むと、そういうンではない。


妻は娘と旅行したいのだ。
妻が大好きな犬の世話は、編集長がすればいいのである、と編集長は結ぶ。
編集長の思いは編集長の心の外には存在しない。

数日前、テレビで、仲よし母子を次々と映していた。
非常に肯定的な報じ方だった。
離婚した母子かと思うと、どうも違うようである。

女同士、何でも話せる親友でもあるし、
娘一人ではできない高めの買い物、高めの旅行。

最近の成人式の話をきのう耳にした。
最近は昔に比べて女子の振袖の割合が格段にふえたそうだ。
男子の羽織袴もふえたかと思われるが、言及はなかった。

割合だからといって、振袖を着ない女子の出席率が低いということでもないだろう。



数年前、市にボランティア登録をしたとき(数年で解除)、話にはよく聞いていたが、外で働かなくても豊かな生活をしている中年女性がこんなにも多くいるということに驚いた。もちろん田舎にもいるが、東京だから、というのは、東京には宮仕え男子がいかに多いかということだ。


そういう存在は、日本の文化及び末端自治体の社会を維持発展させるに今や不可欠だから、エグゼクティブリーマンはつまり不可欠ということか。



格差があって結婚できないという。
昔から格差はあったし、
8万ずつでも2人合わせれば16万だが、
じゃあこんなときはどうする、あんなときはどうするという問題があるので、

という以前に、
そういう発想は、特に報道エリートおよび被報道エリート側にはないだろう。



コメント
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