「こんなにあちこちで夏中クーラーを焚いてたら、温暖化するのも当たり前だ。」 山本文緒作品の中でたちどまる。なるほどなエネルギー使ってるんだしねなどと思い直すというか感心などしながらも検索すると北海道などではふつーの言い回しなどとある。すばらしい。さらに検索すると山本氏は横浜市とか。
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『ramenおばちゃんがゲームは辞めた方がいいと言うのはわかるんだけど
うちのきょうだい、ゲームと漫画しか共通の話題がなくて今日も』云々と書いてきたのは、会う前日。
その前に数年ぶりの電話(かかってきた)で絵の話をしている中で、ゲームの動画がLINEで送信されてきたので、それを見た。私が発言したのは、ゲームはわからないけど絵はきれいだねとのみ。
現実の誰かもしくは脳内の誰かあるいは自身からいつもゲームはやめたほうがいいんじゃない?と言われているのか。もしれない。
『ramenおばちゃんて割と冷笑系だよね(マジウケる)
まあ私もそうだけど』
『ramenおばちゃん
私と一緒に出かけたことにお疲れ様とか言わなくていいよ
私はramenおばちゃんと行きたかったのにお疲れ様とか言われたら仕事で義務感で出かけたみたいじゃん
遊びに行って楽しんで疲れたことに対してお疲れ様はお互い失礼だと思う
ramenおばちゃんにとっては義務感だとしてもわざわざ言わなくていいよ』
『あとパパをコンサートに連れてくとき休職の中、給料やりくりして薬飲みながらパパを東京の会場まで連れて帰って来るのにどんだけ苦労したか
それを親孝行なんて自己満だよねみたいなニュアンスの事言われて気分いいと思う?
相手の気持ち考えて発言した方がいいと思う』
『言い過ぎた
ごめん
これからは気をつける』
自分としては120%というのかもはや必死に自然な態度で言葉も選びぬいてどうにか平和に閉じたイチョウ眩しい上野、当日夜。翌日。そのまた翌日。こころおれるとはこれか。おつかれさまは確かに言った。それへの反応だけでぼおぜんだった。パパ同伴の詳細は聞きもしなかった。『言い過ぎ』が『ごめん』? 多寡ではない。
冷笑も義務感も自己満もツクラセタのは私か?
たぶんこれまでもひととのかかわりの中で繰り返してきたのであろうどれだけの反芻煩悶を経てのその発言(LINEだけどね)かと、20年越しの当人の苦しみに馳せ得ぬ思いを向けつつなるもこころおちつくに丸一週間かかりけり。
既に退職していると思い込んだことも一度ではない。本人にも親にも聞きづらい。よくぞはたらき続けてきたと、そう、讃えるしかないのだ。しかない、というか、私自身として讃えている。居続けることを讃えはするがそこでなにをしているのかしてきたのか。聞けない。いや、ムカシ尋ねたと思う。その答えは私にとっては答えではなく、以後聞けない話となった。
最初の電話でかなりことばを交わして解決にほぼ近づいた障害者手帳の話は、会ったときにはゼロとなっており、息がとまる。ひじょーにじゅーよーな案件と捉える私が意を決して蒸し返すと、『私に罪はないのに納得できない』。
シャットダウン。
罪?
罪?
なに?つみ?
罪の話ではない。苦しみの話だ。
シャットアウト。
そんな日の夜からの三夜連続LINE。自分のための記録。ゴメーワクサマデゴザイマス。
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ご迷惑さまでございます
おかしな日本語としてたくさん質問がされております。ほおおお、なるほどねえ! さういふものであらう。