基本的に恋愛に縁はない人間も、恋をしなくなったら人間終わりだという科白を年じゅう見聞きしながら、生きている。
とっつきにくいひとの噂をするとき、誰かが必ず、ああいう人が実はすごく優しいもんなんだと言う。誰も言わないときは、私が言ってみる。
情の薄い私は、つまり事に疎いがために他人に愛想笑いをし、泣いているひとを見たときだけでなく、大活躍しているひとに勝手にその痛みを見出しては自分の力のなさを悲しむ。
力というのは馬鹿の存在証明のためにあるわけではないから、馬鹿には与えられない。
自分がおそらく情の薄い人間であろうと、相対的にではなく思ったのは近年のことだが、初恋の味はカルピスの味、みたいなことも、そういえば、ないなあと思う。
サル間くんはどんなおじさんになっているのだろう、から、ダンシの名前を羅列してみながら、情の話と初恋の話は無関係ではないと思う。にじゅうしのときのあれがそれかなあ。
ほんとうに情が篤いひとは、自立しているがために余計な世話というものを身が解しているのかもしれない。
火事場の馬鹿力というものは誰もが持ち得るだろうが、それは物理的なもので、精神的、情緒的なことに関しては、いざというときに底力を発揮するのは、平時にはひとのことには冷たいぐらいの人かもしれないと思う。
自分以外のひとは自分で生きるみちを見つける。
言いたくてたまらないが、
それは大きなお世話ってもんでしょうかとヨダさんに尋ねると、
大きくうなずいて、
ひとは強制と支配を拒むものよ、と言う。