そりゃねんじゅうきみのきにいらないだろうけれど
きみはかみさまなの?
とりあえず志賀原発になにかあったらっておもうと
きゅうしにいっしょうをえたようなきぶんだな
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鍼灸師は私に応じる。身近に苦しむひとがいなければ、わからないでしょうねえ。
私は以前あまりにもやさしい人にもわかってもらいづらいことを知った。わかるわからないというのは赦す許さないという話ではない。
ちがうことへの「へえ」「ほう」「うん」だ。
日本で生まれ育てば畳の上に土足で上がってはいけないことを知るは十二分だ。気づくとみずからの足の裏が既に土足だったなら、畳の上でしかできぬ用であれば、可能な限りの清拭のうえであることは勿論のことである。
脱がないなんてそんな! ただ脱げばいいだけよ、脱いだからといって完全なる足の指を見せなくてもいいのよ、私だって脱げるんだからあなたも脱げないはずはない、と、じつに優しく言うのは、そろって思いやりの深いひとたちだ。
道徳が教科書になるという。きれいに拭いてあればそれでいいと言ってくださる人はもともと稀であるが、その稀を言うこと思うことが糾弾される危惧。