読まない本。

2009-10-07 08:15:06 | 自ら援くる者以外はその在るを神も認めず。
今朝の東京新聞「運勢」は「ね年 誇りもなく後悔もない。ただ信道を歩むのみ」で始まる。信道如何は別として、あえて誇りと後悔をなしとせよと云うほど人はそこにとらわれるか。

酒井順子は、鎌田慧が畠山鈴香を扱う著書に寄せて、『一人の犯罪者を「特殊な鬼畜」にしてしまうことによって、その背後で、ぎりぎりのところで罪を犯さずにいる人たちは、かえって見えなくなってしまうのではないか』と書く。

今は昔と違って自由だと言われる。それは私が子供のころから既に言われていた。夢を持てと成功者は云う。選択肢や可能性は原則無限である。罪を犯さぬぎりぎりとは何かという問いと、誇りや後悔とは何かとのそれはごく近い気がする。

昨日の夕刊だったか、佐藤愛子が最近は殺人鬼にも悪人顔がはなくなったのは良心の呵責の加減か、というようなことを書いていたのを思い出した。それはまた別の話。 か。

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