筆洗がお書きあそばすラスト。少子化と「少・母親」化。
母の日だから事実をそう書く。子があっての母、子にとっての母という冒頭とその結末との乖離に思いが及ばない筆洗ミソジニーか。
子育て眼前日々刻々。子がない者同士としてABさんとその妻に、あり得ない期待を彼が死ぬまでいだき続けていた。そしてまたアタリマエの、子を持つトップが立つ。じつに不思議でならないのだ。母と娘を含む子を苦しめるのが政治なのか。
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母の日だから事実をそう書く。子があっての母、子にとっての母という冒頭とその結末との乖離に思いが及ばない筆洗ミソジニーか。
子育て眼前日々刻々。子がない者同士としてABさんとその妻に、あり得ない期待を彼が死ぬまでいだき続けていた。そしてまたアタリマエの、子を持つトップが立つ。じつに不思議でならないのだ。母と娘を含む子を苦しめるのが政治なのか。
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