続き。(なんの?)

2010-04-28 20:11:50 | ■だらだら。
こんなんもあんなんもできる。それを人は愛と呼ぶのでしょうか。ルリ子言ってません。こんなんもあんなんもできるそのゴージャスさではなく、それが素材であり背景であり必然であるという意味でのゴージャスさに人は愛を抱くのではないか。


二、三日前かテレビのくだらなさへの批判への反論として業界著名人がカブキ、傾きをこの時代に準えて肯定する記事を見てどうも腑に落ちなかったことを、今ふと思い出して落ちる。歌舞伎は昔も出かけて見たのではなかったか。舞台はハレ、テレビは一般にはケだろう。ハレの場であればこそクダラナイことがありがたいと、みうらじゅんがとんまつりという本で述べている、かどうか、いずれ読んで判明させたいと希望している。


BS録画の「山椒大夫」を、影絵のような、と思って見ていた。あとから聞いた香川京子のナレーションでは、墨絵のような、と言っていた。「雨月物語」「祇園の姉妹」ときて、社会派という思いがけぬ印象を監督に持ち、これも少し身構えて見たのだが、それやストーリーよりも、相対する人間双方への物理的な光と影、ここにしかない風景とアングル、端役にも品をおぼえる様式美のようなものに見入ることになった。ヴィスコンティーを思った。

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