2日目
※行程の中で一部を省略していますが略部分は別途アップ予定です。
長野からバスで松代へ。松代を一回りした後、再びバスに乗ります。千曲川に架かる松代大橋を渡ってすぐに降ります。
「典厩寺」武田信玄の弟で八幡原の戦いで討死した武田信繁、通称典厩(古典厩とも)の墓があります。もともと鶴巣寺といわれていたこの寺は松代藩主真田信之によって「典厩寺」と改められたそう。
兄信玄を支える副大将として武田家の中枢を担った彼の死を誰もが惜しんだそうです。信玄の近習であった武藤喜兵衛は典厩の武勇と人望にあやかって次男を信繁と名付けた。真田信繁(幸村)その人です。
「閻魔大王」日本一の大きさだそうです。ほんとにデカかったです。
寺には川中島合戦記念館があり信繁や武田氏関係の資料が展示してありました。
次は八幡原史跡公園です。
ここは武田信玄と上杉謙信が戦った川中島の戦いの際信玄の本陣があったところだそうです。観光客の数がハンパないです。
「信玄・謙信一騎討ちの像」実際に一騎討ちが有ったかは疑問ですが「有った」ほうがロマンがありますよね。
「上杉謙信」愛馬「放生月毛」にまたがり名刀「小豆長光」で信玄を三度切りつける。
「武田信玄」床几に腰掛け軍配で受ける。
園内には長野市立博物館があり、川中島の戦いが詳しく分かります。一番良かった展示物は何故かあった「長篠合戦図屏風」でした。真田信綱・昌輝兄弟討死が描かれてます。2人の死によって三男だった武藤喜兵衛、後の真田昌幸が真田家の家督を継ぐことになる因縁の戦い。更には武田家滅亡の始まりの戦いです。ってここ川中島だよね???
公園を後に千曲川沿いの堤防を北へ、更埴橋を渡り対岸の堤防を南下します。
「山本勘助の墓」第四次川中島の戦いで討死した勘助の墓。来るまではひっそりとした所かと思っていましたが、お店があったりして結構な観光地となってます。テレビの影響って凄いですね。
もう一箇所廻って、長野電鉄金井山駅で電車に乗り屋代へ。そこからしなの鉄道に乗り換え上田を目指します。
3日目に続く。
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