大身槍 名物「日本号」
天下三名槍のひとつ。
関ヶ原戦陣図屏風(左隻)
黒田家家臣連署起請文
天正六年(1578)十一月五日付。荒木村重により主君である黒田官兵衛が有岡城に幽閉された際に、家臣たちが官兵衛の妻に対して一致団結して難局を乗り切る事を誓った起請文で、母里友信や栗山泰重(利安)等12名が名を連ねている。
本書は「八幡宮/牛玉/宝印」と版刷りされた石清水八幡宮の牛玉宝印の裏面に書かれており、神仏に誓いを立てる内容となっている。
足利直冬裏書安堵
貞和六年(1350)十月廿八日付。足利直冬の陣営に参じた宝珠山種永は所領の保護を直冬に申請し、直冬は提出された申状(右側)の裏側(左側)に花押をすえて承認した。元は両面であったものを現在は2枚に剥いで表装している。
足利直冬は足利尊氏の庶子で尊氏の弟・直義の養子となった人物。観応の擾乱では九州に下向し大きな勢力を形成した。この文書はその時期のものに当たる。
大友宗麟感状
元亀元年(1570)四月廿八日付、田尻鑑種宛。佐賀表古瀬原口合戦での働きを賞したもの。当時大友宗麟は龍造寺隆信の佐嘉城を攻めており、父・田尻親種は5月の戦で重傷を負い、翌月亡くなっている。
藤巴前立三十二間筋兜・逆胴重薄茶威具足
福岡藩九代藩主・黒田斉隆所用
最近の「探訪」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事