
矢島御所
永禄8年(1565)、室町幕府13代将軍・足利義輝が二条御所を襲撃され殺害されると、義輝の弟である一条院覚慶は大和の興福寺を脱出、近江六角氏を頼って矢島少林寺に入り、用意された矢島御所に滞在した。。翌年2月、ここで覚慶は還俗して足利義秋(後に義昭)と名乗り、幕府の再興を目指して行くことになります。

矢島御所は現在の自治会館あたりにあったと推定されている。

少林寺
足利義昭が一時滞在したとされる。

足利庭園
「足利」と付くので義昭ゆかりの場所なのでしょうか。また

一休禅師御遺跡
一休宗純ゆかりの場所でもあります。

一休和尚お手植えの銀木犀

一休が雷を閉じ込めたといわれる古井戸
矢島は小さな集落ですが一休宗純と足利義昭。歴史に名を遺す2人のゆかりの地、侮れません。
次回も守山から