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大庄屋諏訪家屋敷
諏訪家がある赤野井村は元和9年(1623)に成立した淀藩の近江国内飛び地領地で、諏訪家は大庄屋をつとめた家柄。
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書院と主屋
江戸時代後期の建築で、主屋には接客用の部屋が無く、別棟で客を迎える書院を用意している。
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書院の式台玄関
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枯山水庭園
書院の奥座敷から眺められる庭園。小堀遠州作と伝えますが・・・・
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茶室
明治7年に大津の円満院より買受け移築したもので、鬼瓦の刻銘より元禄12年(1699)の建立が明らかなのだとか。
諏訪家では「臨川書屋」「臨川書室」と呼んでおり茶屋、茶亭と呼んだ方がしっくりくるかも。
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水門は釈迦堂川に繋がっており、その先は琵琶湖に通じる。舟から上がりそのまま席入り出来る仕組み。
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内部は上段之間二畳と点前之間四畳(他に玄関之間と控之間がある)で、上段之間には縁が廻る。
円満院は歴代皇族の入室する門跡寺院であったので、茶室も瀟洒な造りとなっています。
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床
上段之間にある半畳で浅めの床。床脇には違棚と地袋がある。
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点前之間にある棚
草花の描かれた障壁画。
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上段之間は網代天井で、欄間には菊の模様があしらわれている。
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釘隠しにも菊が
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つぼつぼの引手
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点前之間にある別の棚。こちらには近江八景の和歌短冊が貼ってある。
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水屋
円満院は明治天皇も休息したこの茶室を売ったことを後悔したのか明治44年になって、茶室の返却を求めてきたが結局返却は叶わなかった。