SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

2202 佐川田喜六昌俊墓と黙々寺跡

一休寺のほど近く。

佐川田喜六昌俊墓へ向かいます

佐川田喜六昌俊は下野国の出身。越後上杉氏の家臣・木戸元斎の養子となった。後に徳川家の家臣・永井直勝に仕え、直勝の嫡男・尚政の時代には家老を務めた。


佐川田喜六昌俊と一族の墓
昌俊と昌俊以降の佐川田家一族の墓石9基が並ぶ。

佐川田昌俊草創黙々寺旧跡
寛永15年(1638)隠居した昌俊は一休寺の傍らに庵「不二山黙々寺」を建て晩年を過ごした。
寛永20年(1643)死去。65歳の生涯をこの地で終えている。

佐川田喜六昌俊墓
自然石に「是什麼」(これいかに)とのみ刻まれた墓石。

佐河田壺斎黙黙叟碑銘
昌俊の親友であった石川丈山が昌俊の子・俊甫に勧めて林羅山による撰文を刻ませた顕彰碑。

佐川田昌俊は関ケ原、大坂の陣、島原の乱に参戦した武将ですが、養父・木戸元斎より和歌・連歌を学んでおり里村紹巴や細川幽斎らと同座し連歌を巻いている。
また小堀遠州や松花堂昭乗、木下長嘯子、江月、沢庵達との親交は所謂「寛永文化サロン」と呼ばれ佐川田昌俊もその一角を占めていた事が知られている。
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