興昌寺
弘法大師が開いたとされ、かつては真言密教の道場であったとも。
宗鑑の句碑
連歌師・山崎宗鑑の句碑「「貸し夜着の袖をや霜に橋姫御」」とあり宗鑑の短冊を拡大模写し牌に刻んでいる。
山崎宗鑑は近江の出身。室町幕府9代将軍・足利義尚に仕え、義尚が鈎の陣で没すると出家し宗鑑と名乗った。
一休宗純に参禅、また宗祇・宗長等と交流があり、俳諧の祖と称された。また能書家としても知られる。
享禄元年(1528)、この興昌寺近くに庵を結んだ。その庵が
一夜庵
庵名は宗鑑の短冊「上は立ち 中は日ぐらし 下は夜まで 一夜泊りは 下々の下の客」より。
主室
七畳。三方に縁が廻る開放的な部屋となっている。
床
下座床で、上部に釣棚を設けている。床柱は杉で、創建時が今も残る。
点前座
六畳から出張った所にあり、当時なら茶立所とでも呼ぶべきか。
座敷
主室の奥にある四畳半。床と押入さらに念持仏薬師もあり、宗鑑の私室であったのだろう。
座敷にも縁がある。奥には土間が、手前には水屋がある。
宗鑑法師之塔
宗鑑は天文23年(1554)10月2日この一夜庵で没した。
一夜庵は日本最古の俳跡で、また形式化していき茶室と呼ばれる以前の数寄屋として非常に貴重な建築。
今回の数寄巡の最期に相応しい所となりました。
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