愛知県は刈谷
刈谷城
徳川家康の生母である於大の方の父・水野忠政が築城
現在遺構はほとんど無く、本丸と二の丸の一部が亀城公園となっています。
今回はこの刈谷城ゆかりの人物の展示
刈谷市歴史博物館
初代刈谷藩主 水野勝成展 ~「鬼日向」のいくさとまちづくり~
期間:3月24日(日)~5月19日(日)
水野勝成所用 総髪兜
頭形兜の上に馬毛とみられる糟毛を植えたもの。
慶長五年(1600)関ケ原の戦いに際し戦勝祈願のため野田八幡宮に奉納した。
水野勝成所用 裏永楽銭紋黒熊毛二枚胴具足
賢忠寺蔵。兜は黒熊毛植え烏帽子形で鹿角の脇立、更に打ち出し製の耳まで備える。
水野勝成が寛永十五年(1637)島原・天草一揆の際に着用したと伝わる。
宮本武蔵奥伝
慶長十三年(1608)十二月付、武蔵より水野勝成に宛てて剣術の奥義を記したもの。
これより後、慶長二十年(1615)大坂夏の陣で武蔵は水野勝成の嫡男・勝俊附きとして参戦している(大坂御陣御人数付覚)。
的
慶安三年(1650)水野勝成が87歳の時に36m先から銃撃にて打ち抜いたとされる的。
勝成は翌、慶安四年(1651)に亡くなっている。
水野勝成は徳川家に仕え、天正七年(1579)高天神城攻めを初陣に、寛永十五年(1638)島原・天草一揆まで出陣したまさに戦国の生き残り。その間には徳川家を放れ様々な大名に仕え、また流浪しているため謎の多い部分もある。徳川家家臣の中では面白い武将だと思いました。
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