SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

2409 高山のすゝめ① 金森氏の名残

岐阜は高山

城山公園
天正16年(1588)金森長近によって築城が開始され、元禄5年(1692)に6代藩主・金森頼旹が出羽上山に転封され元禄8年(1695)、幕府の命により廃城となった高山城跡に作られた公園。

金森長近公像
二の丸にある金森長近の騎馬像。
金森長近は織田信長に仕え赤母衣衆として活躍。越前一向一揆攻めの功績により越前大野を与えられた。
天正13年(1585)飛騨に侵攻し、翌年には秀吉より飛騨一国を賜った。

高山城 本丸石垣
破却以前はここに二層三重の天守と屋形があった。

高山城本丸屋形平面図
図には上段や広間などの記載があり、おおよその場所が分かる。
左部には茶室である「カコイ」の記載があり、炉が切ってあり茶の湯に堪能であった金森氏らしい。

高山別院照蓮寺
天正16年(1588)金森長近によって白川郷から現在地に移転。
3代藩主・金森重頼の3男従純は、照蓮寺15世を継ぎ宣心と称するなど金森氏と照蓮寺の結びつきは強かった。

寺宝館

金森長近寄進甲冑
照蓮寺は度重なる火災にあったが、この甲冑は今日まで残された貴重なもの。

素玄寺
金森長近の菩提寺として、二代藩主・金森可重が建立した。
寺号は長近の法名「金龍院殿前兵部尚書法印要仲素玄大居士」に因む。
画像の本堂は高山城の三の丸にあった評議場を移築したもの。

金森家累代供養塔
京都へ改葬された金森家の墓地後に立つ供養塔。左右には主君に殉死した家臣の墓石が集められている。

宗猷寺
寛永9年(1632)三代藩主・重頼と重勝(左京)兄弟が父・金森可重の菩提を弔うために建立した。

川上別邸史跡公園
金森重勝(左京)の屋敷があったところでその後、町年寄りの川上斉右衛門の別邸になった。
庭は左京の時代からの遺構と考えられて、宗和流茶道の始祖で金森可重の嫡男であった宗和の庭の趣を有し、石組などが県内にある宗和好の庭との共通性が見られるのだとか。
但し宗和が茶匠としの歩みを始めるのは京に移り住んで以降の事であり、どこまで宗和が関与していたのかは難しいところ。
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