SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

2409 飛騨高山まちの博物館 どうした長近


やって来ました岐阜は飛騨高山

飛騨高山まちの博物館

金森長近生誕500年記念 夏期特別展「どうした長近 3人の天下人に仕えた飛騨の名将」
期間:7/13(土)~10/13(日)

太刀 銘 源盛綱
脇差 (無銘) 直江志津

現在は別々に伝わっているが、どちらも長篠の戦いの戦功により金森長近が織田信長より拝領したと伝わる。
鶴毛陣羽織
全体を鶴の白毛でおおい、両脇と背面袖に円形模様の黒毛があしらわれている。裏地には黄茶色の絹に菊と桐の刺繍を施す。
朝鮮の役の際に豊臣秀吉より金森長近が拝領し、その遺品として子の・可重が高山の素玄寺に寄進した。
金森長近所用 濃浅葱威二枚胴具足
頭形兜に脇立てが付き、胴などを濃浅葱糸で威す。
可重の五男・重勝を祖とする金森左京家より金龍神社に奉納された。
利休百会記
千利休の自会記を記したとされる茶湯書。
天正18年11月2日昼の茶会では秀吉や本願寺教如らを招いており、その跡見の茶事にて富田左近や柘植左京と共に金森法印(長近)が招かれている。
金森長近は利休に茶の湯を学んだとされており、その子・金森可重も利休・織部に学んだとされ、やがて金森宗和へと引き継がれていく事になる。

ここからは常設展示「金森氏六代」から
伊達政宗書状
二月十六日付、金森出雲守可重宛。徳川家康や秀忠の動向や茶の湯に関する内容。
政宗と可重ともに茶の湯に堪能であり親交が深かったようです。
竹茶杓 金森可重作
蟻腰、丸撓めの竹茶杓。筒に「よし志げ」とある。
包裂には「よし志げハ可重 金森出雲守也」と松平周防守妙関が極めている。
薩摩藩出身の実業家・赤星家旧蔵品。
共筒茶杓 銘 一聲 金森宗和作
シミ竹で露は宗和のお約束の一文字となっている。
古筆了任の箱裏書には「名判あり 真蹟疑いなきものなり」とある。

この他、珍しい信長や秀吉の肖像画や刀剣、甲冑、采配など金森氏関係のものを沢山拝見出来ました。
特に珍しかったのは金森可重の茶杓でしょうか。子の宗和は結構な数が残っていますが可重の茶杓は他にあるのでしょうか?
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最近の「探訪」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事